ヒトの進化において「協力的なコミュニケーション」が大きな鍵を握ったであろうことは、たびたび指摘されるところである。人がひとりでできることは限られている。単独で野生動物を狩ろうとしても、得られるのはせいぜいウサギくらいだろう。しかし、ほかの人と協力すれば、わたしたちはシカだって野牛だって狩ることができる。また、ほかの人と情報交換すれば、わたしたちは新たな技術などについて伝えあうことができる。というように、その進化史において、協力的なコミュニケーションはヒトに多大なメリットをもたらしたと考えられる。
しかしそれならば、次のような問いがさらに生じても不思議ではないだろう。ヒトはどうやって協力的なコミュニケーションを行うことができるようになったのか。
本書は、その問いに対してひとつの回答を与えようとするものである。そして、本書が導き出す回答は、原書のタイトル(Survival of the Friendliest)に示されている。つまり、「友好的(friendly)」という性質こそが、協力的コミュニケーションの発達において(ひいてはヒトの進化において)決定的に重要だったというのである。
著者のブライアン・ヘアは、『あなたの犬は「天才」だ』(早川書房)の著書もある、アメリカの進化人類学者である。彼のキャリアと研究スタイルがことさら興味深い。ヘアは、比較心理学者のマイケル・トマセロのもとで研究を始め、その後、霊長類学者・人類学者のリチャード・ランガムの指導を受けている。そのためであろう、ヘアはふたりの研究から強い影響を受けるとともに、それらをミックスしたようなユニークな研究を展開している。
ではまず、「ヒト以外に、協力的なコミュニケーションを行うことができる動物はいるのか」と考えてみよう。目を向けるべきは、わたしたちにとって最も身近な生物種である。
イヌと指さしジェスチャー
協力的コミュニケーションのひとつに、指さしジェスチャーがある。わたしたち人間は何かを指さすことによって、「あれを見て」という自分の意図を他人に伝えることができる。至極簡単に思えるそのコミュニケーションも、しかしながら、ほかの動物にとってはことのほかむずかしいようだ。実際、ヘアらの実験によって、チンパンジーでさえも指さしを理解できないことが明らかになっている。ヘアらが指さしによって餌の隠し場所を示そうとしても、チンパンジーはそれにしたがって餌を見つけることができなかった。
その一方で、ヒトの指さしを難なく理解できる動物がいる。そう、イヌである。飼い主にとっては当たり前かもしれないが、研究者からしてみれば、イヌにそのような認知能力が備わっているということは大きな驚きであった。ヘアがイヌの能力について初めてトマセロに切り出したときのエピソードが、そうした事情を物語っている。
ある日、このことについてマイクと議論していたとき、私は思わずこう言ってしまった。
「僕のイヌならできると思いますよ」
「そりゃそうさ」と、マイクは椅子にもたれかかり、にやりと笑って言った。「どの飼い主も、自分のイヌは微分積分ができるって言うものだよ」
この後の展開はもうおわかりだろう。トマセロの思い込みはヘアと愛犬の実演によって見事に打ち砕かれる。イヌはヒトの指さしを理解して、餌のありかを探り当てたりすることができるのだ(動画参照)。
ならば、イヌはどうやってそんな能力を獲得したのだろう。そのヒントを求めて、今度はロシアのキツネを訪ねてみよう。
選抜されたキツネとその形質
1950年代末から、ロシアではキツネを使った類例のない実験が行われている。それは、動物の家畜化のプロセスを明らかにするべく、キツネの大規模な選抜と交配を行うというものである。
実験の主導者だったドミトリ・ベリャーエフは、たったひとつの性質を基準にしてキツネを選抜・交配した。その性質とは、人間に近づいていくか、人間を怖がらないという性質、つまり、「人間に対して友好的である」という性質である。
友好性を基準にして選抜・交配したがゆえに、世代を重ねるにつれて、キツネたちはいっそう友好的になっていった。だが、キツネに生じた変化はそれだけではなかった。キツネは、被毛にぶち模様が生じ、耳が垂れ、歯が小さくなり、繁殖期が長くなったりしたのだ。そして、じつはそれらの形質は、家畜化された動物の多くに共通して見られるものにほかならない。そのように、友好性を淘汰圧とする家畜化が進むと、動物には副次的に一連の形質が生じてくるのだ。
