たまたま知り合いのSNSを通じて、木製の桶に関する本が出ることを知りましたのです。わたしは木材加工の技術史や、微生物による発酵の科学にもちょっと興味があったもので、さっそく読んでみました。結果、最後のほうは思いもよらず感動してうるうるしてしまいました。
とはいえ、最初からそれほど期待していたわけではありません。タイトルだけ見たときには、ぼんやりと二つぐらいの懸念が頭に浮かんだんです。
懸念1 有史以来、無数の技術や道具が時代とともに生まれては消えていったわけですよ。かつて使われていた道具や技術を、いちいち「絶やすな!」というわけにもいかないよね? 「絶やすな!」というための、説得的な理由はあるのかな?
懸念2 よもや、「日本の伝統」「日本の技術」「日本独自の」「美しい日本」みたいな、情緒的ナショナリズムに落ち込んだりはしないよね?
どちらも杞憂でした。
まず懸念2のほうから行きますと、むしろ本書は、そういう情緒的ナショナリズムに落ち込まないように、きっちり道具史・技術史を抑えていて(専門家によるコラムがイイ感じで効いています。)、その点だけを取っても良書だと思います。
たとえば、桶樽(おおざっぱには、蓋があるのが樽、蓋がなくて上がオープンなのが桶)は、ローマ帝国の時代にガリア地方で生まれたというのが定説になっているそうです。また、世界最古のかんなは、古代都市ポンペイから出土しているらしい。桶樽はヨーロッパから世界各地に広がっていった。日本へは、陸のシルクロードと海のシルクロードを経由して入ってきた。各地で、それぞれの土地の木材や自然環境とともに、独自の発展があった。
「桶樽が来た道」というコラムを書いてらっしゃる石村眞一氏(九州大学名誉教授:技術史)は、「桶は日本古来のもの、日本人だけが作ったものとは考えないほうがいいと思います。それは、ただのナショナリズムになりかねません」とはっきりおっしゃっています。うんうん、そこなんだよね。伝統うんぬんというときに陥りやすい思考の罠……。そういう考えは危ういとはっきり言っていただいて、2の懸念は消えました。
脱線めきますが、桶の歴史ということでは、「肥桶」にかなりの紙幅が割かれていたのも印象的でした。肥桶(人間の排せつ物を入れる桶)、膨大な需要があったんですよ。それも昭和の初期まで。ものすごく需要があったの。東京(江戸)や大阪という大都市が、世界に類を見ない衛生的な街でありえたのは、「資源」としての下肥が船で輸送され、肥料として農地で利用されるシステムがあったからなのだそう。この「肥船(こえぶね)」システムに関する記述は、本書の本筋とはさしあたって関係ありませんが、わたし的にはひとつの読みどころだと思いました。
で、本書の本筋は、醤油の醸造で使われる巨大おけです。現在、木桶を使って醸造される醤油は、国内の全醤油生産量の1パーセントなのだそう。99パーセントは、ステンレスや強化繊維入りプラスチックや特殊コンクリートなどを使った醸造方法になっている。そうなった歴史も興味深いのですが、長くなるので省略します。(ちなみに、GHQが来たとき、木桶を使った醸造はやたらめったら時間がかかって効率が悪いうえに、一見したときの「不衛生」さに驚愕して、こんなやりかたはやめるべきだ、となりかかったのだそう。その窮地を脱却できたのは、キッコーマンのある社員さんの技術開発だったんだそうですよ!)。
さて、この書き込みの冒頭近くに戻りますが、わたしが最初に抱いた懸念1です。「過去のものとなりつつある技術や道具のすべてを、”絶やすな!”というわけにはいかないよね?」
この問題に対する答えを、ひとことで(しかもわたしの言葉で)言ってしまうと、「巨大桶による醤油醸造は、過去の技術じゃない」ということになるかと思います。本書には、桶づくりの技術を一から学び、その技術を広め、発展させようとしているお醤油屋さんの活動が紹介されているのですが、(中心人物は小豆島のヤマロク醤油の山本康夫さん)、山本さんの活動を追いかけていくうちに、「ああ、これ、終わった技術じゃないわ、広がる技術だわ」と思えたのです。
わたしが山本さんの考えに感銘を受けたのは
1 面白がるスタンス。困難が次から次に襲い掛かってきても、面白い!楽しい!って思っちゃう。実際、楽しそうなんですよ。そして知的にも面白い!
2 オープンであること。かつて桶作り(もうかる商売だったんですよ!)の技術は秘匿されていた。醤油づくりの技術も秘匿されていた。「だからだめだったんだ」というのが山本さんの考え。彼はものすごくオープンに、自分が学んだことを誰にでも伝える。ほかの人たちの考えや発想や提案もどんどん取り入れる。微生物も木材も、気候や土地柄ごとに千差万別。ひとつだけのシステムを守るんじゃなく、みんなの情報が役に立つ。これ、わたし的にはものすごく重要です。山本さんのオープンな取り組みのおかげで、小豆島で毎年行われる桶サミットは、今では全国からいろいろな人がやってくるお祭りのような楽しいイベントになっているようです。
3 技術への柔軟さ。昔のやり方にこだわる必要もない、というのが山本さんの考え。現代ならではの技術や機械もある。昔ならできなかったこともできる。昔と同じである必要なんて全然ない! うんうん、伝統って、守るものじゃなくて、作るものだよね!
4 環境問題との接点。木桶の寿命って、100年ぐらいもあるそうなんです。それに対して、特殊コンクリをはじめその他の槽は、そんなに寿命が長くない。そして、劣化した槽の廃棄は大変。木なら自然に還る。これは大いに考えるべき要素でしょう。
5 発酵の面白さを堪能できるのも木桶ならでは。醤油市場という観点からも、味わいの多様性と深さは魅力になり得る。
というわけで、自分が面白いと思えたところだけ、かいつまんでご紹介しました。本書はジュニア向けに平易に書いてありますが、中身は濃くて深いです。サイエンス&テクノロジーの面で大いに考えさせられます。そして、熱いです!!
お薦めします。