誰だって物事が上手く進まなかったり、失敗したりすることで、回り道を強いられることがある。しかし、その時はショックであったことでも、後から振り返ると「なんであんなことで落ち込んでいたんだろう」と思うようになることもある。
僕にとってHONZというのは、まさにそういう存在だ。何を隠そう、僕は現・HONZメンバーで唯一の「HONZに落ちた男」なのである。そんな僕の目から見たHONZに入るまでのこと、そして入った後のこと。
HONZ以前
「あ〜ぁ」と会社の喫煙室で大きなため息をついたのは、2011年1月5日のことだった。手にしたiPhoneで見ていたのは成毛眞ブログ。その日に発表された「本のキュレーター勉強会」(当時)の合格者の中に、僕の名前はなかった。
ビジネス本ばかりをベスト10に選出してしまったことから、多分落ちるだろうなとは思っていた。しかし、何よりショックだったのは、合格者たちの選出した本が、とにかく面白そうであったということである。こんな世界もあるのかと思いっきり目を見開かされた僕は、きっと1年後にも応募があるに違いないと勝手に思い、それまでの読書傾向を一変することを決意した。
数ヶ月間ほど「本のキュレーター勉強会」の模様を眺めていて、一つだけ分かったことがあった。どうも普段通っている本屋では、HONZで紹介されているような本を見つけることができない。そう思った僕は、ちょうど約一年前のGW初日、丸善丸の内店へと向かった。そして、新刊が置いてある棚の前に立ち、そこにある本30冊程度を全て買うことから始めてみたのだ。
GW中は一歩も外へ出ずに、購入した本を片っ端から読み漁ってみた。するとどうだろう?その時に読んだ本のいくつかが、「本のキュレーター勉強会」のメンバー達が選んだ本とカブり出していくではないか。ふっふっふっ、ここら辺がメンバー達の圏域か。待ってろHONZ!
ひとりHONZ
実は、僕の読書歴というのは非常に浅い。いわゆる土台がないわけだから書評の質には目をつぶって、インプットの量とアウトプットの速さのみを心がけるようにした。そうこうしているうちに、本格的に読書にハマっている自分に気が付く。本を読むことも書評を書くことも、とにかく楽しくて仕方がなくなってきたのだ。
気分はひとりHONZ。密かにメンバーへ対抗心を燃やしている時期もあった。メンバー達が選びそうな本ばかりを狙い撃ちして、彼らよりも速く書評を書くのだ。そうすることで、いつの日かメンバーの人達が気づいてくれるかもしれない、そんな思いもあったのは確かだ。ちなみに後に知ることとなるのだが、メンバー達が僕の存在に気付いていたフシは全くない・・・
突然のメッセージ
2011年7月15日、「本のキュレーター勉強会」がHONZへと様変わりした。まさに、その日のことである。こんなサイトになったのかなどと思いながらHONZを眺めていたら、突然Facebookにメッセージが。そこに書かれていたのは、代表・成毛眞からの「内藤さん、HONZに入りませんか?」という目を疑うようなメッセージだったのだ。
予兆はあった。その数日前に、とある本の書評を書いた時のこと。ブログの更新を知らせたFacebookのウォール上に”せっかくの厚めの本の書評、あと400字がんばってほしい!”という成毛眞からのコメントが入っていたのだ。それでもその時には、次年度の応募の際にちょっとは有利になるかなくらいにしか思っていなかった。
即座に「お願いします!」と返信。声を掛けてもらったことにも驚いたのだが、オープンしたその日にレビューアーの増強に動いているという、成毛眞の経営者的な目線にも驚かされた。
まさかの二度目の落選?
