人が死ぬということは世の中から消えることなんだ、と本当に納得できるようになったのはここ最近のことだ。自分の人生の先が見えてきたからだろうか、誰かの死が身に染みて哀しい。
山本文緒さんが膵臓がんで亡くなったことを知ったのは2021年10月のこと。享年58。その直前に新刊の『ばにらさま』を楽しく読んでいたから、にわかには信じられなかった。
『無人島のふたり 120日間生きなくちゃ日記』は山本さんが最期の日々を綴った日記である。がんという診断を受けた時にはステージは既に4b。夫婦で話し合い、辛い抗がん剤治療ではなく緩和ケアを選ぶ。終の棲家に最愛の夫と二人、言葉を編み続ける。濃い付き合いをした作家や編集者にはきちんとお別れを告げ、身の回りを整理し、あとはその日に備えて体調管理に努める。淡々とした文章には覚悟が読み取れる。
だが時として荒ぶる。テレビを見て笑ったあと、このだるい身体はいつ治るのかと思った後、「もう治らない……」と気づき泣いてしまう。何と正直な告白だろう。
この本は「闘病記」と呼ばれるのが普通だろう。だが山本さんが闘っている相手は病ではなく“書き続けたい”という思いだったのではないだろうか。誰かに読んでもらう日記を用意するという作家の業が最期の時間を綴らせた。
余命宣告は生きる目安になる、と亡くなった友人が話してくれたことがある。山本さんはその目標を見事に達成した。
終の棲家を選ぶのは人生最後の大命題だと思うが、こんな魅力的な場所があったら最高だ。
『カーザ・ヴェルディ世界一ユニークな音楽家のための高齢者施設』で紹介された施設は、イタリア・ミラノにある。作曲家ジュゼッペ・ヴェルディが「音楽家が、引退後も生涯音楽的な生活ができるように」と私財をなげうって建てた“一流”と認められた音楽家とその配偶者だけが住むことを許される施設である。
往々にして音楽家は自由で気ままだ。だがそれが災いして、晩年は落ちぶれ、浮浪者同然の老後を送る者もいる。そんな人を救いたいと誕生したという。
この施設がユニークなのは晩年の音楽家だけでなく、音楽家の卵も寄宿させることだ。
著者はその恩恵にあずかった日本人声楽家。家賃は、バストイレ付個室でグランドピアノのある音楽練習室を自由に使うことが出来、600ユーロと破格である。
一緒に住むのはすでに歴史に刻まれるような音楽家で、彼らは惜しげもなく知識や技術を若き芸術家に伝授する。
年はとっても音楽家としての矜持は最後まで持ち、身なりを整え、嫌なことはイヤとはっきり言い、人と馴れあわず孤高を貫く姿はあっぱれとしか言いようがない。(小説新潮12月号)
日記形式で描かれた日常は煌びやかで楽しそう。最期の日々をこの場所で過ごせる一流の音楽家は幸せだ。