タイトルからして何やら怪しい内容だが、あなた様が想像しているものとはきっと違います。
田中 泯はダンサーであり、舞踏(ぶとう)の人物だ。舞踏は日本で発祥し、半裸で踊るスタイルである。疾走する身体というよりむしろ動かなかったりする。しかし死を匂わせる静止した動作かと思いきや、いきなり生に執着する表情をとり、口を全開させた呼吸音が胸に響く。その支離滅裂な行為にどんどん引き寄せられ、観ているうちに常識という感覚が麻痺してくる。
近年、舞踏は世界に誇れる「ブトー」になった。世界共通用語であるブトーは、ヨーロッパはおろかアジア、アフリカにまで浸透している。なんといってもその醍醐味は人間は身体だけで表現する幅の広さにある。身体で表現するパフォーマンスでは、一つの究極形であり、観るべき価値がある。
本書が抜きん出て面白いのは、なにしろ、田中の言葉の重みが違う。その昔、舞踏集団といえば本当に卵を投げつけられてきた。お金にもならなかった。けど彼等には続けなければならない何かがあったのは確かだ。その何かに本書はぐっと迫る事ができる。
トピックス目次は身体の内面にせまるタイトルばかりだが、本書は三十年以上田中を撮り続けた岡田正人の写真と共に身体論が綴られている。舞踏はそれ自体、デュシャンのように常識を疑う行為に思える。衣装は裸だし特定の動きもない。これがダンス?とも思えるが、中身は勿論、奇抜を狙ったものではなく相応の気概を持って踊っている。
舞踏は土方巽が世界中に広めた。土方の存在は、1950~60年代の芸術史に欠かせない存在だ。そして本書のメインである田中は、土方の弟子である。本書を読み進めると、田中が師を本当に愛していたという事がひしひしと伝わってくる。構成はエッセイ式になっており、トピックスひとつひとつの題名は、踊りを通じての葛藤や幸せ、悩み、世の無常や矛盾などである。だが本書では、田中がそれらに率直に向きあい、ひとつづつ成長していく過程が描かれている。舞踏といえば、少し近寄り難い印象がある人も多いかと思うが、この本は人間が生来もっている悩み、苦悩を乗り越える真摯な姿勢が書かれている。読者は最後まで読み終えた後、きっと人生に対して前向きになれるだろう。 ちなみに田中は映画「たそがれ清平衛」に出演していた。5万回切られた男福本ではないが、見事な切られ方と死に様を見せた。その往生の様子、つま先だちで震えながらのオフバランス。白目で身体が悶える様は、画面を通じ圧倒的な存在感を放っていた。
2003年、私は田中の「舞踊の意味を問い、あらゆる世界の踊りのあり方を鑑賞する」ワークショップに参加した。その時は舞踏といえば麿赤兒率いる大駱駝館や伊藤キムなどが人気を博していたが、そんな中、田中が山梨県に桃花村という踊りの村を作り、ダンスや農業のフィールドワークを結びつけようとしている取り組み方がひときわ輝いてみえた。他の舞踏集団が自己完結的な表現を留めているのに対し、ダンスと農業などを結びつけ、表現を外に発信しようと姿勢に私は共感した。
表紙の写真は奇抜だが、中身はもっとスゴイ。ごみ溜で撮られた写真もある。でもすぐに慣れるだろう。
ランチを食べながら本書を読み、うわーキレイだな~この首の角度!とか唸れたら人として幅が広がり、一人前かもしれない。
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能・狂言に代表される芸能は熱狂的であると同時に、寺社の祭儀とかかわる儀礼的かつ呪術的な性格だった。トランスする身体、声、音の芸術であった事を証明する一冊。
こちらはバレエから民族舞踊まで、ダンスを体系的に論述している。身体を使う表現者は読んでおいたほうがよい内容。
感動する舞台といえば、本物の馬が登場する舞台ジンガロを観ないといけない。360度スキ無しの演出。人馬一体の完成されたエンタテインメント。踊れる馬を観ずに死ぬのは勿体ない。演出バルタバスについての考察本が出ればぜひ購入したい。代表作はアジア文化融合の「エクリプス」だが、近年は「バトゥータ」がオススメ。