『記憶力を強くする』、『進化しすぎた脳』などのヒット作で知られる脳研究者の著者による、脳科学の最新知見がこれでもかと盛り込まれたエッセイ集である。349Pの本書の巻末に参考文献として挙げられている論文の数は207にも上り、著者自ら“情報の洪水”と言っているのも頷ける。一見バラバラなトピックの寄せ集めだが、その中核にはきっちり、“脳と身体の因果関係への考察”というテーマが据えられており、楽しい寄り道をしながら大きな結論へと導いてくれる。
全26章で取り上げられる研究は、「XXXすれば脳の○○○が活性化して、△△△能力が向上する」という脳科学にこびりつく歪んだイメージの範囲を飛び越えて、行動経済学、進化生物学、栄養学などの領域にまで広がっている。とにかく、あっと驚く人間の特性を暴きだす研究結果が満載なのだ。本書を読んで、やっぱりサイエンスは最高のエンターテインメントだと再確認した。サイエンス本を苦手としてきた人にこそオススメしたい。こんな楽しいものを研究者や一部の理系人間に独占させておくのはもったいない。
多岐に渡る本書のトピックは簡潔に説明するためにその詳細が割愛されている場合も多く、気になる研究については「もっと深く知りたい!」と思うはずだ。以下では、本書の各章で紹介されている研究の一部と、その分野に関連する私のオススメのサイエンス本を紹介する。本書をきっかけにどっぷりサイエンスの世界に浸かって欲しい。
第1章 脳は妙にIQに左右される
様々な動物で「脳重量は体重の0.75乗に比例する」という法則が当てはまるのだが、ヒトだけはこの法則から予測されるよりも圧倒的に大きな脳を持っている。では、脳が大きいほど人ほどその知能は高いといえるのだろうか。意外なことに、この答えはYesのようだ。カリフォルア大学の研究によると、大脳皮質の厚い人ほどIQが高く、大脳皮質の中でも特に「前頭前野」と「後側頭葉」が決め手であるらしい。
本章では、IQと身体能力の関係、IQの加齢による変化に関する研究も紹介されている。
本章に関連した本として『一万年の進化爆発 文明が進化を加速した』を紹介したい。IQがテーマの本ではないが、農業を生み出して以降の人類がどれだけ劇的に進化しているか、その進化が人類にどのような変化をもたらしたかが描かれており、ヨーロッパ系ユダヤ人に傑出した学者が多い理由、IQが高い理由にも迫っている。IQと遺伝子の関係性は多くのデリケートな問題が関わってくるので、真正面から取り扱っている本は多くはないが、新刊『遺伝子の不都合な真実: すべての能力は遺伝である』ではこの問題がなぜ語り難いのか、そして、その真実はどこにあるのかについて大胆に切り込んでいる。生物のスケールが及ぼす影響を考察する本では古典的名著『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学』や生物に直接記録装置を取り付けてその行動パターンを研究するデータロギングサイエンス分野の『巨大翼竜は飛べたのか-スケールと行動の動物学』も抑えておきたい。
第5章 脳は妙に知ったかぶる
アガサ・クリスティが生涯で何冊の長編小説を書いたか知っているだろうか?
