先日「新刊ちょい読み」で成毛眞が紹介し、在オーストラリアの久保洋介も「今月読む本」で紹介していた一冊。決してメジャーとは言えないテーマの本だがどこか本好きを惹きつけるものがある。
牡蠣がニューヨークの湾内に生息するようになったのは 紀元前1万年であり、1609年にイギリスの探検家・ヘンリー・ハドソンがニューヨークにたどり着くずっとずっとず〜っと以前のことだ。古代からニューヨーク周辺に住んできた人々は(彼らが入植者によってニューヨークから駆逐されるまで)牡蠣を食し続けていたわけだ。
ニューヨーク周辺から見つかる古代からの貝塚はほとんどが牡蠣の殻のみだという。しかし、一日に必要なカロリーを得るためには一人あたま、牡蠣を250個食べなければならない。アカシカ一頭分のカロリーを得るのに必要な牡蠣の数は52267個となり、重い殻に比して少ない可食部や、中身を取り出すのに手間がかかることなどを考えれば、生命を維持するための食料としては効率が悪すぎる。にもかかわらず古代からそれだけ食べられ続けてきたのは、人間がその味に魅了されたからだ、と著者は推測する。
入植者たちも同様に牡蠣に魅了された。ニューヨークは牡蠣レストランで溢れ、またヨーロッパへの主要な輸出品にもなった。18~19世紀、牡蠣といえばニューヨークであり、ニューヨークに旅するヨーロッパ人はこぞって牡蠣を食べ、彼らの友人たちは、うまい牡蠣を食べれられることこそを羨ましがった。ニューヨークを訪れたチャールズ・ディケンズをして、「あれほど魅力的な食べ物を提供する場所は、私の知る限り、世界中のどこにもない」と言わしめている。
その一方で、当然ながら乱獲は資源の枯渇を招く。加えて都市化による汚染も進む。すでに18世紀には収量低下を危惧した保護条例なども出されているが、牡蠣の漁場として有名だったマンハッタンに隣接するステタン島でも1820年には牡蠣が死滅してしまう(余談だが、私の卒論のテーマは18世紀のニューヨーク移民」。当時、資料を読んでステタン島南端に黒人が多く住んでいたのが不思議だったのだが、本書によれば、まさにその場所には、牡蠣漁で生計を立てていた自由黒人のコミュニティがあったそうだ。20年の時を経て、疑問が腑に落ちた瞬間。その記述を見つけただけで得をした気分である)。
さてさて、19世紀、ニューヨークの天然牡蠣いよいよダメになるが、ちょうど養殖技術が発展する。同時に牡蠣の高騰が起こり、牡蠣はより儲かる商品となる。また、ニューヨーク近辺で新たな産地が見つかると、◯◯湾産牡蠣としてブランド化し、ブルー・ポイント、サドル・ロック、プリンセス・ベイなどの「ブランド牡蠣」がもてはやされるようになるのだ。しかしながら、結局のところ牡蠣の採れる湿地帯には化学工場や製油所が立ち並び、重金属などに汚染されてゆく。牡蠣は海水を漉して栄養を取っているので、さまざまな汚染物質をしっかり取り込み(海の放射性物質の測定にも牡蠣が使われているそうだ)、とても食べられたものではない。加えて、ニューヨーク市はなんと1987年まで町から出る大量のゴミを海に捨てていたので、牡蠣がいなくなってしまうのは当然の帰結だろう。
本書では牡蠣とニューヨークの歴史がリンクして語られる。それが可能なのは、なにより牡蠣という食材の特殊性だ。牡蠣は自然の汚染の指標となり、また主要な輸出向け商品として経済に密接に関わり、また、美食家を魅了する食材であると同時に、酒場における重要なつまみであり、さらには媚薬として、セックスとも密接に関わる。ニューヨークの牡蠣レストランは非常に重要な売春婦の仕事場であった。
当時のニューヨークはアメリカでもっとも牡蠣とアルコールの消費量が多く、同時に売春婦がもっとも多く、環境汚染もひどい町であったから、その意味で、牡蠣はニューヨークという町の歴史を語るのにうってつけなのだ。
尚、この本をぐっと魅力的にしているのは、あちこちに牡蠣のレシピが散りばめられていることだ。牡蠣を軽く煮て、すり潰したアーモンドと煮汁を乳化させたソースをかけるレシピや、古代ローマの生牡蠣に卵黄と酢とガラム(しょっつるみたいなものですね)、はちみつを混ぜたソースをかけたレシピなどは相当作ってみたい。他にも牡蠣パイに牡蠣のピクルス、牡蠣の汁を衣に混ぜて作る牡蠣のフリッターなども魅力的だ。
丸鶏に牡蠣を詰めて焼くなど鶏肉と牡蠣を合わせた料理が一般的だったことにも驚いた。以前、まるで自分が発見したかのようにこんなレシピを書いているが、今読むと自画自賛ぶりが相当にこっ恥ずかしい。
ちなみに成毛眞は先のエントリーでアメリカの小さなめの牡蠣が好き、と書いている。私もまったく同感だが、実はかつてのニューヨークの牡蠣は1フィートもある巨大なものだったとか。ヨーロッパ人の「赤ん坊を食べているよう」という(まったく褒め言葉ではない)感想を読むにつけ、20世紀初頭にアメリカ西海岸にもたらされた日本産マガキに感謝したい気もする。
尚、本書に載っているもっとも魅惑的な牡蠣レシピは、入植者が先住民に教えてもらったという、これだろう。
牡蠣を海藻で包んで燃えた焚き火のなかに入れ、殻がひらくのを待つ。
あー、牡蠣食いたい(ってそんな結論でいいのか)。