こういう本を書ける人を心からうらやましく思う。医学や科学についていろいろなところで書いてきたが、まったくレベルが違う。ひとことでいえば、悲しいけれど才能の違いということになるのだろう。それに英語の壁もとてつもなく高い。
著者のダニエル・M・デイビスは英国の免疫学者である。インペリアル・カレッジ・ロンドンの教授で、そのHPを見ると優れた論文をたくさん発表していることがわかる。まだ52歳、現役バリバリ、脂の乗りきった研究者である。とりわけ得意なのはイメージング、いろいろなものを可視化する技術を用いての研究だ。なるほど、だから、この本はその内容から始められているのか。
『人体の全貌を知れ』というタイトルからは、この本の内容はすこしわかりにくいかもしれない。ごく短い最終章を除いた6つの章で、新しい、文字通りの画期的な技術がいかに開発されたか、そして、その技術が人体を知るためにいかに大きく寄与したかが、活き活きと描かれていく。いやもう、大興奮!
読みながら、あぁこんな本が読みたかった、いや、書きたかったのだと何度思ったことかわからない。研究で大発見がなされたとき、その成果を知ることはもちろん面白い。しかし、如何にしてその研究が遂行されたかは、それ以上に面白い。そこには必ず人間ドラマ、それも胸躍らせるドラマがあるからだ。
第一章『超分解能で細胞を見る-顕微鏡の発展を見る』は、緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見でノーベル賞を受賞した下村脩の話から始まる。どうしてオワンクラゲが光を発するのかという素朴な興味から、家族総出で大量のクラゲを集めてGFPを精製した話は有名だ。しかし、それだけではノーベル賞の受賞にはいたらなかったにちがいない。GFPを生物学の研究に利用できるようにした研究者がいたからこその受賞だった。リレーのごとく、研究のバトンは渡されていく。
第二走者、マーティン・チャルフィーがGFPを知ったのは偶然だった。それも、下村の発見から二十年以上もたってからのことだ。GFPの遺伝子を発現させると、どんな細胞の中でも蛍光を出させることができるのではないかと思い至った。極めてシンプルな発想だが、長い間、誰も思いつかなかった。いや、おそらくは、下村の研究が埋もれてしまっていて誰も知らなかったということだろう。
1994年、チャルフィーの論文はトップジャーナルである『サイエンス』に発表された。当時、本庶佑先生の研究室の講師をしていたが、抄読会で、同僚であるサカナの縞模様研究者・近藤滋が興奮気味にその論文を紹介したのをよく覚えている。GFPの遺伝子を他の遺伝子と融合させることにより、任意のタンパク質に「タグ(標識)」付けし、その挙動を調べることができるようになったからだ。現在、この画期的な方法は驚くほど広く使われるようになっている。
しかし、チャルフィーが最初にGFPをどの細胞でも光らせることができると同僚に話した時、誰も興味を抱かなかったという。すぐに重要性を理解したのは唯一人、チュール・ヘーゼルリグだけだった。チャルフィーの妻である。なんか、ええ話すぎて腹立つけど、まぁまけといたる。多くの人が興味を示さなかった理由のひとつは、オワンクラゲGFPの光がそれほど強くなかったことがあるのかもしれない。そのあたりを改良したのがロジャー・チェンで、下村、チャルフィー、チェンの三人が「緑色蛍光タンパク質の発見と応用」で2008年にノーベル化学賞を受賞する。美しきリレーだが、この話はまだまだ終わらない
あまりにも驚きすぎて一週間ほど開いた口が塞がらなかったよ
GFPの研究を知った時の興奮をそのように語るのは、エリック・ベツィグだ。かつて研究者を目指しながら諦めた42歳の無職の男は、自身が7年前の散歩中に思いついた「生きた細胞を観察する顕微鏡」とGFPによるタグ付けを組み合わせれば画期的な研究法になると閃いた。
友人のハラルド・ヘスと二人で、ヘスの家のリビングで、一気呵成にその顕微鏡を作り上げた。その有用性が確認されるまでわずか半年。ノーベル賞を受賞した研究の中では最速記録に違いない。そして、ベツィグは他の二人とノーベル化学賞を受賞する。しかし、残念ながらヘスの名はそこにはなかった。すこし長くなるが、ノーベル賞受賞スピーチの最後にベツィグが述べた内容を紹介したい。
最後に私が言いたいのは……リスクを冒すことについてです。人々は何かあるとすぐに、リスクを冒せ、と言いますし、それは結構なことですが、でも、あなたにその言葉を投げかけるのはリスクを冒して報われた人たちです。たいていの場合、失敗しないのであれば、それはリスクではありません。ですから私は今ここで、どんな職業であれ、自分の財産、キャリア、名誉を懸けてリスクを冒そうと努力し、そして最終的に失敗した無名の人々に向けて、全身全霊で伝えたいのです。そうやって苦労して取り組んだことこそが、世界をより良い場所にするために持てるすべてを出し切った満足感こそが見返りなのだということを、どうか忘れないでください。
「どんな職業であれ」とあるけれど、サイエンスはその端的な分野であることは言うまでもない。なんと素晴らしい職業なんだ。
どないだす?第一章だけで興奮してしまいまへんか?これと同じくらいおもろいエピソードがあと5つも紹介されている本、読まずにおられませんやろ。で、第二章から順に『命の始まり-遺伝子検査とゲノム編集』、『新しい治療法を生むテクノロジーの力-フローサイトメトメーター』、『色鮮やかに脳を染める-多色標識法と光遺伝学』、『内なる他者との共生-マイクロバイオーム』、『包括的な遺伝コード-ホリスティックな医療へ』と話は進んどります。ちなみに、最高のお気に入りは、レン・ハーツェンバーグとリー・ハーツェンバーグ夫妻による「フローサイトメーター」の開発でおます。下村先生には悪いけど、絶対にこっちの方がおもろいんですわ。一般の人には聞き慣れない名前の機器やけど、これなくして現代の生命科学は語れへんのだす。
開発者たちに直接インタビューした内容がふんだんに含まれており、血湧き肉躍る実にビビッドな内容になっている。それに、どの章も、新しい技術の開発の逸話とその応用がわかりやすく語られる。これだけの知識があれば医療ニュースを聞いた時の理解度が飛躍的に上昇すること間違いなし。勉強になりまっせぇ~。
年間150~160冊の本を読んで☆の数でレーティングをしている。☆四つ半まではけっこう気楽に与えるのだが、よほどのことがないかぎり五つはつけないことにしている。この本は文句なしの☆五つ、今年のベストワンだ。ということで、思わず著者にファンレター、メールですけど、を送ってしましましたわ。
この著者の前著『美しき免疫の力』も劣らぬ面白さ。両著とも久保尚子の翻訳が素晴らしく読みやすい。