『SWITCHCRAFT 切り替える力』著者インタビュー

2023年11月17日 印刷向け表示
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幸福に生きていくには、『すばやく変化に気づき、最適に対応するための人生戦略』が必要だ。そう力強く説く認知心理学者・神経科学者であるアデレード大学エレーヌ・フォックス教授へのインタビュー。きっと生き方を変えるヒントが見つかるはず!

仲野 長い間、科学者として生活してきました。まずその立場から申し上げたいのは、「切り替える力(スイッチクラフト)」―必要な時には躊躇なく変わるべきである―という考え方は非常に合理的だと感じたということです。というのは、科学的な研究を続けるのは切り替える力の連続技のようなところがあるからです。

フォックス ええ、確かにそうですね。

仲野 とはいえ、後から考えたら潮目がいつだったかはよくわかるのですが、どのタイミングで研究の方向性を変えるべきかというのは常に難しい問題でした。それに、多くの大学院生は、このまま続けてもダメだと指導しても、なかなか受け入れてくれなかったりします。そういった経験から、変わるべきタイミングをどのようにして知ればいいのかについては、ずっと考え続けていました。

フォックス はい、よくわかります。まず理解しておかなければならないのは、COVID19やウクライナの状況などがその典型ですが、世の中は非常に不確定であるということです。しかし、これは今に始まったことではなくて、人類の祖先はそういったことにうまく対応してきたのです。時には同じことを続けるべきであり、また、時には変えるべきである。そのタイミングを知るのがスイッチクラフトで最も重要なことです。

この本では「4つの柱」を使ってそのことを説明しています。それは、「すばやく柔軟に対応する(メンタル・アジリティー)、「自分を知る」、「感情への気づき」、そして、「状況をつかむ」です。なかでもアジリティー、すなわち、素早く柔軟にに変わることができるかどうかが最も重要です。しかし、それを身につけるためには残りの3つも重要なのです。

仲野 はい、そのことは本を読ませていただいてよくわかりました。それでも難しく感じたのは、状況の変化は突然生じる場合もあるけれど、知らない間にゆっくりと進んでいくこともよくあるからです。後者のような場合、いつ変わればいいかがなかなかわかりにくいように思うのですが。

フォックス 確かにそうです。だからこそ、感情への気づき、特に理性的な感情認識や状況認識が必要なのです。そういったことから、進むべき方向性を示せるようになるはずです。

仲野 なるほど、そういうことなんですね。もうひとつ本を読んで思ったのは、普段の生活における小さなことにおいてスイッチクラフト的なことを心がけておかないと、大きな決断はできないのではないかということです。

フォックス はい、それは絶対にそうです。なので、特に必要でなくとも、そのような練習をしておくことが大事です。また、ちょっとした予想外のことが起きたらどうするかとか、とても起こりそうもないことについて想像するとかいったことが、いざという時のためのいい練習になります。あるいは、過去に起こってしまったできごとが何故そうなってしまったかの解釈を何通りも考えてみるのもいいでしょう。将来のことはついネガティブに考えがちですが、決してそうだったとは限らないはずです。だから、日常的にこういったトレーニングを積んでおくといいのです。

仲野 一般論として日本人は個人主義的よりも集団主義的なのですが、そういった社会では変えるということがより難しいように思います。

フォックス 集団主義的、すなわち個人よりも集団を重んじるようなな文化の方が、個人主義的な文化よりもスイッチクラフトの必要度は高いのです。グループ全体の目的と個人の考えは異なることが普通です。そういった状況下で物事を変えるのは決して易しくありませんが、方法はあります。問題を大きなままに扱うのではなく、小分けにする、あるいは小刻みに進めればいいのです。

仲野 なるほど。正直なところ、『SWITCHCRAFT(スイッチクラフト) 切り替える力』を読んだ時、これはちょっと難しすぎて実行できないのではないかという印象を持ったのです。でも、一気にできるようになろうとするから難しいのであって、日常生活で少しずつ練習していけばいいわけですね。

フォックス そういうことになります。

仲野 でも、実際にできるようになるまでに、ものすごく時間がかかってしまいませんか。日本はOECD加盟国38カ国中27位と生産性が非常に低いのをご存じでしょうか。日本人は忙しすぎて、自分のためにそのような時間をとるのが苦手なように思います。なにかいい手はありますか?

