医者という職業は私たちの身近に存在する。多くの人が何度となく医療機関を受診した経験があるだろう。しかし本書の著者であるリチャード・シェパードは私たちが想像する医者とは少し異なる。彼の患者は死者だ。リチャード・シェパードはイギリスの高名な法病理学者なのだ。不幸な事故や事件に巻き込まれた人々の遺体を解剖し、なぜ被害者が死に至ったのかを突きとめるのが彼の仕事だ。彼が解剖した人物で世界的に有名な人物のひとりに故ダイアナ元妃がいる。本書は法医学に人生を奉げた彼の半生を綴った自伝である。
イギリスの「中の下の家庭(ロワー・ミドルクラス)」の家庭に生まれたリチャード・シェパード少年が初めて法医学という職業に出会ったのは偶然だった。総合医を父に持つ友人が、父親の書斎から持ち出してきた『シンプソン法医学』を目にしたとき、シェパード少年の好奇心に火がついた。シェパード少年は貪るように掲載されている犠牲者の写真を見つめ、文章を読み、その死因を特定して行くシンプソンに魅了された。こうしてキース・シンプソン教授は彼のヒーローとなり、自分自身も法病理学者になるという決意を胸にする。
いくつもの厳しく長い過程を経て憧れの法病理学者になったシェパードは、ガイズ病院の法医学部でキャリアをスタートさせる。本書では様々な事件で行われた解剖の数々が生々しく記載されている。恐ろしくもあり、興味深くもある。例えばイギリスでは検視・解剖に現場の警官も立会いを求められるようで、経験の浅い若い巡査などは解剖が始まる前から、顔面蒼白で解剖後は精神的なトラウマを抱えることもあるようだ。著者は法病理学者独特の冷徹な観察眼でその様子を分析しながらも、彼らの気持ちを和らげようと、冗談などを交えたおしゃべりを心がける気遣いをみせる。
最も自分の感情を表に出すことが苦手で内向的な性格の著者も不幸な被害者の解剖に少なからず、精神的なダメージを抱えて行く。法病理学者の世界は、死をものともしないマッチョな文化が支配しており、この文化と自身の内面とのギャップに葛藤を持っていたことを克明に記している。
特にハンガーフォード銃乱射事件はかなりの精神的ダメージを著者にもたらした。1987年に起きたこの事件は、母親と二人暮らしの物静かの青年、マイケル・ライアンが突如として銃を乱射し、母親や駆けつけた警官、通りすがりの人々を次々と銃撃し16人を殺害、14人を負傷させた末に自殺した事件だ。近年、急増している社会から孤立してしまった青年による無差別大量殺戮事件を髣髴とさせる凄惨な事件の担当にシェパードは抜擢される。
法病理学者にはそれぞれの専門分野を持つものが多く、シェパードは刃物の専門家として活躍していたのだが、このときはガイズ病院の銃の専門家でシェパードの上司に当たるイアンが長期休暇を取っており、急遽シェパードに白羽の矢が立ったのだ。
次々と運ばれてくる不幸な犠牲者たち。そして同じ解剖台に運ばれる犯人の遺体。はたしてライアンが被害者と同じ解剖台で解剖されることを遺族はどう思うのだろうか?また、犯人の遺体は被害者の遺体と同じような敬意を持って扱われるべきなのか?そまざまな思いが去来する中での解剖。彼は後にこの時の記憶がフラッシュバックし、パニック発作に悩まされることになる。
リチャード・シェパードが法病理学者の道についたときは、ちょうど時代の変革の時期でもあった。例えば、警官や刑務官が容疑者や受刑者を拘束する際などに起こる事故死などが社会問題になり始めた時期でもある。特に黒人の犠牲者が多く、世間、特に左派や黒人コミュニティーの間では警察官の人種差別として問題が認識され始めていた。しかし著者は法病理学者として別の視点から問題を捉える。著者が被害者を調べた結果、彼らは「鎌状赤血球形質」の持ち主であることが判明する。この突然変異遺伝子のキャリアの大半はアフリカ系で、ヘモグロビン遺伝子に突然変異を持つ人が、高い山への登山、スキューバダイビング、強く身体を拘束される等の酸欠状態に陥るとヘモグロビンが酸素と結合できず、血球が鎌のように変形硬直し血管をスムーズに流れることが出来なくなるのだ。結果、重要な臓器が酸欠に陥り死にいたる。だが警官たちはそのような医学的知識は持ち合わせていないのが普通だ。加えて彼らは、暴れる人間を医学的な観点から安全に拘束すトレーニングも受けていない。ある意味では容疑者を拘束死させてしまった警官たちも制度上の欠陥による被害者ではないのか。そんな思いがシェパードを法医学者という立場を超えた、ある行動に駆り立てて行く。
そのほかにも子供の死。特に乳幼児の死因の特定の難しさと、世間の認識の変化などの話も興味深い。子供が親の所有物と考えられ、その死があまり問題にされなかった時代を経て、乳幼児突然死症候群(SIDS)という概念の普及とその予防キャンペーンの展開が広がる。法病理学者にとってはSIDSは便利な概念だ。死因の特定が難しい乳児の死を一言で片付けることが出来るからだ。しかし、揺さぶられっ子症候群、代理ミュンヒハウゼン症候群やネグレクトによる死などが問題になり始めると、乳児の死因を巡りマスコミなどが大きく報道するようになる。死の原因が親にあるのか、突然死なのかが厳しく問われ始めた。この問題は法病理学者を巻き込むことになる。世論などの影響を受けて裁判の判決が二転三転するケースなども多く法病理学者の多くが法廷闘争に巻き込まれて行くのだ。科学が導き出す真実といえど社会認識の影響を受けるのだと改めて教えてくれる。このように、ふだん目にすることの出来ない、法医学の世界を知るこのできる貴重な一冊である。