なにをかくそうブータン(漢字表記は「不丹」)のファンである、といってもたいしたことはない。2年前、ブータンがブームになる前に、「そうだ、ブータン行こう」と訪ブーし、すっかり魅せられてしまったのである。それでも縁あって、岩波書店の「科学」の「ブータン:<環境>と<幸福>の国」という特集では、なぜか「ブータニスト宣言」という、どう読んでも「科学」とはまったく関係のない文章を載せてもらったし、ブータン関連本を読みあさるくらいにはフリークなのである。
ブータン本をむさぼり読み、一時期は、本邦で出版されたブータン関連本のほぼすべてを読破していたはずである。しかし、この1年ほどのブータン本出版ブームはすさまじく、すべてを読もうなどという野望は無駄な抵抗になってしまった。それでもやはりブータン本はふと手にとってしまう。そして最近出色の二冊が、御手洗瑞子さんの「ぶ~これ」こと「ブータン これでいいのだ」と、この高野秀行さんの「未来国家 ブータン」略して「みらぶ~」である。
だれがなんと言おうと、だれもなにも言わなくとも、ブータン本の古典は中尾佐助の「秘境 ブータン」にきまっている。はっきり言おう。40年の時を隔てているとはいえ、「未来国家 ブータン」は、名著「秘境 ブータン」に対峙しうる本である。まず、いずれも、東ブータンを旅する記録がメインである。そして、中尾佐助は植物学の学術調査、高野秀行は雪男を捜す、という、ともに、客観的には別として自覚的にはいずれも遜色ない立派な目的を持った旅である。さらに、どちらもすばらしく面白い。かつて全盛期の椎名誠が堀田善衛の「インドで考えたこと」の向こうをはって「インドでわしも考えた」を書いたように、タイトルも「秘境 ブータン」に対して「未来国家 ブータン」。秘かに喧嘩を売っているに違いない。
「生物資源探索」のために少数民族の村に行くという正式なミッションを持っているとはいうものの、高野氏の秘かなる真の目的は雪男の探索。雪男の体毛をつまようじとして利用できる可能性なども否定できないのであるから、雪男も立派な生物資源の一つであって、単に「生物資源探索」のため、と言えないわけではない。まぁ目的はさておき、高野氏の探検は非常な難渋を余儀なくされる。高山病に悩まされながらも捜し求める高野氏であったが、噂や目撃談を耳にすることはあっても最後まで雪男に遭遇することはできなかった。超ひいき目な理解では、かなりいいところまで迫っていたような気がしないわけでもないので、さぞかし無念なことであったろうとご推察申し上げる、ということにしておきたい。
高野氏に迫った危機は高山病だけではない。少数民族による、自分たちが飲みたいがための客人酒攻め攻撃にあい、これまでに経験したことがないような二日酔いに襲われてしまう。ちなみにこのブータンの酒は「アラ」という名前である。たしか高野氏の前著にして怪著「イスラム飲酒紀行」には、この「アラ」がアルコールと同じアラビア語起源ではないか、という他では決して学ぶことができない、学ぶ必要もない貴重な情報が盛り込まれていたような記憶がある。そのアラの飲み過ぎで悪性の二日酔いに見舞われた時でさえ、職務にはあくまでも忠実。あらたな生物資源による二日酔いに効く伝統薬はないかと調査をはじめたのである。しかし現実は過酷であった。迎え酒としてアラを飲むという方法しか聞き出すことができなかったのであるから。
どうも、生物資源探索の成果については、最後までうやむやにされているような気がするが、それはよしとしよう。それというのも、その探索のふりをしながら、見聞きするすべてのことから高野氏はいろいろなことを考えていたのである。そして、あのアントニオ猪木を男前にしたような国王を中心とした、ブータン政府の統治がいかに優れたものであるかを悟る。しかし、一方でその弱点も見逃さず、ブータンの急所は「差別と毒人間」であると喝破する。どちらも、特に毒人間については説明するといささか長くなるし、その概念が難しいので、ぜひこの本をお読みいただきたい。高野氏の高い洞察力は、本書において遺憾なく発揮されているが、この「急所」についてと、「ブータンの統治に対するダライ・ラマの影響」とについては、まじめな話、意外な方角からの考察であり、そのあまりの鋭角さは感嘆に値する。
なんだかぜんぜん訳のわからない人からすごく気配りのできる人まで、高級官僚から祈祷師や世捨て人まで、高野氏が出会った人々はそれぞれにユニークだ。アジア各地での経験が豊富である高野氏は、ブータンにおける山の人たちの「いい人たち」さは、「ミャンマーやタイやインドあたりの山の人と比べても大差はない」と見抜く。一方、驚くべきは「ブータンではインテリが山に住む人と同じように澄み切った瞳と素敵な微笑みを持ち合わせていることだった」と気づく。そして『日本でこんなに善意の塊みたいな人ばかりだったら、私は詐欺だと思うだろう。』と呻く。そう、ブータンのよさはそこにあるのだ。
「ブータン方式とは国民の自発性を尊重しつつ明確に指導することである。しかもそこには巧みな補完システムが常にはたらいている。」というのが高野氏の導いた結論である。そして、「私がブータンに感じるのは『私たちがそうなったかもしれない未来』なのである。」と論じていく。GNH(国民総幸福量)の国ブータンは、単に幸せな国ではなく、「幸せになることが義務づけられている」国だ、というのが、高野氏のもう一つの結論である。GNHの概念を、行きの機内において着け刃で読んだ「秘境 ブータン」の知識だけをもとに、本場のブータン人に説明して納得させてしまうくらい、高野氏の説得力はすばらしい。この本でも、その能力が遺憾なく発揮され、この二つの堂々たる結論にも、ゆるく納得させられざるをえないのである。
「ぶ~これ」はブータンの首都ティンプーにおける定点観測であるのに対して、「みらぶ~」はブータンでもかなりの田舎をめぐる移動観測である。異なった立場から書かれた二冊を読めば、ブータンのおかれている現状と、これからどうなっていきそうか、がおおよそわかってしまう。あくまでも、読むひとが読めば、という限定付きのような気がしないわけでもないが、まぁいい。そう、ブータン、これでいいのだ。あれっ?何の本を薦めてたんやったっけ…
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おすすめ本
本邦ブータン本の古典、待望の復刊。
とても、つい40年前の話とは思えない。
最近のブータン本ブームからいうと、すでに古典の域か。
この本を読んで無性にブータンに行きたくなった。
さすがは五木寛之。
いっしょに旅をしているような感覚に。
先代国王の王妃(のうちの一人)が書かれた本。
ちょっと違った視点からのブータン本。
最近の話題作といえばこれ。
ブータンの公務員として見たブータン。