フォックス 本にも書いたのですが、時間を管理することはとても重要です。一日の間になにをしているかをチェックしてみると、無駄な時間があるはずですから、それを利用することです。切り替える力を身につけるための練習は、身体にとってのフィットネスに似ています。そのためにスポーツジムへ行く時間を作ったりするでしょう。身体の健康と同じように、心理的なウェルビーイングのためにも時間をさくべきなのです。

 もうひとつ時間管理で知っておくべきなのは、あることから他のことへと脳を切り替えるときは非常にエネルギーを使うということです。それを避けるためには、スイッチングの間に、ほんの2~3分でいいから休息をとればいいのです。たとえば、ひとつの仕事を終えたら、すぐに次の仕事に取りかかるのではなくて、いったんラップトップを閉じて、これで一仕事がおわったと気持ちにキリをつけるだけでもかまいません。

仲野 同時にいろいろなことをやるマルチタスキングが非効率であるというのは、よく耳にします。でも、マルチタスキングをしたくなるというのは、人間の本能みたいな気がするのですが。

フォックス 確かにそうかもしれません。ただ、マルチタスキングというと並行していろいろなことをやっているように思いがちですが、そうではなくて、あることから別のことへとスイッチングを頻繁に繰り返しているだけなのです。仕事の合間にギャップをいれるというのとは逆のことをしているのですから、効率が悪くなるのは当然です。

仲野 人間というのはそれほど賢くできてはいないということですね。

フォックス そのとおりです。

仲野 英語でいうところのアジャイル、あるいは、アジリティーが最重要であることは理解できるのですが、日本語にはうまく対応する言葉がないので、イメージしにくいところがあります。単に迅速といったことだけではありませんよね。

フォックス 柔軟性ということも含まれます。言いかえると、適切なタイミングで適切な解決法を見つける技術ということになるでしょうか。外国旅行の例がわかりやすいかもしれません。外国を旅行すると、違った文化の中でさまざまな対処を即座におこなわなければなりません。そういったことを上手におこなえるのがアジリティーです。だから、海外旅行はスイッチクラフトの能力を高めるのに優れた手段になります。

仲野 なるほど。僻地旅行をするのが好きなのですが、そういったところへ行くと、好むと好まざるにかかわらず自分の考えを変えざるをえなくなる。それがいいトレーニングになるわけですね。あまり行ってもらえないのですが、友人には先進国だけではなく開発途上国にも行くべきだとよく勧めています。先進国はかなりの面で似たり寄ったりですから。

フォックス そうです。違った文化に接することが大事なのです。旅行でも、ローカルなレストランに入ったり、現地の人と接触すること。それがアジリティーを高めるために大事です。

仲野 ふたつめの柱は「自分を知る」ことですが、言うに易く行うに難し、という気がします。というのは、私だけかもしれませんが、自分ではこういう人間だと思っているのに、周囲からは違っているように言われることがあります。はたしてどちらが本当の自分なのか。

フォックス 確かにそういうこともよくあります。自分のパーソナリティーはこうだと思っていても、その理解は非常に表面的なものであることが多いのです。よりよく自分を知るにはパーソナル・ストーリー、すなわち、自分のことを語ってみることが助けになります。

 ひとつの方法は、人生においてベストであった出来事とワーストであった出来事を思い出して、200語くらいの短い文章にしてみることです。そして、その時にどう考え、どう対処して、結果的にどうなったかを思い出す。こういったことを客観的におこなうだけで、自分のことをよりよく理解できるようになるはずです。

仲野 単に頭の中で考えるだけでなく、書いてみる。それも、できるだけ論理的な文章にしてみる。というようなことを学生によく指導してきたのですが、それは切り替える力を鍛えるためにも正しいやり方と考えていいのでしょうか。漠然と考えるだけではダメで、しっかりと考えるために書く、ということですが。

フォックス その通りで、そういった心理学の研究成果もあります。他人に伝えなくても、どう感じたかなどを書いてみるということは、心理的なウェルビーイングにも自己認識にもいい方法です。

仲野 それは三つ目の柱である「感情への気づき」にも大きくかかわることですね。個人的なことですが、20年間ほど日記をつけています。最初のうちは嫌な出来事などあまり書いていなかったのですが、いまでは積極的に書くことにしています。というのは、一旦書くとスッキリと忘れてしまうことができるので、メンタルヘルスにとてもいいと感じるようになったからです。

フォックス 20年はすごいですね。誰に言わなくとも、自分自身に正直でいるということがとても重要です。というのは、そのことによって自己認識が高まるからです。書くことによって忘れる、そうすると次に進むことができます。逆にいうと、書かないでいると、いつまでもそれにこだわってしまうということです。そういった日記はずっと続けられたらいいと思います。

仲野 ありがとうございます。がんばります。感情への気づき以上に、感情を制御するというのは難しいことだと思うのですが。

フォックス 確かにそうです。そのためには、まず、悪い状況に陥るのを避けることです。といっても、たとえば現実として、エネルギーを吸い取られるような嫌な人と顔をあわさなければならないこともあります。そういった避けられない場合はどうしようもありませんが、できるだけ自分を気持ちよくさせてくれる人と会うように心がけるべきです。

