『ルポ ゲーム条例』報道の最前線は地方にある

2023年5月12日 印刷向け表示
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作者: 山下 洋平
出版社: 河出書房新社
発売日: 2023/4/14
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日本は「課題先進国」と言われるが、この言葉はいささか焦点がぼやけている。なぜなら、国の課題や社会のひずみは、まず地方にこそ現れるからだ。課題を先取りしているのは国よりもむしろ地方である。

地方はまたジャーナリズムの先進地域でもある。中央のマスコミがくだらないプライドの上にあぐらをかいている間に、彼らは最先端の課題と格闘してきた。だから骨太の報道は、しばしば地方から現れる。

本書は、地方議会で成立したひとつの条例を地元放送局の記者が約3年にわたり追いかけた記録である。地方に現れたおかしな兆候にいち早く気づき、仔細に検証することで、社会全体に共通する問題点を浮き彫りにすることは、地域に根ざした記者にしかできない。社会の深刻な課題と地方メディアの矜持。その両方を知ることができる好著だ。

2020年3月18日、香川県議会で全国初の条例が可決、成立した。

その名は「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」。いわゆる「ゲーム条例」である。「ゲームの利用は1日1時間まで」とする時間制限が盛り込まれたことで議論を巻き起こしたいわくつきの条例だ。

著者は岡山県と香川県を放送エリアとするKSB瀬戸内海放送の記者である。取材を始めたきっかけは、強烈な「違和感」だった。条例の成立に先立ち県議会が募ったパブリックコメントの結果を報じるニュースに違和感を覚えたのだ。

それによれば、寄せられた2686の意見のうち「賛成」は2269。実に8割以上にのぼった。過去のパブコメで寄せられた意見が数件だったのに比べると極端に多い。しかもSNSでは条例案に反発する意見が多数を占めていたのに対し、賛否の割合が真逆になっていた。

パブコメの「原本」を情報公開請求で入手した著者は、同僚たちと検証を始める。集まったメンバーがその「異様さ」に気づくのにそれほど時間はかからなかった。賛成意見の中には、以下のような「特徴的な言い回し」が繰り返し使われているものがあった。

「ネット・ゲーム依存症対策条例が通る事により、皆の意識が高まればいいと思うので賛同します」176件

「ネット、ゲームが子供達に与える影響様々ですので、賛同します」137件

「ゲーム依存により、判断の乏しい大人を生み出さない為に、賛同します」128件

「皆の意識が高まればいいと思うので」「影響様々ですので」「判断の乏しい大人」。こうした独特のクセのある表現が偶然被るとは考えにくい。

しかも、パブコメの募集要項では、意見の提出方法を「郵送、持参、ファックス、電子メール」と案内していたにもかかわらず、賛成意見の8割以上にあたる約1900件が、県議会のホームページの問い合わせフォーム「ご意見箱」から投稿されていた。メールで何十通も送信すれば同一アドレスからの不審な送信だとわかるが、問い合わせフォームからだと差出人のアドレスはわからない。つまり「ご意見箱」を使えば同じ人が何度も意見を送ることができる。

状況証拠は明らかに同一人物か、ごく少数の人間によって賛成意見が“水増し”されたことを示していた。だが誰がどんな目的でそんなことをしたのか。

条例成立までの流れを簡単に振り返ろう。まず19年1月に、四国新聞で「ほっとけない『ゲーム依存』」キャンペーンが始まった(ドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』を観た人はわかると思うが、四国新聞社のオーナーは平井家である。一族に自民党の平井卓也衆議院議員がいることからも、配下のメディアが与党寄りであることは想像がつく)。

キャンペーンと歩調を合わせるかのように、同年3月には、県議会で「ネット・ゲーム依存症対策議員連盟」が設立された。会長に就任したのは、最大会派・自民党香川県政会の大山一郎議員。四国新聞は設立総会を1面トップで報じ、「ゲーム依存に特化した条例が制定されれば、全国初のケースとみられる」とし、大山議員のインタビューも掲載した。大山氏は4月に県議会議長にも就任し、ここから条例制定に向けた動きが加速していく。

同年5月には、WHO(世界保健機関)が約30年ぶりの改訂となった国際疾病分類の最新版「ICD-11」に、新たに「Gaming Disorder」(正式な和訳名は決まっていないが、「ゲーム障害」「ゲーム症」と訳されることが多い)を加えた。WHOの“お墨付き”を得たことも制定への機運を高めた。

