世にマニュアルはあふれている。Amazonで「マニュアル」というキーワード検索をしたら、1万8千件近くもヒットした。世間の人たちはかくもマニュアルを欲しているのであり、あまたあるマニュアルたちも、その人達に役立とうとがんばっているのである。しかし、ここに画期的なマニュアル本が登場した。今の世にまったく役にたたないマニュアルなのである。武士が跋扈した時代、我々が今思うマニュアルの感覚で、武士達が読んだであろう本の紹介である。
バラエティーに富んだ厳選されし六冊の「マニュアル」が、それぞれの章に割り振られている。第一章は、『番衆狂歌』。江戸中期に編まれたらしいだけあってなんとものどかな内容で、あの必殺仕事人の中村主水が勤めている、のんびりとした番所のイメージがわいてくる。三十一文字にリズムよく刻まれた教えには「御番所の大用場へは灯なく 下駄にてすべる用心をせよ (御番所の大便用トイレは暗いし下駄履きであるから、すべらないよう注意するように)」などというものまであってけっこう笑える。
第二章は戦国時代の剣客、塚原卜伝が遺したとされる『卜伝百首』。これも狂歌仕立てであるが、さすが乱世、内容は「武士(もののふ)の心の内に死の一つ 忘れざりせば不覚あらじな」といったメメントモリ的なものから、「武士は女に染まぬ心もて これぞ誉れの教(え)なりける」といったつらい心得まで、『番衆狂歌』とはうってかわって厳しい内容である。
さすがに著者の氏家氏、右から読んでも左から読んでも氏家氏だけのことはある。ちょっとは役立つことも、と思われたようで、第三章に紹介される『武士としては』では、「明日仕るべしと思ふ事、今日相勤むべし。(明日やろうとしていることは今日のうちに)」などと、現代に通じることがらが盛られている。
おのおの方、ご安心なされよ。次の第四章『志塵集』では、この本の主題である役立たずマニュアルに逆戻りしてくれるでござる。障子に影がうつると外から狙われるかもしれないから気をつけるように、と言われても、はぁ?と言いたくなるだけであるし、人を斬った刀には脂がついてなかなか落ちないから、土竜(モグラ)の皮で丹念にぬぐいなさいと言われても、なにがなんだかわからなくなってしまうのである。でも、なんで土竜なんやろ。
しかし、なんといっても、役立たず度の極致は、一章とばして第六章、切腹マニュアル『自刃録』である。赤穂浪士たちも切腹の仕方を知らなかったというのであるから、確かに切腹作法のマニュアルは必需品だったろう。中でも圧巻は介錯について。けっこう太い頸骨を一太刀に切り落とさなければならないのであるから、なかなかに難しいはずだ。それだけに、タイミングよい「討ちどき」が七つ示されている。おそらく、儀礼に則って切腹がおこなわれる際、切腹人の動きが止まる一瞬があって、その時を狙いなさい、ということだったのだろう。
「介錯は、首を落としきらず、少し残し置き、首の逆さまに下がり候ところを、たぶさを取り、引き上げて搔取(かいど)り、実検に入るが本式なりと云。」おわかりになられるだろうか?介錯では、硬い首の骨を断ち切るだけではだめで、首の皮一枚残せというのである。相当なスキルが要求されているのである。どうでもいいが、首の皮一枚でつながって、という慣用句は明らかに誤用である。よく考えてみると、首の皮一枚でつながっていても、完全に死んでるやんか。
そして、首の皮一枚残す理由というのがすごい。首が切れても、その瞬間に意識がなくなるわけではない。「首が完全に胴体から離れ落ちるように斬ると、切腹人(の首)がまばたきをしたり地面の石や砂にかみついたりするから」だというのである。ひぇ~。確かにそうだろう。そうではあるが、むちゃくちゃこわいのである。
たかがマニュアル、されどマニュアル。今の世に役立たずとも、おもしろく読めさえしたらよいではないか、おのおの方。
試し斬り名人、人斬り山田浅右衛門をはじめとした、江戸時代の屍話。すごすぎる…