あなたはどんな街に住んでいるだろう。その街に住むことを決めたのはあなただろうか、それとも、あなたの家族だろうか。立地、間取り、価格、様々な要素を比べて、その街に住むことを決めたことだろう。少なくとも、あなたはその街に住むことを決めた理由を述べることができるはずだ。しかし、その街へ住むことを決めたのはあなたの意識の及ばない何かかもしれない。心理学者ブレット・ペラムの膨大な研究によれば、2月2日生まれの人は、ツイン・レークのように数字の2と関係のある名前の都市に引っ越す確率が有意に高く、6月6日生まれの人はシックス・マイルのような場所に引っ越す確率が高い。誕生日という、一見居住地選択に全く関係のない要素でさえ、あなたの意識に上ることなく、あなたの行動に影響を与えている。
あなたはどんな人を配偶者に選んだだろう(もしくは、これから選ぶだろう)。性格、容姿、年収、相手に求める要素とその優先順位は人それぞれに異なるだろうが、一生をともに過ごすことになる(はずの)相手を選ぶのだから、しっかりと考え抜いて自らの意思で決断をした(する)ことだろう。しかし、心理学者ジョン・ジョーンズの15,000件に及ぶ公的婚姻記録の調査によれば、名前の最初の文字が同じ者同士(ジョンとジョアンナなど)が結婚する確率もまた有意に高いのだ。他人に映る自分を愛する傾向を「潜在的自己中心性」と呼ぶそうだが、これもまた潜在的と言うくらいなので意識に上ることはない。それでも、人の行動に確かな影響を与えている。
我々が自分の意識によって決断したと思っていることのどれほどが、本当に自分の意識に基づいているのか。読み進めていくうちに、自分の足元がぐらぐらしてくるような感覚を覚えて不安になる。量子力学のおかげでラプラスの悪魔は存在しないことが分かったが、私たちの行動は意識に上らないプログラムによってコントロール、決定されているのではないかとさえ思えてくる。本書で示される多くの興味深い事例によって、世界の中心にいたはずの“自分の意識”がどんどん傍観者という辺境に追いやられていく。コペルニクスやガリレオによって宇宙の中心から引きずり下ろされた地球のように。『子どもの頃の思い出は本物か』で記憶・過去の不安定さを痛感したが、現在でさえこれほど不安定とは。
著者であるデイヴィッド・イーグルマンはベイラー医科大学の<神経科学・法律イニシアチブ>の責任者であり、世界中で神経科学による知見をどのように法制度に反映すべきかを講演している。こう聞くとガチガチの専門書のようにも聞こえるかもしれないが、前半部分はあっと驚く事例が盛りだくさんで、ページをめくる手が止まらない。米アマゾンのBest Book of 2011(Science部門)を受賞したことも納得である。何しろ、第1章で投げかけられている問いがどうにも気になるものばかりなので読み進めずにはいられない。
- 酔っ払ったメル・ギブソンが反ユダヤ主義発言をぶちまけて、後に本心から謝罪するのなら、“本物のメル・ギブソン”などいるのだろうか?
- どうして自分に腹が立つのか?いったい誰が誰に腹を立てているのか?
- 特定の周期でストリッパーの売り上げが増えるのはなぜか?
- なぜ、利子の付かないクリスマス口座に預金が集まるのか?
- 薬物治療を受けているパーキンソン病患者がギャンブル依存症になり易いのはなぜか?
