プランター菜園のプチトマトを採り、Tシャツできゅきゅっと拭い口に運びかけて逡巡する。このトマト、というか、トマトについているかもしれない土に、寄生虫は潜んでいないだろうか。いや、むしろそれならば食べたほうがいいのだろうか。毎年花粉症に苦しむ身としては。
ほんの数十年前には、身の回りに寄生虫がうようよいた。しかし今では私たちはそれらを遠ざけることに成功している。子供のおしりに緑のシールを押し付ける蟯虫検査。今でも寄生虫は駆除されるべき存在として索敵され続けていて、懐かしいと思い出されるあれは、変わらず保護者の毎年の仕事だ。
でももしかしたら、花粉症などの免疫機能の過剰反応による症状の一部は、私たちが体内から寄生虫を失ってしまったせいかもしれないと言ったら、どう思われるだろうか。
私たちは自分たちこそが進化に成功した、地球の主人公なのだという過去の主張を、最近の本は否定する。どうやらこれもその類の一冊なのだな、そう感じられるだろう。最近ありがちな進化の本ね、ヒトが進化の頂点にいるってのは思い違いです、もっと自然を大事にしましょう、そんな本ね、そう思われるかもしれない。しかし読み始め半ばを過ぎるころには、何か変だぞ、この本は何を言おうとしているんだ、と、まごまごするようになる。
寄生虫を入り口に、人類が共生してきた生き物、捕食者、病気との関係を追いかけながら、本書は、人類がそれらに適応するように進化してきたというだけでなく、周囲の環境を生存しやすいように変化させることで招いた新しい問題について論じていく。
世界が人を変え、人が世界を変える―――。進化の本質は何なのだろうか。それは、今私たちがとる行動に、どんな影響を及ぼしているのだろうか。思いもしない例が提示され、抱いていた常識が壊され、いったい読者をどこに連れて行こうとしているのか、夢中になってページをめくるうちに、一つの答えが提示される。生存しやすいように環境を変化させたことで招いた新しい問題、つまり、共生する生き物を選択し、相互に関係しあい、捕食者を排除し、病気を克服してきたこと。世界を変えたことで後に残る進化の落し胤に対処するために、どうすればよいのか。答えの一つを紹介して本書は幕を閉じる。
しかし、読後、読者の心が納得と満足に落ち着くことはない。本当にそれだけで私たちは幸福な毎日を送ることができるようになるのだろうか。本書で示される答えは、思考の入り口でしかないのだ。この本は、読者をそのような入り口に連れていくことで、科学の見る先を追いかけたくさせる。そんな興奮と冒険心に火をつける一冊なのである。