酒が飲めないからなのか、考え方が甘いせいなのか、原因はよく分からないが、根っからの甘党である。「いい年こいて」だとか、「男のくせに」だとか、年をとるにつけ聞こえてくる周囲の声をよそに、今でも一日一個は必ずケーキを食べている。そんなことをくどくど書いているうちに、どんどんと開き直ってきた。あえて声を大にして言おう。「ああ、僕はスイーツが好きさ!」
そんな僕に限らず老若男女に愛されているであろうスイーツなのだが、こと日本における歴史となると、その種のテーマを取り扱った本をほとんど見かけることがない。世の中に食文化の歴史本などいくらでもあるというのに、実に不思議なものである。本書はそんな洋菓子の歴史を自由が丘という街から眺めた、数少ない貴重な一冊なのだ。
フィールドワークの極意は、「鳥の目」「虫の目」などとよく言うが、双方のバランスが絶妙にブレンドされているのが、本書の特徴だ。
序盤は「鳥の目」で、自由が丘の歴史を振り返っている。日本における洋菓子の歴史は、受容の歴史でもある。昭和から平成へと移り変わる時代の中、自由が丘で店を開いた人たちの中にも、それぞれ進取の精神を持ち合わせた人達がいたということなのだ。
その誕生は、昭和のはじめである。近代化が進み、都市部で勤め人の人口が拡大し、新中間層と呼ばれる経済的にゆとりある層が出現した時期と重なるという。最大の特徴は、生活と消費と仕事、この三つを一つの街が併せ持っているということだ。そんな中で、旺盛で先進的な消費文化が育まれてきた。
自由が丘という名前は、実は芸名のようなものである。元々は東京府荏原郡碑衾町大字衾という住所であったというから、少しばかりさえない。それを、この地に徐々に集まりだした文化人達が、仲間と手紙をやり取りするうちに勝手に「自由ヶ丘」と書いて出し、自分のところにその住所で届くようにさせたのが、正式な地名へとつながった。呼び名が先にあって、地名が後からつく。これも、個人と自治の街「自由が丘」を象徴するエピソードと言えるだろう。
著者がわざわざ洋菓子史を語る舞台として自由が丘を選んでいるのは、この街に洋菓子史を知るうえで重要な店がいくつも存在するからである。その起点となった店舗の数々を、著者は「虫の目」で観察している。老舗から最新トレンドまで、自由が丘の歴史は、そのまま洋菓子の歴史なのだ。そのいくつかを紹介してみよう。
定番ケーキの元祖と言われるモンブラン。その名をそのまま店名に冠しているのが、老舗「モンブラン」である。創業者が店の看板として商品化したのが第二次世界大戦末期。ヨーロッパでメレンゲに栗のクリームをあしらったデザート菓子が、日本で立体的なケーキとなったのは、大戦の影響から「時期柄、そうした高級品は作れぬ」という事情があったという。関東大震災の後に東京でドーナツが流行していたことを思い起こしながら開発したそうだ。
マカロン・ブームの火付け役となったパリの老舗「ダロワイヨ」も、日本での道のりは平坦ではなかった。 最初に自由が丘に店を開いたのが1982年。フランス本店の味は甘すぎるといわれ、マカロンなど見向きもされなかったそうだ。日本人に親しみのあるお菓子を作るための営業努力を重ね、自由が丘商店街振興組合との付き合いも大切したという。その後、フランスでのレセプションの実績を生かし、ウェディングケーキなどのオーダーを受け始めることで、その地位を確立してきた。
フランスで開催されるお菓子のワールドカップで優勝した有名人、辻口 博啓シェフは洋菓子界の革命児との異名を持ち、パティシエブームの立役者でもある。和のテイストをさりげなくしのばせた、本格的なフランス菓子を食べられる「モンサンクレール」と、初のロールケーキ専門店「自由が丘ロール屋」を開き、繁盛させている。辻口氏はケーキを建築物と考えており、最初にデッサンまで起こしているという。 それだけでなく、美術館に出かけ、建築を眺め、ショーウインドーの見せ方を研究し、多方面に渡って知識と教養を身につけたそうだ。お菓子の世界を見ているだけでは、美しいお菓子を生み出す表現力は身につかないということなのだ。
これら三つの店舗に限らず、本書で紹介されているいずれの店にも共通するのは、最初は異端と思われていたものが、街の空気に触れることによって、いつのまにかメインストリームに押し上げられてきたということである。この街は、さながらスイーツ界のシリコンバレーというところか。そんな中で、思わず唸らされたのは辻口シェフの次の一言だ。
「和菓子は空気を抜き去るスイーツで、洋菓子は空気を取り込むスイーツなんです。」
なるほど、洋菓子の美味さは、スポンジなどによってふんわりと抱きこまれた空気の美味さだ。それだけではない。食卓においてケーキの登場が、その空気を一変させる秘訣もここにあるのではないかと思う。そして、これらの洋菓子が、自由が丘という街の空気をどのように取り込んできたのか、そこが本書の最大の見どころとなっている。
自由が丘とスイーツの関係を眺めていると、街こそが文化を生み出すプラットフォームなのだということに気付かされる。そして、本書が自分が住んでいる街のことも、足元から見つめ直すきっかけを作ってくれる一冊であることに間違いはない。どうも、ごちそうさまでした。
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自由が丘といえば、出版業界で有名なのが「自由が丘のほがらかな出版社」ことミシマ社。本書は、代表・三島邦弘氏による創業からこれまでの奮戦記。なぜか河出書房新社から発売。三島氏いわく、自由が丘には計画的(ビジネス)ゾーンと、無計画(非ビジネス・家庭的)ゾーンに切り替わる境界があるそうだ。双方のゾーンを自分の身に置き換え、その間に存在する自由について語ったエッセイは秀逸。
「18世紀のイギリスで、一人の女性が紅茶に一かけらの砂糖を放り込んだ時、人口分布や経済、環境、政治、文化、倫理といったさまざまな分野において世界の地図を塗り替えたのである。」なんて書かれたらついつい読みたくなってしまう。圧巻の513ページは、読み応えも十分。砂糖の歴史は、どこまでもほろ苦い。
大西洋三角貿易、市民革命、重商主義、マニュファクチュア、戦争と歩んできた世界の歴史を、チョコレートとともに追いかけた一冊。第二次世界大戦中に、キットカットのパッケージが青かったという話は知られざるエピソード。