「高村さんて、書き方がテクいですよね、」
栗下が言った。
「テクいですよね…」
「読み易ければ、いいんだけどね、」
と、カフェラテ片手に東が言う。
ミッドタウンのオープンカフェは、初夏のいい天気だ。
「六本木にもスズメがいるんだねぇ」
「僕、今日はそろそろ失礼します。帰ったら、ちょっと高村さんにメールしてみますね」
「テク」とはもちろん「テクニック」のことであるが、著者の宮沢さんによれば「テク」と「テクニック」は、どこかちがうという。「テク」にあるのは「思想」だ。いまこそ、この、「テクの思想」について考えなければならない。なぜなら、人は気づかないうちに「テク」を駆使しているからだ。たとえば、ポケットの中のバラバラの小銭の中から120円を選んで取り出す時、人は既に、奇跡のテクを使っているのである。本書は、世の中のありとあらゆる「テク」を、「本」を通じて考えたものだ。世界中の「テク」を、本を通じて紹介する。それは、複数の書評の集合体であり、「テク」を紹介する「テク」だ。テクの対象となるものには興味がなく、テクそのものに関心を持つ、そう、「テクだけで結構」、断固として、「テク絶対主義」なのだ。
たとえば宮沢さんは、朝日新聞の「かんき出版」の広告に「テク」を見る。なにしろ、本の題名が全部すごいのだ。テクいのだ。その華麗なる「テク本」のなかから、宮沢さんが特に注目したのは『3単語ですぐに話せる英会話』である。一体、その3単語って何なのか。宮沢さんは調査のために書店に向かう。そして購入する。そして理解した。こんなに恥ずかしい気持ちに人をさせる本はない。レジの人の気持ちを想像するのだ。
「この人、単語3つで英会話するつもりだわ」
そう考えはじめたらもうだめだ。「英語を勉強するんだったら、ほかにもっとあるんじゃないのか」、とか、「“3単語”につられたんだな、できると思っちゃうんだよな」さらに「英語学習に王道なし」と、書店員は何を考えているのかわからない。焦る宮沢さんは、最後の悪あがきにでる。そして奇麗な「テク」で切り返されてしまう。
こうして書店を頻繁に訪問する著者であるが、「ビジネス書」の棚だけは避けて通っている。棚の色使いや、背表紙にある署名の文字が、やけに大きく「にぎやか」だからだ。
想像してもらいたい。これでもかというほど、でかいゴシック体の文字で、こんな本が棚にあるのだ。
『決算書の読み方』そんなことをでかい声で言われても困るのである。読み方を知っていたほうがいいかもしれないが、あまり決算書を読む機会が私にはないのだ。
そして言う。
「みすず書房」の棚を見ろ。あのシンプルな、そして静謐な佇まいを。
わかる。
私も以前、耳鳴りが気になった時、騒々しいところが苦手だった。
体調不良の時にはここぞとばかりにアピールするのが幼少からの信条だ。常に耳栓を装着し、新井(仮名)と品川駅でそばを食べている時も、ずぶぬれの捨て猫のような目でアピールした。
「蝉の鳴き声みたいな音が、いつも小さく聞こえるんだよ」
新井(仮名)は言った。
「夏だね」
思えばあれはやつの「テク」だ。冬だったし。私の「テク」が、やつの「テク」に負けたのだ。おそるべきテク競争社会だ。この世の中は「テク社会」だ。世界は、「テク」に支配されている!
まあそれはさておき、そんな騒々しいビジネス棚であるが、宮沢さんがブログで知った1冊の本だけは事情が違っていた。 『問題解決プロフェッショナル 「思考と技術」』 である。落ち着いた雰囲気。しかも、この書名。
これはあきらかな「テク」だ。「テク」そのものと言っていい。
そして、人生初のビジネス書となるこの本に取り組むが、宮沢さんは劇作家であるからして、この本を読む必要が全くない。この本を引用して、戯曲を書くなどありえないのだ。
もし書いてしまったとしたら、どんな舞台になるのだ。
主人公は切れ者のビジネスマンだ。
そして、主人公は、「既存の枠組みを外してものごとを考え、いわば「ゼロベース思考」をする。
そして、「常にその時点での結論を持ってアクション」を起こすのを心がけるので、「仮説思考」で行動する。そして主人公はこう言うだろう。
「これが、ロジカルシンキングを実践するための心構えさ。」
そんな舞台をやりたくないよ、俺は。
いったいその台詞は、どんな状況で、誰に向かって発せられるのだ。作品のタイトルはなんだ?
『問題解決プロフェッショナル』
そう書いてみて、いま思ったのは、エンターテインメントであれば、なかなかにおもしろそうな舞台になりそうなことだ。
本書のおそろしいところは、このまま、「ビジネス本は苦手だ」と言いながら、数10ページにわたって『問題解決プロフェッショナル』の想像話が続いていくところである。私もこの本をチラリと読んだことがあるが、ここまで「ゼロベース思考」したことはなかった。そんなことが可能とすら思わなかった。劇作家って、すごい。
宮沢さんは音にいろいろ敏感なようで、自宅でどこからともなく聞こえてくる奇妙な笛の音も気になって仕方がない。その音は、数年前から聞こえている。ずっと同じメロディだ。そしてある日、遊歩道を散歩していて気づく。
笛を吹いている若者がいる。
そして思う。
「ものすごくへただ」
そのまま、なにくわぬ顔をして近づき、あたかも、遠くを見ながらなにげなく男の前を歩いているような素振りをしてみせた。男はなおも笛を吹いている。ゆっくり接近する。さらに、ごく自然な素振りを装って振り返る。
私は見た。男の笛だ。男は吹いていた。それは紛れもなく「リコーダー」だった。
ピーポポピー。ピーポポピー。
そして思った。この人の情熱はいったいなんなのだ。2週間に一度は遊歩道にやってきてリコーダーを吹いている。もう何年も吹いている。同じ曲を熱心に吹いている。しかもへたなのだ。
おおむね人は成長するものである。
黙っていても人は成長するものだが、男のリコーダーはいっこうに上達する気配がない。同じ曲を吹き続ける情熱もよくわからないが、この成長しないということも、一つの才能ではないか?そして思う。
だが迷惑だ。
成長してもらわないと困るのだ。
こうして、いま男を救うのはずばり言って「テク」だと言い、男が笛を吹くであろう場所にそっと置いておくため、リコーダーの教則本を調べるのだ。テクがあれば、世界は幸せになる。そう、世界は「テク」でできている。世界はテクで満ちている。だから、ほんとうはこうだ。
「高村さんて、書き方がテクいですよね」
栗下が言った。
「ていうか、HONZのメンバー全員テクいですよね…」
「テクだけじゃ、ないんだけどね、」
と、カフェラテ片手に東が言う。
ミッドタウンのオープンカフェは、初夏のいい天気だ。
「六本木にもスズメがいるんだねぇ。」
「あっ、スズメがエサ食べた! ワタシの手からエサ食べた!」
「僕、今日はそろそろ失礼します。僕、今日からテクの学校なんで!」
テクなくしてレビューなし。テクなくしてHONZなし。 テク、万歳! テク、WooHoo!!! ピーポポピー!!! ピーポポピー!!! 僕も、リコーダーを始めたらみんなに注目してもらえますか?