まだ学生だった頃の話である。その日、山手線のある駅で待ちぼうけを食っていた。ふと周りをみるとギャラリーがある。ガラス張りで見通しがきくし、これなら待ち人と行き違うこともなさそうだ。それに暇つぶしに絵画鑑賞なんてしゃれてるじゃないか。そう考えて足を踏み入れたのが間違いだった。
入ると、若い女性が満面の笑みで寄ってきて絵の説明をはじめた。熱心だなと好印象を抱いたが、途中からやけにボディタッチが多いのが気になった。そのうち話がおかしな方向に向かっていることに気づいた。彼女は作品の解説をしていたのではなかった。売りつけようとしていたのだ。
いくら断っても彼女は一歩も引かない。お金がないと言えば、48回払いをすすめられ、待ち合わせ中だと言えば、ぜひお友だちもご一緒にとぐいぐい迫ってくる。結局どう振り切ったか覚えていないのだが、なんとか難を逃れた。
あの時、あやうく売りつけられそうになったのが、クリスチャン・ラッセンの絵だった。
イルカたちが楽園の海でたわむれる様子を描いた多幸感あふれる絵だ(余談だがこのセールス手法はのちに「絵画商法」の名で社会問題になった)。
そんな個人的体験もあってラッセンには胡散臭いイメージしかなかった。ところが、本書は思いがけない視点からこの悪印象を覆す。例えばラッセンの作品が、いまや日本を代表するアニメーション作家となった新海誠の作品と無視できない共通点を持っていると言われたら、あなたはどう思うだろうか。
イルカやクジラを題材とした、いかにもハワイの土産物屋で売られているようなアートが、なぜ日本でここまで受け容れられたのか。アーティストでもある著者は、1995年に作品と初めて出会って以来、ラッセンの絵には「何かがある」と確信しているという。その「何か」を探るために、ラッセンに関するあらゆる言説や資料を博捜した本書は、読み応えのある評伝としてはもちろん、「受容史」としても面白く読める一冊になっている。
ラッセンは90年代の日本で一大現象を巻き起こした。一過性のブームととらえている人もいるかもしれないが、実はそうではない。著者によれば、ラッセンの受容は1990年代からおよそ10年ごとに大きく変化してきたという。
おしゃれな「インテリアアート」として人気を博した90年代から、文化人による批判が提出されるようになった2000年代を経て、2010年代には「ネタ」として消費されるようになった(お笑い芸人・永野の「ゴッホより~、普通に~、ラッセンが好き~!」は記憶に新しい)。ここまでくると、もはや一過性のものとは言い切れない。永野のネタではないが、日本人とラッセンとの間には、なにか響きあうものがあるとしか思えない。
クリスチャン・リース・ラッセンは、1956年にアメリカ合衆国カリフォルニア州メンドシーノに生まれた。11歳のとき家族でハワイに移り、移住先のマウイ島でサーフィンと出会ったことが、「サーファー画家」としての彼の運命を決定づけた。
当時住んでいたのは、2023年8月に発生した大火で焼け野原になったことで大きなニュースにもなったラハイナである。「マリンアート」の聖地として知られ、ラッセンも10代のころからギャラリーで観光客向けに作品を販売するようになった。ラハイナにはラッセンとよく似た絵柄やテーマ、技法のアーテイストが数えきれないほどいたにもかかわらず、一頭地を抜く存在となれたのは、作品の緻密さと自己プロデュース能力に長けていたからだった。ラッセンは29歳で会社をおこすと作品を日本に紹介するようになった。そして1989年、本格的に日本進出を果たすのである。
その後の商業的成功はよく知られるところだが、奇しくもラッセンのこの30年は平成という時代と被っている。そして平成が終わり、令和になるのと歩みを揃えるかのように、ラッセンの人生は暗転するのだ。詳しくは本書を読んでほしいが、近年の凋落ぶりには衝撃を受けた。
実はラッセンは日本以外ではほとんど知られていない。ではなぜラッセンは日本で一時代を築くほどの人気を博したのか。著者はラッセンの作品を読み解きながら、さまざまな文化的アイコンとの共通点を浮かび上がらせていく。そのひとつが、冒頭でも触れた新海誠との類似性だ。写真をもとにした制作手法やハイダイナミックレンジを思わせる階調表現など、両者にはいくつもの共通点がある。たしかにラッセンが描く「マジックアワー」の鮮やかなグラデーションと、新海アニメの緻密な色彩表現とは通底するものがある。
類似性の指摘は、新海誠だけにとどまらない。永井博や鈴木英人といったイラストレーターやシティポップ、村上春樹、そしてチームラボなどもラッセンと通じているという(チームラボに至っては「現代版ラッセン」とまで呼んでいる)。本をまだ読んでいない人の中には、こじつけではないかと疑う向きもあるかもしれないが、その心配は当たらない。本書の議論は表層的な類似点を指摘するレベルではなく、「日本人の琴線を揺さぶるものとはなにか」という本質に関する考察だからである。
特に著者が敬愛する菊畑茂久馬を援用して、ラッセンを日本美術史に位置づけようと試みた箇所は圧巻だ。菊畑は、美術界でタブー視されていた藤田嗣治の戦争画に「何かがある」と直観し、その価値を世に問うた人物である。現在では藤田の戦争画は、日本美術史の「特異点」としてまっとうに評価されるようになった。
アートに関する本の中には、読み終えた時に、こちらの視界が一新されたような感覚に陥るものがある。例えば、『超芸術トマソン』を読んだ後は、散歩しながらちょっと変わった階段や壁などについつい目がいくようになってしまう。
柳宗悦の「用の美」、辻惟雄の「奇想」、椹木野衣の「悪い場所」などもそうだ。それらのコンセプトを知ってしまった後では、もうそれ以前の自分には戻れない。日用品の美しさが気になるようになり、変な画題や構図を面白がるようになり、忘却を繰り返し歴史が存在しない日本という場所に反発をおぼえるようになってしまう。
本書もそうした系譜に連なる一冊かもしれない。読み終えた後ではラッセンの絵を見る目が変わる。そして私たちはなぜ「ラッセン的なるもの」が好きなのかと考え込まざるを得なくなる。
本書にすっかり説得された今となっては、自分のラッセン嫌いは、「本当は好き」であることを認めたくないがために反発していただけだったのだと素直に認めざるを得ない。だがなんだか釈然としない。好きだから嫌い、好きだから反発する……。この心理はまるで、好きな子にどう接していいかわからなかった幼い頃の自分そのものではないか。そんなレベルだったのかよ、と思うと、やっぱりモヤモヤしてしまうのだ。