著者はHONZに「青木薫のサイエンス通信」を寄稿いただいている翻訳家の青木薫さんだ。英文雑誌「THE NEW YORKER」からサイエンスの話題を拾うこのエッセイだけを読みにくるという熱烈なファンもいるようだ。今月は「アルツハイマー先制治療――あなたならどうする」だ。一般向けの科学書作家として、現代最高峰のサイモン・シンの日本語訳はすべて青木さんの手のよるものである。翻訳者といっても英文学科の卒業ではない。専門は理論物理学。京都大学から「原子核間ポテンシャルのパリティ依存性及び角運動量依存性に関する微視的研究」で理学博士号を授与されている。神々しさにおもわず手を合わせて拝みたくなる。
そんな青木さんに書き下ろしエッセイの連載を依頼しようと、今年の1月出張帰りの彼女を東京駅で待ちぶせした。2時間ほども話し込み、エッセイ執筆の検討だけはしてみましょうという約束をいただいた。人を説得するにあたって、相手の疲弊を待つことは、成功の要諦である。もちろん本業の翻訳予定についても伺った。すでに脱稿間近の原稿があるという。『量子革命』という20世紀初頭の物理学者列伝のような本らしい。のちにこの本は2013年2冊目のNo.1としてHONZで紹介した。
青木さんはさらに自著も執筆中だと付け加えた。内容は宇宙論だという。ボクは反射的に、
「いやあ、人間原理だけは勘弁してくださいよ。わーけわかんないし、第一気持ち悪いですよねえ。あはははは」
と、言ってしまったのだ。
青木さんはニッコリと、しかし何本かの細かい顔面筋を引きつらせながらポツリと、
「その人間原理について書くんです」
腰が抜けそうになった。
本書がその人間原理についての本である。たしかに「わけわかんない」から本を読むのである。「気持ち悪い」から覗いてみたいのである。というわけで、大人の事情と本読みの矜持、おっとり刀で読み始めた。ちなみに「おっとり刀」とは、日本舞踊の舞扇のようにおっとりと刀を振り回すということではない。刀を腰に刺す暇もなく、手におっ取ったままで駆けつけるということだ。無意識に文字数を稼いでしまった。
はじめて人間原理について読んだのは、1989年に発行された『ホーキング、宇宙を語る』だと思う。その人間原理をカリカチュアライズして一言で説明すると「われ思う、ゆえに宇宙あり」だ。Wikipediaの人間原理のヘッダーを引用すると、
人間原理とは物理学、特に宇宙論において、宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方。「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」という論理を用いる。
とある。青木さんに「わけ分かんないし、気持ち悪いですよねえ」と言ってしまった理由がお分かりになるであろうか。宇宙は悠久の時を刻み、空間は壮大であり、人間はたまたま地球で発生した原始生命体の末裔であり、じつは同じような知的存在は宇宙に無数に存在し、そのうちに帝国軍と反乱軍に分かれて戦うものだと普通の人は思っているはずなのだ。
それがなんと「人間のために宇宙がある」などと言われても困るのだ。「君のために僕がいる」は嵐の5枚目のシングルである。頭は混乱するばかりだ。というわけで、気を取り直して本書を読み始めた。第1章は「天の動きを人間はどう見てきたか」。最初に登場するのは紀元前7世紀あたりの古代メソポタミア「カルデア人」、バビロニアを打ち建てた民族だ。このカルデア人は星座と占星術を作り上げただけでなく、惑星の存在にも気づいていたという。つづいて古代エジプトのプトレマイオス、ギリシャのプラトンやアリストテレス、時代は下ってコペルニクス、そしてカントへと、かれらがどう宇宙を見ていたかを概観する。
本書は宇宙論の本だから、科学史全般の入門書とはいささか趣が異なる。まずは惑星が恒星の間を移動する速さが変化することや、惑星の進行方向が逆転することを、古代の科学者がどのように解釈したかを、現代人に判りやすく説明してくれるのだ。プラトンは「等速円運動を仮定して、惑星運動の現象を救うにはどうすれば良いのか」と考えたのだという。この等速円運動の呪縛(実際の惑星は楕円軌道を描く)はケプラーが登場するまで2000年間続くことになったという。
第1章はさらにつづけて、科学と哲学にまさにコペルニクス的転回をもたらしたコペルニクスに光を当てる。地動説を得て、啓蒙主義者たちは「コペルニクスは人間を宇宙の中心から追い出した」というメッセージを世に送り出し、カントやゲーテなどの哲学者がそれに反応した。やがて科学者や思想家は「科学の道」すなわち人間の尊厳などとは関係なく、われわれの外側に広がる宇宙を明らかにする道と、「人文学の道」すなわち人間の尊厳や価値、人間存在の意味などについて考える道という、2本の道に分かれて進むことになった。そして、その別々の道は20世紀半ば「人間原理」で相まみえることになったというのである。
44ページの文章を数100文字に要約したのだから、いささか煩雑に感じたかもしれない。しかし、この第1章で提示された2本の道という伏線は、本書が上質のサイエンスミステリーであることを予感させてくれる。第2章以降はニュートンの重力理論と「宇宙論的な神の存在証明」、聖アウグスティヌスの思想とビッグバン・モデルの酷似、ディラックの巨大数一致の偶然性など、読者の興味を巧みに惹きながら、本筋とトリビアを織り交ぜて物語を紡ぎ上げていく。
本書を読み終えて「人間原理」が戯言だという印象は消え去った。むしろ、そうであらねばならぬとも思った。その「人間原理」という科学思想のもと、21世紀にはいかなる科学や哲学が生まれてくるのであろうか。宇宙について人間は、結論を見出したのではなく、やっと出発点を見つけただけなのかもしれない。珠玉の一冊。
成毛眞によるレビューはこちら