2022年4月1日、大分県別府市にある立命館アジア太平洋大学(APU)で入学式が行われた。そこに学長である出口治明さんが登壇され祝辞を述べた。
2021年1月9日、出口さんは脳出血で倒れた。一命はとりとめたが、右半身麻痺と失語症が残った。失語症は「聞く」「話す」「読む」「書く」という言葉を使った働きが上手く出来なくなる状態で、出口さんは相手の話している内容はある程度理解できても、自分からは意味のある言葉を発せなくなったのだ。
発病当時、出口さんは73歳。その前年、前々年は新型コロナウィルスの感染拡大で大きな影響を受けた留学生を含む学生たちを支援し、新しい学部の創立、政府の審議会の委員など多忙を極めていた。自分の健康に対する過信もあった。そこに起こった脳出血による後遺症は、客観的に見てもかなりの重度であったという。
本書はその状態から、冒頭の入学式の挨拶ができるまで回復する過程を、出口さん本人がつぶさに語っていく。多くは機能回復のためのリハビリテーション施設での治療行為と、自宅に戻ってからの工夫したリハビリの様子だが、驚異的ともいえる回復力の裏にあるのは「APUの学長に戻る」という強い意志があったからだ。
APUという大学は学生も教員もほぼ半数が外国籍。日本人学生も全国から集まっているという日本でも最もダイバーシティ豊かな大学であるといえる。出口さんは、教育現場に関わる仕事をしてこなかったが、2018年に外部からの国際公募の他薦によってこの大学の学長に就任し、日本だけでなく世界の人々に喜ばれ、卒業生が活躍する教育を実現したいと願っていた。そのためには、どうしてももう一度、現場に立たなくてはならなかったのだ。
脳溢血や脳出血による麻痺や言語障害などの後遺症で苦しんでいる人が身近にいる、という人は多いと思う。芸能人やスポーツ選手などでみ何人か思い浮かぶ。70歳を超えてこの病にかかった場合、自宅で生活できるように、あるいは施設に入るために、というリハビリの選択をすることが多いという。しかし出口さんは学長に戻り、以前と同じように講演会を行い、執筆をつづけつ事を決意し、決してあきらめることはなかった。
まずはリハビリの専門職を全面的に信頼する。言葉の問題や身体の不自由さは、いずれきっとよくなるという楽観的な見通しを持つ。出口さんが信奉するダーウィニズムにある「何が起こるか予測できない世の中で、どんな事態に直面するかは運しだい。人間にできることは適応のみ」という考えをより一歩進め、人生は楽しまなければ損と、新たなチャレンジを楽しもうとする意欲に驚かされる。
さらに身体障害者になったことにより、あらたな気づきや復帰の手段なども模索した。最終目的は別府のAPUに単身赴任で戻り、校務に完全復帰すること。そのための何を獲得し、何を手放すか。どの方向に努力すべきかを取捨選択していく。
リハビリの方法も専門家と検討しつつ、新しい試みを取り入れ、自分の希望が叶うように不断の努力を続ける。出口さんの成果は、専門家さえ「かつて見たことがない」と目を瞠るものであったという。
いくつかを紹介する。
・かなり強い言語障害があったため、まだ一般的ではない『全体構造法』という赤ちゃんが言葉を学ぶ過程を辿って言語能力を再獲得した。
・歌を歌う。普通は童謡を使うそうだが、出口さんは安全地帯の『恋の予感』を繰り返した。
・タブレットを使い始める。
・左手で文字を書く練習を「えんぴつで」シリーズ(ポプラ社)を行うことで古典文学をも学び直す。出口さんのオススメは『枕草子』
・電動車椅子の選択
・しゃべるリハビリにはオンラインを活用。(そういうサービスがある事にも驚かされた)
発病から1年3か月という驚異的なスピードで校務に復帰した出口さんを表す言葉が本書に紹介されていた。
ニーチェは、歴史は永劫回帰している、と考えました。人間はさほど賢くなく、同じ過ちを繰り返してきた。進歩はしていない。(中略)時間も歴史も進歩しない、そのような運命を正面から受けとめて頑張っていく人間。この強い人間をニーチェは「超人」と呼びました。
超人・出口治明さんが戻ってきた。心から寿ぎたい。
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本書には多くの出口さんからのオススメの本が紹介されている。
APUについて詳しく知りたい方はHONZメンバーの訪問記を是非お読みください。
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