「より少ないボタンを持つ洗濯機により多くの金を払う」複雑さを避けるために簡単さを選ぶ、そういった選択は取られるのだろうか?否、そんな理想的なことは起こりそうにない。人々は複雑さを取り除きたいと考えている一方で、商品購入時には機能の一つも失いたくない。高機能の製品に高い値段がついていることに納得し、機能を削いだ製品は低価格であるべきだと考えてしまう。そうして、複雑なものがますます複雑になる機能追加病が世界に蔓延する。もちろんユーザーだけが悪くない。販売員は機能リストや違いが購買意思決定にかなりの影響を与えることを知っている。そして販売員自身が機能やテクノロジーが好きでもある。それに従いメーカーは人々が欲しいと思い込んでいる機能を付け足していく。ガラパコス現象のはじまりにも思えてしまう。
簡単なものの連続がもたらす複雑さもある。パスワードを人の目につく所に貼付ける人をよく見かけるし、レンタルPCはパソコンに堂々と貼付けてある。それじゃパスワードの意味がないじゃないか!とあざ笑っていた。が、自分自身も忘れたパスワードを問い合わせることはかなり頻繁で、月に1度はある。手助けしてくれるパソコンの機能やアプリの存在は知ってはいるが、パスワードを集中管理することで脆弱性を高めているのではないか?と気にし、パスワードをバラバラに設定する、忘れるリスク、問い合わせるタスクの存在を無視したままに。そして、複雑性は増し、混乱し、最終的に人の目の触れるところにパスワードを貼る。セキュリティーへの要求が高まるほど安全でなくなるパラドックスがそこにある。これは決して珍しいことでない。多くは必要な情報を実世界に置くことで解決できるが、パスワードは秘密が守られていなければ、目的が破綻する。タスクや情報が単純でちょっとしたものでも、それが数多く集まると単純なタスクでさえ複雑で混乱させるものに変わりうる。
システム全体の複雑さは一定であると、主張した「テスラーの複雑性保存則」はまさに避けられない複雑さを物語っている。一定の複雑さの閾値を超えた時点で、ユーザーにやさしくすればするほど、デザイナーやエンジニアの仕事の難易度がより高くなる、ということだ。テスラーが副社長だったアップルでは故スティーブ・ジョブズのアップル社員への高い期待度と罵声からその難易度が窺い知れる。そして保存則はモノだけでなく、システムにおいても同様だ。システムでは、ユーザーの「待つ」という行動が複雑さの副作用として表れる。第7章「待つことのデザイン」では、複雑さの結果として生じる「待ち」をいかに快適な経験として記憶させるかの取り組みは本書で一番読み応えがある。自分自身も過去に病院の待ち時間で酷い痛みを被った経験がある故、読みながらついつい肩に力が入ってしまった。
機能追加病、パスワード、待つこと。巷で観察される避けられない複雑さ、多くの人が諦めかけていた複雑さを受け入れ、共に暮らすためにデザインは挑戦する、タイトルの通りに本書は進行していく。そのナビゲーターである著者はD.A.ノーマン。以前アップルに在籍し、マックのマウスを二つボタンに変えさせようと挑戦したと本書で語っている。あれ、複雑さに対処するには簡単にすればいいのではないか?著者はそれを逆行したチャレンジを?と頭が混乱してくる。しかし、それは複雑さへの誤解だ。人々はより多くの能力と使いやすさを求める際に、より多くの機能を追加し、簡単さを追求することが必要であると考える。しかし、ノーマンは使いやすく理解しやすいことに重点を置いている。そして、デザインの課題は”避けられない、むしろ必要である複雑さを分かりにくくならないようにすることだ”としている。悪いのは複雑さではなく、分かりにくさだ。
そして最善にデザインされたものであっても、ユーザーの協力が必要なのだ。前著までデザイナーがもっぱら分かりやすくする責任を負うべきと主張してきたノーマンだが、本書ではデザイナーだけでなく、ユーザーにもパートナーとして協力を求めてくる。それは用いるテクノロジーの構造と根本的な概念モデルを時間をかけて「学ぶ」ことだ。新しいデバイスやシステムを使いはじめるときには、ストレスが溜まって文句を言う人がたくさんいるが、自転車、鉛筆、食器などの最も簡単な道具の使い方を学ぶのにさえ数年かけてきた幼少時代を思い出してほしい。習得するのに時間と労力がかかることは理にかなっているのだ。学習時間は避けては通れないが、学習の先に複雑さを操る快感が待っている。
文中で最も複雑なもののひとつ、それは「人間」であると語っている。デザイナーとユーザー、最も複雑なもの同士のパートナーシップ、それが一番の挑戦なんだと妙に腑に落ちて本書を閉じた。
——-その他おすすめ本———
代表的著作の『誰のためのデザイン?』は世界中のデザイナーに影響を与え、アフォーダンスの概念をデザインの世界に導入した著書である。そして、書評内では触れなかったが、『複雑さと共に暮らす』ではノーマン自身が提唱したデザインにおけるアフォーダンスの概念を宗旨替えしているのだ。デザインに関わる人にとっては重大な転向かもしれない。
勢いのあるタイトルだが、内容もタイトル通り勢いがあって面白い。Adaptive Pathというユーザー体験で高い評価を得ている企業の主要メンバーによる書き下ろし。創設メンバーには「blog」の命名に貢献したピーター・メイホールズ氏の名も。
「受け入れよ」「分割統治せよ」「他人をよく見よ」「理解せよ、記憶はするな」「ジャストインタイムに学べ」「実世界の知識を使え」というノーマンの教えに勇気づけられて、Macbook Airを買ってしまった。ずっと、Windowsのインターフェースと操作に慣れていて躊躇していたのが、嘘みたいだ。その記念にこのDVDも買うつもり。ジョブズVSゲイツ。