知る人ぞ知る「文人」シリーズ第三作である。『文人悪食』、『文人暴食』で、多くの文人を「食」の観点から描き出すという斬新なアイデアですさまじいまでの能力を見せたあの嵐山光三郎氏、こんどはどうくるかと思ったら、なんと『文人悪妻』である。そして嵐山氏、期待通りに、まえがきの冒頭から早くも全開で暴走してくれる。
“人妻という言葉ほど男心をコトコトと煮込み、ムラムラといらだたせ、ピリピリとしびれさせるものはありません。背骨に電線が一本埋め込まれたようなシビレ感があるのです。
人妻→官能→嫉妬→不倫→離婚→再婚→流浪→淫乱→堕落→覚醒→心中→自立→遊蕩→熟成→昼寝、と、妄想ははてしなく広がりますが、さしあたって気になるのは、隣家の人妻です“
実際、この連想ゲームがけっして妄想とは言い切れないないことを証明するためのお話が次々と繰り出される。文人を「妻」という底なしの隙間からのぞき込み、わずか文庫本の5頁しかない読み切り文章に、それぞれの「妻」の人となりを暴き出す、というのは、名人芸以外のなにものではない。そして、それが53話という、じつに中途半端な数だけまとめられている。
もともとの単行本では『人妻魂』というタイトルであり、文庫も『人妻の正体』として出版したかったというこの本、文人の悪妻だけでなく良妻や愛人も、そして、その人自身が文人にして悪妻という場合もとりあげ、なんともバラエティーに富んだ内容になっている。私の愛する漫才師・大木ひかるの必殺ギャグ「そんなやつおらんやろぉ~」感が刺激されまくる、奇想天外・驚天動地そしてムラムラ感満載の一冊だ。
それぞれのお題を見ただけでもしびれてくる。「隣家の人妻はあぶない」、「処女妻幻想」、「もてあそばれる人妻」、「情事のはての人妻」などの官能系、「流浪する淫乱妻」、「さすらいの人妻」、「人妻巡礼記」とかいう流浪系、「じつは超能力者だった」、「霊が勝つか肉が勝つか」、「人魚の肉を食べた人妻」といった訳わからんオカルト系などなど。いったい何が書かれているのか、予想することが難しく、したところで意味がないようなタイトルに物語が凝縮されているのだ。
もちろん面白いのはタイトルだけではない。ひょっとしたら有名な話ばかりなのかもしれないが、わたしの知らないびっくり話が山ほど載っていた。北原白秋は姦通罪で有罪となった相手と結婚したが、わずか1年2ヶ月で破局。二人目のおとなしい妻は、とある宴会でプッツンして出奔。ようやく三人目の妻と添いとげるという、美しい詩情あふれる人生を送った。また、島崎藤村は「まだあげ初めし前髪の…」とかいう純情な歌をつくったりしていたけれど、その正体は嫉妬深くてとんでもない淫乱おやじであり、家に預かっていた姪に手を出して妊娠させ、中絶を強いておいて自分はフランスへとんずら、って、あんまりやないの。
アナーキストだけあって大杉栄は妻がありながら二人の愛人がいて、「アナーキーな自由恋愛を得意とした」そうだ。愛人の一人、平塚らいてうの弟子・神近市子は金をせびられまくり「大杉を殺す」とまで思い詰めるようになるが、何故か葉山の旅館で大杉に抱いてくれとせまる。しかし、大杉は拒む。そして、その夜中、大杉は首筋をさされて大ケガをする。これについて、嵐山氏は一刀両断。「これは大杉に非があります。一度ねんごろとなった愛人と旅館に泊まって『さあセックスしましょう』とせまられて断ったりするから、こんなざまになるのです。」
このように、いろいろなできごとに対する嵐山氏の判断は斬新かつシンプルだ。本題から導かれる短い教訓にも感嘆すべきものが多い。
“女性が男と別れるとき、「私のカラダだけが目的だったのね」とうらみがましいことをいいますが、男からみれば、そんなことはあたりまえです。”
“男は自分よりアホな女のほうがかわいいんですね。”
“「さすらいの人妻」は男心をそそるものです。”
“ガーデニングをはじめた人妻は、夫との性生活が終わったことを示しています。”
※注:感嘆したとはいえ、必ずしも同意はしていないことを念のため申しそえます。
色とりどりの宝石と石ころについての話を520円という廉価な文庫本につめこんだ珠玉の一冊である。そのうえ、あまりの内容に、一気に読むには精神疲労がたまりすぎるので、休み休み読まざるをえないから、けっこう時間もつぶせるという、超お買い得の一冊でもある。ぜひ通勤のお供にどうぞ。ただし隣からのぞき込まれないようにして読んだ方がいいかも。