『プラトーン』、『7月4日に生まれて』、『JFK』をはじめ数々の名作を世に送り出し、2度のアカデミー賞に輝いた巨匠オリバー・ストーンが、ドキュメンタリー制作を通じてアメリカの現代史を問い直した成果がここに結実した。本シリーズは、最新資料による裏づけをもってアメリカの黒歴史を暴いた歴史大作である。
人類の歴史を振り返ってみても、現在のアメリカの軍事力は圧倒的である。ここ500年の歴史を見ても、アメリカほどの規模の国防費や軍隊の人員を有した国は存在しない。大英帝国の全盛期ですらアメリカの比ではない。カール大帝の帝国には版図が西ヨーロッパに限られていた。ローマ帝国はもっと勢力を広げたが、当時はペルシャにも大帝国が存在し、中国にはさらに大きな帝国があった。
だが、軍事力の規模をもって単純にアメリカを「帝国」と呼ぶには違和感がある。アメリカが帝国なのかそうでないのかが分かりにくいのは、その支配力と行動は帝国特有のものでありながら、従来の帝国とは装いが異なるからである。
アメリカの植民地主義的な企てはたいてい海外への経済進出に付随しており、一部から「門戸開放」帝国と呼ばれる形を取ってきた。実際の人民や領土よりも市場を支配するなどして経済を統治することに関心を抱く。その反面、経済的利益や民間投資が脅かされそうになれば軍事力に物を言わせ、他国を長期にわたって占領してきた。
意外に思われるかもしれないが、元々アメリカは他国に干渉してまで利権を獲得しようする拡張侵略政策を取り続けてきたわけではない。じつは建国以来のアメリカ外交の基本原則は「孤立主義」であった。
第一次世界大戦の勃発当初も、アメリカはこれをヨーロッパの戦争とみなし、時の大統領トマス・ウッドロウ・ウィルソンも中立政策を取ろうと試みている。しかしその中立は名目に過ぎず、経済的な利害関係からいえばアメリカは間違いなく連合国側にあった。何より、戦争が始まった1914年からアメリカが参戦する1917年までの間のアメリカ諸銀行の融資額は、連合国の25億ドルに対し中央同盟にはたったの2700万ドルという数字が実情を物語っている。
しかし、このときの戦後処理が思わぬ副産物を生むこととなる。
戦後、和平はドイツにとってとりわけ重い負担となり、賠償金は総額330億ドルにのぼった。この賠償金と「戦争犯罪条項」が戦後のドイツに敵愾心に満ちた不安定な環境を生み出したのではあるが、その影響はときに強調されすぎてきた嫌いがある。事実、賠償金も1921年に始まった実際の返済は、ドイツの返済能力に応じて何度も下方修正されている。「戦争犯罪条項」第231条も「犯罪」については触れておらず、戦争に対するすべての損失・損害に対する賠償に責任があると述べているだけであった。
しかし、ヒトラーをはじめとするドイツ右翼により「敗北と連合軍の報復で、自分たちは戦後必要以上に酷な仕打ちを受けている」という国民感情の扇動に利用されることとなる。経済的な利害関係に突き動かされ第一次大戦に参戦したアメリカは、戦後賠償により目論見どおりの見返りを得ることは出来たが、間接的にであれドイツの右傾化のきっかけを生み、第二次世界大戦の火種をまくこととなった。
歴史は繰り返す。経済的利益のために軍事力にものを言わせるアメリカのやり口が、20世紀史上「最悪」の惨劇を引き起こすこととなる。
第二次世界大戦末期、アメリカが不本意ながらも日本に原爆を落としたのは、日本に侵攻すれば死ぬことになる、何十万という若者の命を救うためだった、とアメリカ国民は一貫して教えられてきた。しかし事実はもっと複雑であり、はるかに人の心に重くのしかかる。
ナチス殲滅が第一と考えるアメリカは、軍の主力をヨーロッパ戦線に送り込んでいた。日本を下してもドイツは倒せないが、ドイツを叩き伏せれば「おそらく一個の弾丸を撃つことも、一人の兵を失うこともなく」日本を倒せるというのが当時の大統領ルーズベルトの考えだった。
だが、皮肉にも日本が降伏に踏み切れない大きな原因を生み出したのも実はルーズベルト本人であった。1943年1月、彼はカサブランカでドイツ、イタリア、日本の「無条件降伏」を要求したが、日本人にとってこの要求の受容には計り知れない意味合いがあった。
日本人は、「無条件降伏」が国体(天皇制)の廃止と、天皇が戦争犯罪人として裁判にかけられて処刑される見通しを意味すると考えた。1945年、戦況がさらに不利になると、日本政府の指導者には降伏より死を選ぶべしという「一億層玉砕」を声高に唱えるものも出てきた。今や「無条件降伏」という「致命的な文言」が戦争終結の障害になりつつあった。
さらに事態は急転する。ドイツ降伏を目前にした1945年4月2日、戦時中のアメリカを率い国民に敬慕された、あのルーズベルト大統領が、12年以上にわたってその職務を果たしたあげくに死去したのだ。
副大統領から急きょ昇進したトルーマンはアメリカ史上最も重大な決断を下すことを迫られる。4月12日の緊急内閣会議のあと、ヘンリー・スティムソン陸軍長官から原子爆弾の秘密がトルーマンに明かされる。5月7日には、東側からベルリンに攻め入ったソ連軍と、西側から攻めてくる連合国軍の板挟みになり、ドイツ軍は降伏。これが意味したのは、ヤルタ会談での合意にもとづいて、ソ連が8月7日をめどに太平洋戦争に参戦するということであった。だが8月7日と言えば、連合国が日本を侵攻する予定の11月1にはまだ3ヶ月ばかりあった。
