人生80年として、半分を過ぎた不惑の頃、漠然とした老後の不安にとらわれていた。自分の老い先が幸せであるためにはどんな準備が必要なのか、親や年上の友人たちの姿を見て参考にしようとしていた。
しかし、それから10年。そんなことより自分の親をどう大過なく晩年を過ごさせて送り出すことができるか、それが現在、最優先に考えなければならないことになっている。
奇しくもちょい読み『小商いのすすめ』と同じ著者の『俺に似たひと』は2009年の年末から2010年6月までに、著者が行った「両親を介護する物語」である。1950年生まれの息子はちょうど還暦。母からの足が痛い腰が痛い、一度様子を見に来てくれ、という電話を受けながら、80代半ばの夫婦が何とか暮らしていることに息子は興味を向けなかった。いや、読んだ印象では目を逸らしていたのだと思う。そこに母親が大腿骨を骨折し、入院したという連絡が入る。
著者の平川克美は事業家であり、文筆家でもある。幼馴染の内田樹とともに翻訳業務を行うアーバン・トランスレーションを立ち上げ、現在は(株)リナックスカフェ代表取締役。通常の業務のほかに、講演会や執筆などがあり、相当な多忙であることは想像に難くない。母親の入院も大阪での講演会直前に連絡が入る。翌日、病院に行き手術が決まり、術後の経過も悪くないと思われていたが子宮からの出血が見つかる。末期の子宮頸がんであった。数日後、呆気なく亡くなってしまう。
老人ふたりで50年もの長きにわたって暮らした家は、まるでゴミ屋敷であった。母の退院後を考え、自宅を介護用にリフォームしていたが、残念なことに生きて母はその様子をみることはできなかった。しかし問題は残された父親である。町内会長を長く務め、自治会でも頼られていた人が見る影もなく老いさらばえていく。
最初は週に何度か見に行く程度、と考えていたのが風邪をこじらしたことで一転する。緊急入院となり死線をさまよい、回復したあともせん妄状態に陥った。自宅に戻るまでなんと2ヶ月もかかってしまう。料理も洗濯も身の回りの始末は全部妻に任せていた。一人暮らしは無理だと息子は同居を決断した。男二人、成人してからはろくに話もしたことのない親子の共同生活が始まった。
おそるおそる、というか静々と始まった生活の中で、父親は昨日と今日ではあまり変化がないけれど、1週間前よりは確実に悪くなっていく。大好きなお風呂に入れてあげたり、下の世話を手際よくしたり、好きな食べ物を用意して上げられた時間はそう長くはなかった。そして「そのとき」を迎える。
私もほんの少しだけ経験している。阪神大震災の折、夫の実家は全快した。そのショックのために、まだ60代だった舅は認知症を発病する。10年以上の年月をかけ、徐々に悪化していったのだが、入院するまでの数ヶ月はまるでジェットコースターが滑り落ちるときのように、あっという間にひどくなった。わずか2週間前には、家族で外出してレストランで食事ができていたのに、突然暴れだし、最後は義母に向かって食卓を投げ下ろしたのだ。即座に入院手続きがとられ、そのまま約2年、家に帰ってくることはなかった。
親が元気でいてくれるのは、とてもありがたいことだ。私の場合、長男である弟が同居してくれているし、姑はぴんしゃんしているので当面は安心はしていられる。しかし、早晩、誰かの介護が始まる。それはそう遠いことではないだろう。昨日の新聞で成人に対するおむつのつけ方のDVDが作られたという記事が載っていた。本書はまさに「明日はわが身」のための心構えとして読んだ。その日のために、あなたも。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アメリカの人気作家が綴った、癌に侵された母を看取るまでの物語。宗教の違いなどですべてが当てはまるわけではないが、やはりその日の心構えのために読んでおきたい一冊。
本書の中でNHKスペシャルのドキュメンタリー『奪還 ジョージ・フォアマン45歳の挑戦』を見つつ、「奇跡」について考察しているくだりがある。取材者は沢木耕太郎。そして沢木のボクシングのノンフィクションといったらこれだろう。
本書の中で語られている「最後の晩餐」。ニュースステーションの企画は私もとても好きだった。どこかで文庫にしないかなあ。