あなたの家には仏壇があるだろうか?神棚は?お正月のお飾りや鏡餅はどうしてる?初詣はきまったところに行く?お札やお守りは毎年買うだろうか。
私は普通のサラリーマンの家に育ったが、あたりまえのように仏壇のとなりに神棚があった。そこには毎年どこからか頂いてくるお札が置かれ、仏壇のお供物と神棚への水は毎日祖母が上げ下げしていた。正月には注連縄を新しくし、御幣を飾った。それが普通だったのに今ではどれもしていなし、マンションの部屋の中には何もない。そんなことを気に病んだこともなかった。
『オオカミの護符』は農家の土蔵に張られた一枚のお札から話が始まる。まるで日本むかしばなしに出てくるような、黒い大きな獣のお札。今でも毎年貼られるそのお札は何なのか、丹念にルーツをさぐっていくノンフィクションだ。
どこの田舎の話かと思うだろう。しかしこれは東急田園都市線のたまプラーザ近く、住所で言えば川崎市宮前区土橋というベッドタウンの話である。渋谷まで30分足らずのおしゃれな町に隠れるように、太古からの歴史が潜んでいたのだ。
この土地に生まれ育ちながら、高度成長期の申し子のような生活を送っていた著者は、お百姓の子供であることにコンプレックスを感じていた。しかしあるとき、目の前の文化がどんどんなくなっていくことに気づく。大事なものを置き忘れたような気分のまま、ひとりハンディカムを回して伝統行事の記録を始める。そのはじめが土蔵に貼られた一枚のお札であった。
やがて仲間が増え、初プロデューサー作品のドキュメンタリー映画『オオカミの護符―里びとと山びとのあわいに』が出来上がった。地味な映画ながら多くの共感を呼び、2008年文化庁映画賞文化記録映画優秀賞、地球環境映像祭でもアース・ビジョン賞を受賞した。
私は今、土橋のごく近くに住んでいる。チラシに興味を引かれ、近くの公会堂でその映画を見た後、本を書いて欲しいとアンケートに記した。それほど衝撃的だったのだ。毎日暮らす同じ空間で、私には見えない世界が厳然と存在している。その世界を2時間あまりの映画では表現しつくすことが出来なかったのではないか、と感じたからだ。紆余曲折の上、私の願いは形になった。
土橋のその集落では今でも講を組み、毎年、青梅の武蔵御嶽神社に参拝する。代参を決め費用をみんなで負担し、翌年の当番に引き継ぐ。古文書からひもとけば、その儀式は1742年から続いているという。土橋御嶽講の一行が神社に着くと、山の社寺に属す宗教者「御師」に導かれ山頂を目指す。そこで黒い犬のお札を渡されるのだ。
果たしてこのお札は何を意味するのか、何のために里のお百姓が山の神様を詣でるのか、その謎をたどって、著者は山深くにわけ入っていく。一つの秘密が明かされると、その奥にまた違う秘密が眠っている。思いもよらない人との出会いがあり、古の人々の祈りの深さを思う。
まさに足元に眠っていた民俗学なのだが、毎日前を通るような小さな神社の由緒のなかに、廃仏毀釈の悲しい歴史が眠っていたり、モンゴルでやられているような、骨を焼いて占う「太占」がごく近くに存在していたり、と驚きの連続である。
関東の農家の多くは、この黒い獣のお札を今でももらっていると聞く。畑の中に刺さっているのを見て、何だろうと思ったことがある人もいるだろう。関東平野を一望にする山の頂から、今でもニホンオオカミの遠吠えが聞こえるような気がする。
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シカやイノシシの害が増え、猟銃会メンバーの高齢化などで駆除が追いつかない。そのためにオオカミを放つことが検討されている。
小説仕立てだが、中国の文化大革命の折にモンゴルに下放された青年が、神のオオカミと立ち向かう傑作。
日本人にとって、オオカミの存在とは何だったのか。図書館に入れてもらいたい本。