7月16日、ニューメキシコ州アラモゴルドで行われた初の原爆実験は成功を収める。報告を受けたトルーマンは、これでソ連の手を借りずともアメリカが望む条件で日本の降伏を早期に実現でき、ソ連に確約していた領土と経済上の譲歩もする必要がなくなったと考えた。原爆実験の成功によって、トルーマンは世界で最も恐れられた独裁者スターリンを前にそびえ立つ巨人になったのだ。もはや原爆投下を思い留まらせようとする、いかなる者の意見も彼の耳には届かなかった。
広島への原爆投下を知ったとき、トルーマンはポツダムを離れるアメリカの重巡洋艦オーガスタ上で食事中だった。彼は飛び上がって叫んだ。「これは史上最大の出来事だ!」しばらしくて彼は、広島への原爆投下の発表は自分がした中で「最も心躍る」仕事だったと語った。
ソ連の指導者は喜ぶどころの騒ぎではなかった。すでに瀕死の状態にある国家を叩きのめすのに原爆は必要ないと承知していたことから、彼らは真の標的がソ連であると結論づける。アメリカは原爆投下によって日本の降伏を早め、ソ連がアジアの覇者になるのを阻もうとしたと考えたのである。
さらに彼らの不安を煽ったのは、アメリカが明らかに無用と思われる局面で広島に原爆を投下したのは、仮にソ連がアメリカの国益を脅かすようなことがあれば、アメリカはソ連に対して原爆を使用することも辞さないという意志の現われと推測できることだった。
日本の指導者は広島直後、ソ連に仲裁の意思があるかについて早急な回答を求める。8月9日早朝、強力なソ連赤軍が満州、朝鮮、サハリン、千島列島に配備された日本軍をやすやすと爆破したとき、その答えは一目瞭然だった。
ソ連軍の攻撃に衝撃を受けた日本の高官は緊急会議を開き、その席で長崎への原爆投下を知る。アメリカに日本の都市を蹂躙する能力と意思があることはすでに実証済みであり、この発表も会議の参加者が無条件に傾く理由にはならなかった。
しかし日本の指導者たちは、ソ連侵攻にすっかり意気消沈していた。それはソ連に対する日本の外交努力も、アメリカの侵攻にひたすら抵抗を試みている日本の決号作戦も完璧に破綻したことを意味していた。
「ソ連が満州、朝鮮、樺太ばかりでなく、北海道にもくるだろう。そうなれば日本の土台を壊してしまう。相手がアメリカであるうちに始末をつけねばならないのです」
と鈴木首相は明言。こうして、ソ連赤軍が今にも本土に押し寄せようとするなか、日本の指導者たちは天皇制の存続により理解を示すと思われるアメリカに降伏すると決定を下した。
結局、皮肉にもアメリカによる原爆投下は日本降伏の決定的原因となりえなかったばかりか、アメリカに対するソ連の不信感を煽り、大戦終結後ほどなくして冷戦を引き起こす火種を残したに過ぎなかったのである。
イギリス植民以来、アメリカが自国の歴史を語る上で用いられるのは「ピューリタン」による建国神話のアナロジーであった。彼らは神と人との新たなる契約に基づいて新大陸に理想の楽園を建設することが自分たちの使命だと信じ、西部開拓以降もフロンティアを求めて領土を拡大することこそが「マニフェスト・デスティニー」だとして正当化されてきた。
本書で描かれる「もうひとつのアメリカ史」は、一見するとこの理想化された建国神話とはまるで正反対の、アメリカの負の記述が延々と続いていくのだが、その暗部の核心に迫ろうとする気迫は凄まじい。その深い闇のさらに先に透けて見えるものは絶望感ではなく、むしろ希望であるように感じる。
これほどまでに躊躇なく自国の暗部を見据え、公然と衆目に自国の「恥部」をさらけ出すことが出来るのは、オリバー・ストーンがアメリカの理想を実は誰よりも信じており、自国の過去の罪状を告発することでアメリカを”浄化”(Purify)出来るという考えや信念を抱いているからこそではないか。そして過去に学ぶことで、次世代にこそアメリカの真の理想を実現してほしいというメッセージが込められているのではないか。私にはそう思えてならない。
本書からは、一時よりは陰りが見えたとは言え、いまだに世界に超大国として君臨するアメリカの歴史観や思考様式も勿論学ぶことが出来る。国家・企業・個人が国際政治・経済のパワーゲームで伍していくためにも、それらは大切な学びであることは間違いない。
しかし本書から真に学ぶべきは、思わず目を背けたくなる自国や自身の失敗に透徹した眼差しを向ける「客観性」と、理想を信じ将来や次世代にその希望を託さんとする「主観性」をいかにあわせ持つか、その知性や哲学ではないだろうか。自国にこれだけ強力な浄化作用を促すカルチュラル・ソフトウェアを保持していることこそがアメリカの真の強みでもあり、その仕組みと源泉を分析し学び取ることこそが地域文化研究の意義だと私は考える。
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続巻からも目が離せない。第二次大戦終了、冷戦の始まり、ケネディ政権とキューバ危機、ヴェトナム戦争とニクソン大統領辞任まで、鋭い筆致で一気に語り尽くす。
「もうひとつの」アメリカ史を読む前に、現代アメリカを読み解くための必須の基礎知識や歴史的視点を総ざらいするには最適の一冊。
銃規制をはじめ、なぜアメリカ社会が「性」と「暴力」という前近代的な問題に悩まされ続けているのか、国家の成り立ちから解き明かす。