ところが、20年1月に条例の素案が示された途端、流れが変わる。

全20条からなる素案の中で注目を集めたのは、第18条〈子どものスマートフォン使用等の制限〉という項目だった。

ここには、18歳未満の子どもはスマホやゲームの使用時間を1日60分(休日は90分)までとし、中学生以下が午後9時まで、高校生などは午後10時までに使用をやめるというルールを守らせるよう、保護者に努力義務を課すことなどが記されていた。この内容が大炎上したのである。

著者は、ゲーム条例にふたつの問題をみている。

ひとつは不透明な制定過程、もうひとつは条例の科学的根拠だ。

制定過程で問題なのは、パブリックコメントの「悪用」である。

そもそもパブリックコメントは、住民投票のように賛否を問うものではない。行政機関が政令や省令などを制定するにあたり、事前に案を示して広く意見を募るものだ。意見の公募は公正さや透明性の確保につながるし、寄せられた意見の中には行政運営のヒントになるものもある。ちゃんとやればそれなりにメリットのある制度なのだ。

ところが香川県議会は、パブコメを「賛成と反対」に分けて公表した。これでは「パブコメは多数決」という誤解を広めてしまう。実際に賛成の多さがその後の議論に影響したと証言する議員もいた。だがその賛成は“水増し”されているのだ。これでは制度を悪用したと言われても仕方ないだろう。他の地域で「じゃあ、うちも」という動きにつながりかねない悪しき前例である。

「60分」という時間制限にも科学的根拠がない。

根拠として示された資料のひとつが、「スマートフォン等の利用時間と平均正答率の関係」のグラフである。出典は、香川県教育委員会が行なった18年度の「学習状況調査」で、小学5年生から中学2年生を対象に、携帯電話やスマホの1日の利用時間と、テストの正答率を比較したもの。

どの学年でも「1時間未満」の児童生徒の正答率が最も高かったというのだが、これは「相関関係と因果関係は違う」という、データを読み解く際の基本がわかっていない典型である。調査では他にも「朝食を毎日食べているか」「近所の人に会った時は、あいさつをしているか」など、スマホの利用時間と同じような相関関係を示した質問項目があったという。では、あいさつをすればするほど成績は上がるのか、ちょっと考えればわかるだろう。

今回の一件はおそらく、「ゲーム依存」という一般受けしそうなイシューに一部の議員が飛びつき、「全国初」というキャッチフレーズに前のめりになり、条例成立の「結論ありき」で強引に押し進めたというのが真相ではないか。

だが本書の優れている点は、そこで議論を終わらせないところにある。

著者は、第一線で活躍するゲームクリエイターたちにインタビューし、eスポーツ部に全国でも珍しい「チームドクター」を置く高校を取材し、ネットやゲームをやめられずに苦しむ子どもたちや保護者が参加する「オフラインキャンプ」にも足を運ぶ。こうした取材から重要な知見をいくつも引き出している。ここはぜひ本書を読んでほしい。

著者はこの条例を廃止や改正に追い込みたいわけではない。良くも悪くも全国から注目を集めたことを奇貨として、むしろ香川県からネットやゲーム依存についての最先端の動きを発信できないかと考えている。目の前の事象を追いかけるだけでなく、こうした視野の広さも持つ著者はジャーナリストとして尊敬に値する。県議会議員の中に、これだけの構想を持っている者がいるだろうか。

近年、民主主義の制度を捻じ曲げてでも、あらかじめ決められた方向へと事を押し進めようとする動きが目につくようになった。パブコメ“水増し”疑惑の他にも、愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)に向けて集められた署名で大量の偽造が発覚した事件などは、そうした危険な兆候のひとつだ。

だが、たとえ一部の人間の企みによって何かが決まったとしても、決して手遅れではない。本書が良い例だ。著者の本格的な取材は条例制定後に始められたにもかかわらず、実際に運用面での改善につながる成果をあげている。

「条例ができたら終わり、ではない」と著者は力強く言い切る。

そう、私たちは間違ったら何度でも、どこからでもやり直すことができる。それが民主主義の素晴らしさだ。

作者: 松本 創
出版社: 筑摩書房
発売日: 2021/12/9
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地方メディアの優れた仕事がわかる好著。この本でも山下洋平記者は大きく取り上げられている。

作者: 松本 俊彦
出版社: 筑摩書房
発売日: 2018/9/6
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依存症の本質は快楽に溺れることではなく苦痛の緩和にある。目を向けなければならないのは、その人が抱えている行き場のない苦しさだ。議員たちもせめてこの本を読んでから議論してほしい。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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