この本を読むつい一カ月ほど前、友人の留学生マイク(仮名)は得意げな表情で私にあることを教えてくれた。
「欧米と日本のアダルトビデオの違いを知ってるか? 本番中に尻を叩くか、叩かないかだ!」
この仮説が的を射ているかはさておき(なぜ私にそれを言ったのかという謎もさておき)、この本を読んでいると、尻に関するヨーロッパの人々の執念は凄い、というのはわかる。図説というだけあって、中世の素朴な絵から現代の写真・コミック・ステンドグラスとさまざまな媒体のなかででっぷりとした尻が晒されており、その生々しさと丹念な描写ぶりには圧倒されるばかりだ。カラーだったらきっともっとくどい読後感だっただろう。
バーを回すことで間断なく尻を叩けるようになっている機械や、少女に扮した娼婦が別の娼婦の尻を叩く写真、鞭のカタログ等、尻叩きにかける情熱をこう目の当たりにすると、ジョンの言葉もさもありなんと思ってしまう。だがしかし、その情熱が面白い。
さて、本のタイトルにある「尻叩き」について具体的に説明しよう。
尻叩きはヨーロッパにおいて、紀元前の頃から実行されてきた行為だ。子供のしつけに使われるのみではない。修道院において罪を犯した人間に対して行われたり、公衆の面前で売春婦を見せしめにするため執行されたりすることもあった。医療行為(性欲喚起)としての側面も持っていたというのだから、その汎用性には驚くばかりである。
しかし、しつけにしろ医療行為にしろ、尻叩きには例外なく「叩かれる痛み」と「見られている羞恥心」からくる快感が含まれている、と著者は指摘する。確かに、本のそこかしこにある写真や絵は、大抵臀部すべてが露出しており、隠そうとしてもそのエロティシズムは拭えない。本来隠されるべき部位である尻がまくられる時点でもう、尻叩きにエロは絡んでしまうのである。SM・スパンキング等は言わずもがなだ。
とはいえ、エロ100パーセントというわけではない。他者が尻を露出させているさまは、どこか滑稽であることも否めない。例えばフランス革命当時は、修道女や信心深い女ですら、国民軍を侮辱した等の理由で叩かれることが多かったほど、尻叩きが流行った時代だ。
尻叩きの矛先は男にも向けられる。新聞は国民軍によって「鞭打たれた尻」リストを公開し、「今後叩かれるべき貴族の尻リスト」も提案されていたほど、尻叩きの動きを追うことに熱心だったそうだ。つまり尻叩きとは、相手より自分が優越しているという権威づけのためにも用いられていたのである。
それにしても、新聞に鞭打たれた尻リストを載せるとは、他にすることないのかなと思ってしまう。それとも尻はそれだけキャッチーなネタだったのか。いずれにせよ、尻叩きが日本以上に欧米文化に浸透していたことは間違いない。
文中に溢れるさまざまなタッチで描かれた尻の数々を見ていると、訳者のあとがきにある、「人間は人の尻を見ると叩きたくなるようになっているらしい」という一文に納得してしまう。この本を読んで手がむずむずしても、そこはぐっとこらえて。