ある調査結果では返答の平均値は51冊となったようだ。正解は66冊なので、なかなか良い線と言えるかもしれないが、興味深いのは回答と正解の差ではない。調査からしばらく経ってから、この調査の参加者に正解が66冊であることを伝えてから「あの時、あなたは何冊だと推定しましたか?」と聞くと、返答の平均値は63冊に増加する。つまり、私達には「自分は結構物知りだ」と知ったかぶるクセがあるのだ。
このような後知恵バイアス以外にも、人間には様々なバイアスがあり、この章では所有がもたらす価値の上昇や直感の誤りに関する研究も紹介されている。
この認知バイアスの内容は行動経済学で取り扱われることも多く、オススメなのは『不合理だからすべてがうまくいく 』だ。『予想どおりに不合理』で人間の不合理性を暴き出す巧みな実験設計による驚くべき結果を示したダン・アリエリーの手によるこの本は、不合理性が我々にどのようにポジティブな影響を与えているかを豊富な事例で説明している。巨額ボーナスはパフォーマンスを向上させるのか、というトピックでは我々の働く意味についても考えさせられる。人間の不可思議な部分に注目することで、人間の本質について考えさせられる一冊である。また、『医者は現場でどう考えるか』も人間の思考に潜むバイアスとそれに対する対処法が解説されている。特に、不確実性対する考え方、対処法が興味深い。不確実性下における意思決定モデルの一つであるプロスペクト理論の生みの親の1人であるノーベル賞経済学者カーネマンの『ダニエル・カーネマン心理と経済を語る』も面白い。
第11章 脳は妙に笑顔を作る
不老不死は人類の永遠の願いである。特に、科学技術の進歩に伴い不老については様々な手法が発達している。ボツリヌス菌の毒素であるボトックスは、筋肉を弛緩させる作用があり、顔に注射するとシワができにくくなるということで、一部の女性に人気である。しかし、このボトックスには意外な副作用がある。ボトックス使用者は、相手の感情を読み取り難くなるというのだ。感情を表現し難くなるだけではなく、読み取り難くもなるのだから何とも不思議に感じる。この実験を行った研究者は、我々は「無意識のうちに相手の表情を模倣しながら、相手の感情を解釈している」ので、自分の表情が乏しくなると、相手の感情を読み取る力も衰えるのではないかと推測している。
この章では笑顔を作ると楽しくなる、姿勢を正せば自信が出てくる、という従来の心と身体の因果関係が逆転する事例を多数紹介しながら、「形から入る」ことの有効性が提示されている。
脳と身体の切っても切れない関係性については、そのものズバリのタイトル『脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方』をオススメしたい。ジョギングしたら頭がクリアになったという経験のある人も多いだろうが、その感覚は幻想ではない。というのも、運動によって実際に脳内物質の分泌が促進されるのだ。この本からは運動のもたらす多くの効果について知ることができる。それでも運動する気が沸いてこない人は、人類はなぜ走るのかという究極の疑問を、メキシコ秘境に住む”走る民族”タラウマラ族に密着して追いかける『BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族” 』を読んで欲しい。読了するころには、ジョギングウェアを注文しているはずだ。
長寿に関する本はヤマのように出ているが、老化に関するナゾを解くカギを握っているのは、WIREDでも紹介されているハダカデバネズミという奇妙な見た目で変な名前の動物かもしれない。『ハダカデバネズミ―女王・兵隊・ふとん係』ではその不思議な生態が楽しく説明されている。
第18章 脳は妙に食にこだわる
栄養学の専門家には長い間冷たい視線が向けられてきた。というのも、過去の研究は実験デザインが適切でないのに、確定的な結論が導かれているものが多く、「XXXを食べれば頭が良くなる!」という営利活動に直接結び付けられてきたこともあるからだ。そんな中オックスフォード大のゲシュ博士ら適切は方法で研究を重ね、ついに『サイエンス』へ論文が掲載された。その論文は「ビタミン剤を飲むと犯罪が減る」という、いかにも疑いたくなる結論だが、この研究はイギリスの囚人232人に二重盲検法で2年間に渡って行われたものである。栄養サプリメントを与えたグループはプラセボを与えられたグループと比べて、35%も暴力行動が減ったというのである。囚人以外にも効果があるかが気になるところだ。
本章では胃腸と脳の関係性、身体に良いとされている食品・栄養素のリスト、更にはこのようなデータにどのように付き合うべきかがまとめられている。