そんな訳で、まずはHONZの編集長・土屋敦と会うこととなる。しかし、てっきりHONZに入れるものだと思ってノコノコと出かけていった僕がバカだった。そこで受けたのは鬼編集長からの厳しい指摘。要は「読んだ本が自分のものになっていない」というものであった。本のキュレーター勉強会に落ちた人は50人位いると思う。しかし、二度まで落ちた人は僕くらいだろうな、そんなことを思いながら、トボトボと帰ってくる羽目になったのだ。
ところが鬼編集長は、ただの鬼ではなかった。それから約一ヶ月、自分なりに書評を改良し、更新し続けた甲斐があったのだろうか。鬼編集長から次の定例会に参加するようにとのメッセージ。その時は良く分からなかったのだが、行ってみたらそれがHONZに入るということであったのだ。
その日は、その後も奇妙なことばかりが続いた。なぜ成毛眞に挨拶もしていないのに、誕生日祝いのダンスを踊っているのか、なぜハマザキカクという人は新刊じゃない本ばかりを紹介しているのか。???のオンパレード。それでも何とかついていけたのは、ノンフィクションの本が好きという共通の趣味嗜好があったからであった。
書評ではなく勝手広告を
HONZには副代表の東えりか、編集長の土屋敦という二人のプロの書評家がいる。この二人を真似しようとしたら怪我をするなということだけが、自分がHONZに入ってすぐに理解できたことであった。もちろん代表の成毛眞もそうなのだが、本に関する引き出しの数が半端ない。まさに人間そのものがリファレンスエンジンという印象であり、その知識が書評の端々にまで表現されているのだ。
結局僕がどれだけ上手く書評を書こうとしても、彼らに敵うわけがない。だけど思い起こせば、僕だって広告のプロフェッショナルだ。そうか!書評を書こうと思うからいけないのだ、広告を作ろうと思えばいいんだ。そう思ったあたりから、自分の立ち位置が明確になってきた。
広告の中には勝手広告というジャンルがある。特に企業の許可を取らずに、勝手に作成し発表した広告風作品のことだ。勝手に作るわけだから制約があるわけではないし、自由で特有の悪ノリ感がある。そんな風に書評を作ることが出来れば、通常とは違う回路でコミュニケーションできるのではないかと考えたのだ。
僕が自分のレビューを本当に届けたいと思っているのは、かつての自分のような、本に対して無関心であったはずの人たちなのである。
「2割だけノマド」というワークスタイル
さて、組織体としてのHONZについてなのだが、その性格を特徴づけているのは、メンバーみんなが本業を別に持っているということに尽きると思う。しかし幸か不幸か今の時代、多少のことに目をつむれば、本を探すこと、本を買うこと、本を読むこと、書評を書くこと、いずれも時間や場所を選ばない。
僕としては、自分のスキマ時間を集積して、全体の2割ほどの時間をノマドワーキングに割いているという感覚だ。そして、そんな各人の部分の集合体が、HONZというノマド型の組織なのである。これは流行っているからとかそういう理由ではなく、そうでなければ成立しえなかったということなのだ。そういえばメンバーの久保洋介には、まだ会ったことがない。
毎日のエントリーが会議の代わり
HONZのメンバーが目的をもって一同に会すのは、月一回の朝会の時のみだ。しかし、それでも組織体が回っているのは、毎日のエントリーが情報共有会議の役割も果たしているということなのではないかと感じている。
朝会が同期的・広場型の会議なら、日々のエントリーは非同期的・フィード型の会議というわけだ。これを可能にしているのが、共通のカルチャーをベースに持っているということ。それは差異を面白がるということだったり、本の使い方を分かっているということであったりする。
毎日のエントリーから読み取れるメンバー自身の情報というのは、案外多いものだ。村上浩が2000文字程度しかレビューを書いていなかったら相当仕事が忙しくなっているはずだし、栗下直也が真面目な本ばかり取り上げていたら、病気の可能性も否定はできない。
結局メンバーのエントリーを一番楽しみにしているのも、一番被害者となっているのも、ほかならぬメンバー達自身なのである。そして、これらを愚直にパブリックに晒していたら、同志たちがネット上で可視化されてきた。現在の状況というのは、そんな感じなのではないかと思う。
一年前の今頃、後に関西弁を喋る分子生物学者やクイズの女王と知り合いになるだなんて、誰が想像できただろうか。ただひたすら、本を読み続けてきただけなのに。
こんな奇天烈な集団であるHONZだが、この先の展開が全く読めないのも大きな魅力の一つだと思う。このエントリーを読んでいるあなただって、いつ巻き込まれるか分かったものではないので油断は禁物ですよ。皆様どうぞ、今後ともHONZをよろしくお願いいたします。