これらの問いは、投げっぱなしにされることなくしっかり回収されているのでご安心を。
意識に因らない行動が多いからと言ってがっかりすることはない。意識が関与しないことで有用な結果がもたらされることもあるのだ。例えば、ヒヨコの雌雄鑑定がある。ヒヨコのオスとメスはほぼそっくりなのでその判別が困難だったのだが、日本人が肛門鑑別法を開発した。“開発した”とは言っても、マニュアル化できるようなメソッドが編み出されたわけではない。ただ肛門を見るだけである。しかも、肛門のどのような特徴を見て判断しているのかをプロ鑑定士も説明することはできず、ただ何となくわかるだけだというのだ。そのため、この技法の伝達は師匠が雌雄を仕分けている姿を弟子が見つめるというものとなる。師匠の仕分けをじっと見ていると、弟子もなんとなく分かるようになるそうだ。同じような手法が第二次世界大戦のイギリスで、襲来する飛行機が帰還するイギリス機か爆撃に来たドイツ機なのかを見分けるテクニックの伝承のためにも使われていたようだ。
意識が関与しないこのような行動はエネルギー消費も少なく、反応も早い便利なものである。意識するためには多くのエネルギーが必要となり、何より時間が掛かる。では、意識が本質的に必要ないのかというと、そんなことはない。上記のような行動を体に覚えこませるためにこそ意識が必要なのだ。スポーツ選手が同じ動作を何度も意識して繰り返すことで、最終的にはその行動を意識がアクセスできない深みにまで染み付かせることができるのだ。テニスの試合で相手がキレのあるサーブを打ってきたら、こう問いかければよい。「どうやってそんな凄いサーブを打ったんですか?」体に染み付いた動きが意識の領域にまで出てきて、動きがちぐはぐになるはずだ。
このように高いレベルでの方向性を決定する役割を果たす意識は、長期計画を立案する会社のCEOに例えられる。エネルギーを大量に消費する高給取りのCEOがルーチンワークをするのは効率が悪い。CEOには前例のない、不確実な状況での的確な意思決定が求められているのだ。つまり、普段と違う状況、不確実性の中に飛び込まなければ、CEOは眠ったままということだ。新しいゲームをやるときは狂ったほどにエネルギーが消費され、脳が活性化するが、ゲームが上達するにつれ脳の活動は小さくなるという。予測可能性・管理可能性がますます低下する現代のビジネス環境では、ビジネスマンはルーチンワークに忙殺されること無く、新たなことにチャレンジし続けて自社のCEOを鍛えてやる必要があるのかもしれない。未知の世界へのアクセスが容易で、CEOが奮い立つので読書はやめられないのかも知れない。
ここまでで明らかになったように、我々の行動の中で意識が果たしている役割は、直感的に感じているモノとは大きく異なるようだ。様々な選択肢の中から主体的に選択したと思っていた行動が実は、無意識に行われていたものだったとしたら、その行動に対する責任は誰に帰属するのだろうか。本書は後半から、意識と法制度へと話が進む。そして、ここからが本書とその他の脳科学本を分けている部分だ。例えば、アレックス(仮名)という45歳の男性は妻と結婚して20年目にして急に児童ポルノに興味を示し始め、若い女性を買春しようともした。困惑する妻に連れてこられた病院で大きな脳腫瘍が発見され、腫瘍を切除した後は児童ポルノへの興味は消え失せた。もし、病気に犯されていたアレックスが児童に対して犯罪をはたらいていたら、責められるべきはアレックスか、それとも脳腫瘍か。
「非難に値するかどうか」という問いの立て方こそが誤っていると著者は指摘しながら、以下のように話を進める。
どんな場合も犯罪者は、ほかの行動をとることができなかったものとして扱われるべきである
現在測定可能な問題をしてきできるかどうかに関係なく、犯罪行為そのものが脳の異常性の証拠と見なされるべきだ
かなり踏み込んだ議論も展開されているので、後半は唸りながら、著者の考えと自分の考えを闘わせながらじっくり読むことになるだろう。あなたのCEOもきっとフル稼働になるはずだ。
_________________________________
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=LENqnjZGX0A[/youtube]
本書の内容とはやや異なる講演内容だが、こちらのTED講演も面白い。というか、この著者がこんなに若いことに驚いた。Yes, I’m possibilian.
こちらも我々をこっそり動かす仕組みについての本。かなり詳細な脳の働きの解説も出てきます。
レビューはこちら。
意識が機能しなくなる点をついてくるマジックから考える一冊。なんだか最近こういう本のレビューが多くなっていることに今更気が付いた。このような本を読むことがルーチン化されてしまっているのだろうか。うーん。
レビューはこちら。