「利他」という言葉を本屋さんで見る機会が多くなってきた。大辞林で「利他」を引くと、「自分を犠牲にしても他人の利益を図ること」と書かれてるが、「犠牲」や「利益」という言葉がなんだかピンとこないなぁ。本書の著者・伊藤亜紗さんは、前書きで「利他」について研究を始めたきっかけをこのように話している。
現代においては、「誰かのため」ということがあまりに単純化して考えられすぎて、そのせいでうまくいっていないことがたくさんあるのではないか、という思いがあったからです。
利他とは相手のことを思って行動すること。
でも、本当の意味で相手のためになるってどういうことだろう。
本書は、美学者の伊藤亜紗さんと、福岡で「老宅所よりあい」を営んでいる村瀬孝生さんの往復書簡である。半月に一度のペースで相手にお返事を書く。相手の言葉がトリガーとなって、お二人の個性やエピソードがどんどん溢れてくる。第三者の視点で、お手紙を覗かせていただくというドキドキ感やくすぐったい感じを味わいながら読み進めた。
「老宅所よりあい」でお年寄りと日々接している村瀬さんは、「相手のためになる」ということの難しさや不思議さを深く実感されている。ぼけのあるお年寄りは、時間感覚や空間感覚がだんだんズレていき、既成概念から解放され、生身の実感から世界をとらえているようだ。
送迎するときに「車に乗りましょう」では動けなくても、「そろそろ船が出ますよ」と伝えると車に乗ってくれるお爺さん。湯飲みを持ちながら「モシモシ、モシモシ」と電話に変換してしまうお婆さん。村瀬さんはいつも不思議と驚きと笑いに囲まれている。
そして、想定外の毎日をみんなで一緒に過ごしていると、いつの間にかシンクロし始める。ぼけのあるお婆さんのデパ地下巡りに付き添っていた職員が、気付いたらお婆さんと同じ目線でデパートを楽しんでいたように。一緒にいることや、ぼーっとすることで起こる不思議な現象の数々。本書では、その不思議な現象一つ一つに言葉を添えていくのが、とても魅力的だ。たとえば、「ケアする側からケアされる側へ」。「『なれ』は、『慣れ』であり、同時に『熟れ(なれ)』である」。
村瀬さんは、一緒にいる不思議についてこのように話している。
一緒にいるだけで体と体は、それぞれにある特徴や癖を拾い合っていて、迎え入れたり、拒絶したりしている。そんな時間を重ねていけば、焦らずともチューニングはされていく。一緒にいるだけで同調する。ズレを保ちながらでも同調する。それが人間の体なんじゃないかと感じます。
利他を考えるには、頭を柔軟にして身体に任せることがコツのようだ。人と人との間に広がる宇宙を全身で感じとるように。そして、本書のように、それらを観察して、受け入れて、消化して、言葉を置いていってみよう。なんとなくぐるぐるしているうちに、腑に落ちるような気がして、私は利他に興味を持ちながら、利他について考えるのを手放している。
利他は本当に、捉えどころのない言葉だなぁ。
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利他の入門書としておすすめです。