仲野 また個人的な話で恐縮ですが、2年ほど前から瞑想を始めました。これはメンタルヘルスにとてもいいような気がしています。

フォックス 確かに瞑想がいいという研究はあります。ただ、スイッチクラフトを身につけるためにはいろいろな方法があって、ある特定の方法がすべてにわたって有効ということはありません。人によっても違いますから、いろいろな方法を試してみることが重要です。

仲野 そのためにはいろいろと試行錯誤しなければならないということですね。

フォックス その通りです。そして、スイッチクラフトを心がければ心がけるほど、正しい選択をできるようになっていくはずです。

仲野 四つ目、最後の柱は「状況をつかむ」です。世の中の動きが猛烈に速くなっているように思います。そんな中、どうしたら正しく状況認識をすることができるのでしょう。

フォックス 人間の脳は膨大なデータを蓄えていて、それに基づいて予想することができるということがわかってきています。経験による直観と言ってもいいかもしれません。はっきりと記憶に残っていなくとも、脳はいろいろな経験によるビッグデータを蓄積していて、無意識のうちにそれを処理してくれているのです。だから、そのようなビッグデータを元にして生まれる直感を活かしながら、理性的な考えと合わせて状況の認識に役立てればいいのです。時には、直観が理性的な判断を導いてくれることもあります。

仲野 なるほど、状況というビッグデータに飲み込まれるべきではなくて、知らないうちに蓄積されているビッグデータにもとづく直観を活かせいということですね。しかし、そのような直観力を育てるにはどうすればいいのでしょう。小さなころからできるだけいろいろな経験をしておかねばならないということでしょうか。

フォックス もちろんです。旅をする、いつもと違ったことをする、いろいろなタイプの人に会うなど、人生における多様性を心がけるべきなのです。切り替える力の低い人は、保守的で単一な文化の中に留まりがちです。ですから、ソーシャルメディアで自分の気に入った情報の中にだけいるのはよくありません。つい自分と似た考えの人をフォローしがちですが、違った考えの人と対話することが肝要です。意見を違える人がどうしてそのように考えるのかについて思いをはせるべきなのです。

仲野 スイッチクラフトをうまく使いこなせる人は、すごく「いい人」という気がしてきました。

フォックス そう思います。他の人や状況をよく理解でき、素早く柔軟に対応できるのですから。ただ、そうなるのは決して簡単なことではありませんが。

仲野 最後の質問です。そう遠くない将来、何かを決定するとき、多くの人は、ChatGPT4のような生成AIに頼るようになっていきそうですが、それについてはどうでしょう。

フォックス 生成AIは膨大なデータに基づいた判断をする訳ですが、そのデータにバイアスがかかっているかどうかは判断のしようがありません。なので、はたして生成AIの教えてくれることが正しいのかどうかはわからないのです。

仲野 生成AIに頼り切るのではなくて、それを参考にしながら自分自身の直感も重視すべきということですね。

フォックス 膨大なデータから割り出してくれるというのはメリットです。しかし、その奴隷になってしまってはいけない、最終的には人間が判断を下さねばならないということです。そういったことのためにもスイッチクラフトは重要です。

仲野 そのような近未来では、スイッチクラフトはますます重要になっていく訳ですね。

フォックス はい、だからみんなに私の本を買って、スイッチクラフトを知ってもらいたいのです。

仲野 よくわかります(笑)。今日お話するまでは、スイッチクラフトを身につけるのは相当に難しいのではないかと思っていました。しかし、いろいろとおうかがいしてわかったことは、スイッチクラフトのためのトレーニングはとても楽しそうだということです。

フォックス そうそう、ゲームのように楽しんでアジリティーを身につければいいのです。

仲野 キャリアパスのセミナーなどで、いつも「変われると思えば変われるけれど、変われないと思っていれば決して変われない」という話をするのですが、それが正しいということも再確認できたように思います。

フォックス その通りです。それに、最近の研究からわかってきたことは、人間のレジリエンス能力というのは想像以上に高いということです。すなわち、できないと思っていたことでもいざとなったらできてしまうことが多いのです。最初にお話したように、我々人類はさまざまな問題に直面しながら、そのように進化してきました。スイッチクラフトはそういった能力を呼び覚ますということでもあるのです。

仲野 レジリエンスやスイッチクラフトにはイマジネーションも大事ですね。

フォックス さらにいえば創造力も。

仲野 スイッチクラフトのためには、我々自身の脳を最大限に活かさなければならないということがよくわかりました。でも、それはとても楽しいことですし、人生が豊かになるに違いありません。そろそろ終わりにしたいと思います。楽しいお話、ありがとうございました。

フォックス こちらこそ楽しかったです。ありがとうございました。

私のインタビューではありませんが、こんな感じの先生です。


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