さて、ここからさらに話がおもしろくなっていく。ベリャーエフの実験開始から44年後、ヘアはランガムの提案を受けてロシアへ向かうことになる。その目的は、選抜されたキツネの認知能力をテストすることであった。
テストの結果、驚くべきことが明らかになる。友好性を基準にして選抜されたキツネたちは、なんと指さしを理解することができたのだ。しかも、その成績はわずかであれイヌを上回っていた。反対に、友好性にもとづいて選抜されていないキツネは、数か月にわたって人と触れ合ったとしても、指さしを理解することができなかったのである。
ようやく結論が見えてきただろう。協力的コミュニケーションの能力は、その獲得の仕方に関しては、被毛のぶち模様や垂れ耳などと変わるものではない。ヘア自身の言葉を用いれば、結論はこうである。
[ヒトに対する]恐怖心の影響を受けなくなったキツネは、協力的コミュニケーションなどの社会的な能力をより柔軟に利用できるようになった。……認知能力の進化に関する大半の仮説の予測とは異なり、それは偶発的なものだった。こうした社会的知性は、人間への恐怖が友好性に置き換わったことに伴う、副次的な効果にすぎない。
実験を行なったキツネと同様、イヌがもつ独特な協力的コミュニケーションの能力は、[友好性を淘汰圧とする]家畜化の結果として進化した。
ヒトの自己家畜化仮説
本書の主たる問いは、ヒトの進化と協力的コミュニケーションの発達に関するものであった。以上の議論を踏まえれば、それに関してヘアがどのような説明をするのか、だいたいの予想がつくだろう。当然のことながら、「友好性」や「家畜化」というアイデアがそこでの重要ポイントとなっている。
ただし、先のキツネの場合とは異なり、ヒトは人為淘汰を受けて一定の形質を獲得したのではない。ヒトがさらに友好的になり、それに伴って一定の形質を獲得したのだとすれば、それは自然淘汰を介してのことである。友好性という圧力のもと、生物が自然淘汰を介して一定の形質を獲得していくことを、ヘアは「自己家畜化」と呼んでいる。ヘアによれば、協力的コミュニケーションを含むヒトのある種の認知能力は、自己家畜化のプロセスを経て生み出されたのである。
もちろん、ヒトの自己家畜化を指摘するだけでは、問いに十分に答えたことにはならない。そもそもヒトの協力的コミュニケーションの能力は、ほかの動物のそれを圧倒的に上回るものである。ならば、さらにどのような条件があって、ヒトのその能力はより強力なものになっていったのか。その進化的シナリオを示した箇所が、本書の第4章であり、本書のクライマックスである。ここではこれ以上のネタバレを控えるので、その内容に惹かれる人はぜひ本書に当たってほしい。多方面にわたる議論のパーツが組み合わさって、ひとつのシナリオが形を帯びてくるさまに、きっと興奮を覚えてしまうことだろう。
本書の執筆には、ヘアのパートナーであり、ジャーナリストでもあるヴァネッサ・ウッズも加わっている。そのおかげか、本書は読み物としてのエンターテインメント性も十分である。トマセロとのやりとりに関する引用箇所で見たように、ヘアたちの研究の進展がドラマチックかつユーモラスに描かれている。また、筆致も躍動感があり、こちらの読む気を刺激し続けてくれる。本文も275頁ほどであるから、退屈する暇もなく読み終えてしまう人も多いのではないか。
ところで、本書は著者たちの強いメッセージが込められた本でもある。友好性が強化されたわたしたち人間は、集団内のメンバーに対しては寛容になる一方で、集団外のメンバーには攻撃的になりがちである。世界各地で社会が分断している現在、自らの来し方を踏まえた著者の言葉は重く響く。その言葉を引用して締めくくろう。
自己家畜化仮説は単なる創造神話の一つではない。他者を人間扱いしない傾向をなくすうえで大きな助けとなる。この仮説は、人類がこの先も子孫を残して繁栄していくために、自分の仲間と見なす人の範囲を広げなければならないと警告し、教えてくれる。
ヘアの師であるランガムの著書。ヒトの自己家畜化について詳しい。
これまたヘアの師であるトマセロの著作。タイトルどおり、ヒトの協力行動について論じている。
今回の本は、自己家畜化した生物としてボノボについても言及している。ボノボについて知りたいのであれば、まずはドゥ・ヴァールの本を手に取るべきだろう。