本書は、邪馬台国や大和政権が活躍した弥生時代・古墳時代の歴史を貿易という視点からとらえなおす本だ。筆者は、古代にも日本の対外貿易や異文化の導入をリードした「総合商社」が存在したのでは、と仮説をたてる。
日本は昔から海外の技術・文化を吸収して、独自の文化・経済を育んできた。早くも弥生時代には、水稲稲作技術・青銅器・鉄器などが中国や朝鮮半島から日本列島に伝わっている。では一体、誰がどうやって、これら技術や物品を運んできたのだろうか。
そこには、交易や技術移転などを得意とする海人集団が存在したと筆者は考えている(筆者はこの集団を「古代商社」と名付けている)。筆者は、古代商社マンが持ち込む情報や物品が、日本列島を変容させていったと言うのだ。例えば、彼らが持ち込む金属素材で作った農耕具が農作物の生産性を増大させ、彼らが持ち込む殺傷力の強い武器(鉄器)によって弥生社会に富と権力の分化(階層化)が生じるようになったという具合である。
本書は序章で著者の上記仮説を説明した後、第一章では古代商社の機能と活動拠点を考察し、第二章ではそのビジネスモデルの変遷を説明する。そして第三章では阿曇氏と宗像氏という古代商社ビッグ2を比較し(ちなみに著者はこの2集団をそれぞれ阿曇商事、宗像物産と呼んでいる)、最後の第四章で古代商社の具体的なビジネス内容に迫るという章立てだ。
第二章に書かれてある、日本列島への製鉄技術の移転が遅れた理由は(鉄器が日本列島に入ってきてから製鉄業が興るまで、実に600~700年以上の歳月がたっている)、自らの稼ぎ頭である鉄輸入事業が縮小することを嫌った古代商社が、技術移転を顧客に依頼されても本気を出さなかったから、との指摘にはなるほどなと思わされた。このように、本書には、従来の日本史ではあまり取り上げられなかった事象に対する新たな歴史解釈が随所に散りばめられている。
さすが元商社マンの著者だけあって、その内容はあくまで仮説に過ぎないのだが、とてもリアリティーに富んでいる。古代商社のビジネスの展開方法や、取引の決済方法、在庫戦略、リスク管理方法など、普通の学者では思い付かない(想像できない)であろう視点から分析を試みている。
著者自身も認めるように、本書の内容は元商社マンの想像や勘に基づくものなので、学術的な真偽は今後の更なる研究が必要である。ただいつの時代も歴史的変動は権力者の動静に視点が当てられがちな日本史において、経済や政治を動かし、時に歴史そのものを動かしていた貿易商人たちの動きに焦点を当てたという意味で、本書は一読の価値ある内容となっている。