アフリカ中部に位置するコンゴ民主共和国(旧ザイール)は地下資源に富んだ国だ。1970年代、日本企業はこの地に進出し鉱山を開設、多数の日本人労働者が就業していた。
2016年、朝日新聞のアフリカ特派員だった著者にツイッターを通じてメッセージが送られてきた。当時、コンゴでは日本人労働者と現地女性の間に生まれた子を、日本人医師と看護師が毒殺していた、と報道したことがあるか、というものだ。
ネットで検索するとフランス24という国際ニュースチャンネルが取材し放送していたことが判明した。残された子どもたちが組織のようなものを作って活動もしているらしい。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称された時代に打ち捨てられたものは何だったのか。取材が始まった。
現地で日本人残留児の支援を行っている田邊好美の協力を得て、残留児を訪ねはじめた。そこで知ったのは当時の20代後半から40代の日本人労働者の子どもを産んだのは13歳から16歳の少女たちで、父親が帰国すると事実上収入源を喪い、差別され、住む場所にも困る生活を余儀なくされたという現実だった。
取材した多くの親子は生活の保障を求めるとともに、残留児たちは実の父親に会いたいと強く願っていた。
彼らの多くがケイコやケンチャンなど日本風の名前が付けられていた。中には父親のフルネームと日本の住所を知っている者もいる。
驚くのはその風貌だ。母親より肌の色が薄く、アジア人の面影が色濃く出ている。自分は日本人だという誇りに思っているのも共通していた。
実際、新生児が医師に殺された事実はあったのか。当事者である父親はいまどう思っているのか。日本人への取材は困難を極めた。
残された子の気持ちを読むと、戦後の日本に残されたアメリカ人を父に持つ子とだぶる。過去を切り捨て帰国した男たちに怒りが沸き上がる。同じ過ちは繰り返してほしくない。(週刊新潮 2023.1.19号)