『シャーロック・ホームズの護身術 バリツ 英国紳士がたしなむ幻の武術』その正体とは?

2024年6月22日 印刷向け表示
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「明鏡止水 武のKAMIWAZA」というNHKの番組をご存知だろうか。格闘家でもある俳優の岡田准一が司会を務め、武道各流派を率いる一流の武術家たちが集結し、真髄を語り秘儀を披露していく。録画をして繰り返し観るほど私の好きな番組だ。

『シャーロック・ホームズの護身術バリツ:英国紳士がたしなむ幻の武術』には技の説明のため120点を超える写真が掲載され、中には袴を穿く人物が登場している。動いている姿を見てみたいという欲望が沸き上がる。この番組で実演してくれないだろうか。

「バリツ」という格闘術が一般に有名になったのは、ひとえに〈名探偵シャーロック・ホームズ〉シリーズの「空き家の冒険」で、宿敵のモリアーティ教授の死闘を回想したこのシーンからだ。

―崖っぷちから落ちかけたぼくたちは一瞬ふたりそろってよろめいたんだ。でもぼくは日本の格闘術であるバリツを少々かじっていて、何度もそれに救われたことがあってねー

コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』(延原謙・訳 新潮文庫)

ホームズが身につけた日本の格闘術のバリツとは、1899年にイギリス人で冶金学の専門家であるエドワード・ウィリアム.バートン=ライトが編み出した「新しい護身術」の「バーティツ(Bartitsu)」ではないか、という説がある。

鉄道技師の父親とともに世界中をまわったバートン=ライトは、数年間、滞在した日本で嘉納治五郎から柔術を学んだ。帰国後、ヨーロッパで初の柔術の指導者となり、その後、柔術にボクシング、サバット、ステッキ術などを組み合わせたバーティツを作り上げた。

本書は1899年から1900年に《ピアソンズ・マガジン》に掲載された記事と写真をそのまま紹介した本邦初翻訳である。

バーティツは「てこの原理」を使って、相手のバランスを崩し、相手が体勢を立て直して身構える前にしかけ、必要とあらば、首、肩、肘、手首、膝、足首などに解剖学的にも力学的にも相手が抵抗できなくなるような負荷をかける技だ。素手だけでなく杖を使って防御するのはイギリス人らしい発想だと思う。

相手の攻撃を素手でうけ、さらにその力を使って投げたり抑え込んだりする技は合気道に近いのではないかと思う。先に紹介したテレビ番組「明鏡止水」で披露された技を彷彿とさせる。

多くの武道や剣豪の小説を書き続けた作家・津本陽は、晩年、合気の達人「佐川幸義」に魅せられ、評伝『深淵の色は 佐川幸義伝』(実業之日本社)を書き上げている。その佐川幸雄が常々語っていた「合気とは不思議な力でなく理論である」という言葉が、このバリツという本の中に生きている。

本書の監修者である新実智士は「ファイト・ディレクター(殺陣師)」として2009年に映画『シャーロック・ホームズ』に参加した折、そのスタントメンバーから習ったという(映画で使われているのは中国武術だそうだが)。

バーティツの基本精神は日本の柔術に流れる「自他共栄の心」。日本の精神がホームズの心に宿っているのだ。(ミステリマガジン2024年7月号)

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