人間と食事の関係を考える上で忘れることができないのが、“火”の存在だ。人類の身体は、火で調理した食事を前提とした進化を遂げている、というのがこちら『火の賜物―ヒトは料理で進化した』。レバ刺し禁止が話題になったが、もう一度火の恩恵について考えてみてもよいかもしれない。生の食材を食べることは人間にとって不自然なことのようだ。腸と脳、特にウツ、の関係に注目する本も最近多く見られるが、『腸! いい話』(土屋敦のレビュー)というイカしたタイトルの本もある。腸の機能については、『腸は第二の脳—整腸とメンタルヘルス』がまとまっている。
第19章 脳は妙に議論好き
なんと、「問題を解決するときには、複数の人数で議論をしたほうが良い」そうだ。当たり前な結論であり、どこに「なんと」と付ける余地があるのかと思われるかもしれないが、当たり前のこと明確に根拠を示して説明することは、なかなか難しい。コロンビア大学スミス博士らは、この当たり前のことを定量的に示して見せた。彼らが350人の学生に対してある問題を提示した結果、個々人で解答したときの正答率が約50%だったのに対し、小グループでのディベート後には正答率は約70%に増加したそうだ。グループの誰かが正解を知っていれば、正解が伝播するのでこれまた当たり前だと思うかもしれないが、誰も答えを知らないような問題でも同じ傾向が見られたのだ。「会議はいらない!」という意見には首肯できる部分も多いが、議論の力もあなどれない。
本章では議論に限らず、良い結果へいたるために有効であるとされている方法が科学的手法で検証されている。リーダーの存在や、気合・根性も使い方によっては有効である。
個では発揮できなかった力を集団で発揮するという特徴は人間にも当然あるだろうが、その差は人間以外の方が分かり易いかもしれない。1匹のアリからは知性を感じないが、集団で動くアリ達からは、人間以上の知性を感じることもある。そのような“知的な”群れがどのようなルールで形成され、どのような効果を発揮しているかを改名しているのが『群れのルール 群衆の叡智を賢く活用する方法』(成毛眞のレビュー)である。群れのルールは既にビジネスの世界へも適用され始めており、自然界から学ぶことはまだまだ沢山あると痛感させられる。議論による有効な結論の導出については、『「みんなの意見」は案外正しい』『「多様な意見」はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき』という本もあり、みんなで考える方法について教えてくれる。
まだまだ紹介したいトピックと関連本は沢山ある。例えば、第20章で紹介されているヒトとネアンデルタール人の交配の話は『化石の分子生物学――生命進化の謎を解く』で具体的にどのような方法でその証拠が突き止められたか語られているし、そのDNA解析の手法であるPCRを開発したマリス博士の自伝『マリス博士の奇想天外な人生』はとんでもなく面白い。とは言え、ここまでで既に21冊を紹介しており、とっくにお腹一杯だと思うので、この辺りで止めておこう。
本書『脳には妙なクセがある』は11章、22章、26章をバックボーンとしながら、わたし達の脳は身体感覚による入力よりも、身体運動による出力を重要視していると説明する。「何事も始めた事点で、もう半分終わったようなもの」と言う様に、まず身体を動かして始めるということは想像以上に必要なことなのかもしれない。著者は以下のように主張する。
よく生きるためには、「よい経験が一番だ」
では、どうすれば「よい経験」ができるのか。「先ずは本で調べて、勉強しよう!」と思ったあなたは立派な活字中毒だ。しかし、良い読書体験が「よい経験」であることは間違いない。
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科学的情報から切り離されて生きていくことなど不可能な現代において、どのように専門的な情報と向き合えばよいのかという科学リテラシーについてまとめられた一冊。ベーシックな内容から簡潔にまとめられているので読みやすい。
サイエンスの源流を古代ギリシャにまで辿り、2000年に渡る歴史を概観する、科学史入門にうってつけの一冊。日本と欧米諸国の科学に対する考え方の違いも、このように俯瞰すると理解し易い。タイトルは本書の主題ではない。
元大学教授、小説家の森博嗣による、科学とは何なのかを考える一冊。なぜ科学的思考方法が重要なのか、その構造はどのようなものなのか、そして、それを実際の生活でどのようあに使うのか、を考察していく。
サイエンス本というより伝記本なのかもしれないが、科学の楽しさ、人生の楽しさを伝えてくれる。ノーベル賞物理学者であるファインマンさんの人生に触れると、なんとも希望が溢れてきて、じっとしていられなくなる。生涯不動のベスト1。