夏だ! 海だー! 海へ行こう! 最近、夏のにおいがむんむんする。こういう日は、海でバシャバシャしたい。共感する人も多いのではないか。そこで、今日はとっておきの一冊。海といったらあの人、宮田珠己。違いますね。海の変な生き物といったら、宮田珠己。まだ、彼の最強脱力系お笑いエッセイを読んだことない人、海! 海! と気持ちが先走っている人、旅に思いを馳せる人、必見です。私は、「ジェットコースターにもほどがある」で宮田珠己の大ファンになってしまったのだが、彼は一体どんな人なのだろうか。ウィキペディアで検索してみた。
- •ジェットコースター好きで、ジェットコースター評論家としてイベントに呼ばれたこともある。
- •鼻毛のでた、顔だけのキャラクターをマスコットにしていて、著書の表紙(旅の理不尽)やサイン本にそれやそれに似たキャラクターがしばしば描かれている。
- •くだらない物が大好きで、『スットコランド日記 深入り』の帯には、「日本でもっとも妙なことにこだわる男」
こんなゆるい紹介文なかなかお目にかかれない。
著者は間違いなく、旅ブームの火付け役だろう。本人も言っているとおり、スポットライトを浴びたことのない場所を掘り出しまくる。日本全国、うりゃうりゃ掘り出す。本書は、一年間かけてWebで連載したエッセイをまとめたものである。近場だと、日光や富士急ハイランド、遠出になると、津軽から熊本の天草まで広がる。著者一人で行くこともあれば、家族でも、また新キャラの営業マンと行くこともある。つまり、誰と行くことになっても参考にできる、ガイドブックとして、まずはお勧めしたい。
せっかく旅に行くならば、お土産話は必須である。友達に面白おかしく語り聞かせるのは楽しい。しかし、残念ながら私は、旅先の思い出を上手く伝えるのが苦手なのだ。相手につまらない顔をされ、歯がゆい思いもした。ここで、お土産話のノウハウを本書から学びたい。
まず、旅の目的が大事であるそうだ。その地において本当に見たいものは何なのか。雄大な自然が見たいのか、歴史建造物なのか、流行のパワースポットなのか。著者の場合は、大仏、クラゲ、石等々。もちろん、海の生き物も省けない。著者によれば、日本には数えきれないほどの大仏があるらしい。エッセイ「名古屋—目からシャチホコが落ちる」で訪れる名古屋の桃厳寺内の “周囲の風景にそぐわない大仏”はとても気になる。また、「日光—東照宮にクラゲはいるか」によれば、日光東照宮のおびただしい彫刻群の中に、クラゲがいるらしい。金のくらげ?これも是非見物したい(この旅は、明治時代に日本を訪れたフランス人作家の著作『秋の日本』が発端となっている)。津軽では、著者が好む、河原や海にゴロゴロ転がっている、「その辺の石」が拾えるらしい。それはどうしても興味が持てないが、とにかく、目的があれば、ストーリーは展開しやすいのである。
「目的」で友達の関心を引いたならば、次はそこで出会った珍しい物体をイラスト付きで表現してみよう。「秋山郷、十日町」では、著者は奇妙なイラストを連発する。もし、あなたが雪国へ行って、道路の両脇に積み上げられた雪の壁の様子を相手に伝えたいとき、どんなイラストを描くだろうか。著者は、なんと角煮である。「脂肪の塊がやわらかそうで、美味しそうですね」って、おい! 間髪入れずに向かい側から除雪車がやってくる。その迫力と不思議な構造に魅了されたあなたは、どう表現するか。「除雪車はこうなっていて……」なんて生真面目に書いたものでは友達が退屈してしまう。著者の場合は「触覚があり、鋭い歯が見える」。なんと、昆虫にたとえてしまった。「細長い四肢をこまめに動かしながら黙々と働き、みるみる雪を食べていく」。
角煮や昆虫は序の口であって、その後登場する「超合体ザリガニH」、「イザリウオに乗るキリスト」、「カブトガニの概念図」は傑作である。さらに、細部まで丹念に描写することで、読者の関心を煽る。著者が見つけたピンボールは、様々な工夫がこらされており、「ストリートファイター2」「バットマン」「スパイダーマン」などのイラストから、ごちゃごちゃしていて、裏の裏がありそうなところが伝わってくる。本書によると、これらはお台場で出会えるらしい。
さて、「土産話」の最後のポイントは、やはり「オチ」だ。どれだけ自分がくだらない旅をしたかという最大のアピールポイントである。「こんなに素晴らしい経験をしたよ」の自慢話よりも、「こんなくだらないことは私にしかできない」の自虐ネタの方がはるかにアピール度は高い。この場でオチをばらせないのが残念だが、どのエッセイも最後は著者特有のずっこけが、読者を待っている。
私が電車で吹き出してしまったお気に入りのオチは、エッセイ「神津島—東京で砂漠を見にいく」だった。著者が調べた情報によれば、東京の砂漠は神津島で最も高い天井山の頂上にあるらしい。その天井山は結構急な山である。残暑の中、美しい海に後ろ髪を引かれながらも山登りに挑み、見事砂漠を発見するのだが、なんかぱっとしない。規模が小さいのだ。これでは、「旅ブーム火付け役」の面子が台無しであると思った矢先、まさかのオチである。最後のどんでん返し。やはりオチのくだらなさに関しては、著者の右に出る者はいないのではないだろうか。
ここまで、自分の体験した旅を、友達に面白おかしく話す3つのポイントを挙げてきた。
①旅の目的をはっきりさせる
②なんでもかんでもイラストで表現する
③オチ
である。3つのポイントを活用して、夏休み後に誰かに話してみよう。先生を笑わせたら、きっと成績を考え直してくれるだろう。
最後におまけ。エッセイ「千里 — ふるさとはニュータウン」では、著者の子供時代を垣間見ることができる。てっきり自然たっぷりな田舎で育ったと思っていたが、まさかのニュータウン育ちであった。「近所にあったのは、コンクリートで固められた水深5センチぐらいの用水路で、野菜はスーパーで買ったし、カブトムシなんてもちろんいなかった。そのかわりカメムシが大量発生して、洗濯物につくとたいそう臭かったのである。」そんなニュータウンに、小学5年生から大学を卒業して社会人になる直前まで、12年間住んでいたという著者の思春期の回想には、不覚にも笑ってしまった。
例えば、男性が必ず通る、私には理解しがたい「世界の真実の探求」。近くの公園の森で「真実の書」を探したとか。一年間に4人の女の子に振られた著者。A子が好きだったが振られ、友達に「B子がお前のことずっと見てるぞ」と言われた途端、意識し始め、やっぱB子が好きだったかも、とアッタクしたところ、玉砕。その後、C子、D子も同じことを繰り返し玉砕。友達に相談したところ、返ってきた答えは「霊とかか?」。ただ好きな人をころころ変える浮気者だっただけなのだが。玉砕まではいかなかったが、同じような思い出があり、懐かしく楽しんだ。話がそれてしまったが、千里ニュータウンで育った著者は、受験や友達関係で悩まされた、ごく一般的な少年だった。少なくとも昔は。
本書には続きがあり、廣済堂出版よみものWebで公開されている。「日本全国もっと津々うりゃうりゃ」。知っていたつもりのあの場所がまったく違って見えてくる!