昭和40年代、札幌の小学生たちの社会科見学といえば、雪印乳業やサッポロビールの工場などが人気スポットだったが、小樽近辺にある鰊御殿もかならず訪れる場所だった。鰊御殿とは鰊漁の網元たちが建てた豪奢な自宅である。1890年代から建築がはじまり、いまでも10棟以上が文化財として保護されている。鰊漁の最盛期は1932年。それ以降漁獲高は減り続け、遠い過去の記憶となってしまった。本書は大正9年に生まれ、網元で育った最後の目撃者による記録である。
版元は幻冬舎ルネッサンスだから自費出版である。自費出版といえばご老人が人生の最期に自叙伝や旅行記などを身内や知人に配るための手段と思われがちだが、最近は事情が違ってきている。幻冬舎ルネッサンスからは10万部を超えるベストセラーが出ているし、2月だけでも7点の書籍が重版している。本書も写真やイラストなどを豊富に使い、立派な読み物であり民俗学資料にもなっている。
本書には鰊漁で使われる道具や動作を示す「枠網」「間地」「関澗」「ガンゼ」「カムイチュプ」「やん衆」「アバ」「サキリ」「ドンザ」「マネ」「くき」「出面帳」「尻つなぎ」「木架場」「角胴」「キリン」「ジョンガラさん」などという言葉がちりばまれている。すべて聞いたことはないのだが、どこか懐かしい匂いのする言葉だ。ところで、北海道電力唯一の原発である泊発電所はその旧鰊場に立地しているのだ。そこでは鰊漁で使われる言葉が消え、プルサーマルなどという言葉に切り替わった。泊原発は「一網千両」といわれた鰊漁という宴の墓碑のごとく屹立している。