「ぼけますから、よろしくお願いします。」――これは2017年のお正月に著者の母親が言った言葉です。当時87歳の母親は、この時すでに認知症を患っていました。当事者が自ら「ぼけます」宣言をするなんて、なんともとぼけたユーモアがあります。
著者はこれまでテレビで数多くのドキュメンタリー番組を手がけてきました。広島県呉市で暮らす両親の老老介護を取り上げ放送したところ視聴者から大きな反響があり、その後ドキュメンタリー映画にもなりました。自ら監督、撮影、ナレーターを務めた『ぼけますから、よろしくお願いします。』は2018年に公開され、全国で20万人を動員するヒットを記録。映画化を機に執筆した本も新潮ドキュメント賞の最終候補作になるなど、高齢夫婦の日常に多くの人が心を動かされました。
前作から4年、待望の続編『ぼけますから、よろしくお願いします。〜おかえりお母さん〜』が完成し、3月25日より全国で順次公開されています。地元の中国新聞で連載されたエッセイ「認知症からの贈り物」をまとめた本書も、続編公開のタイミングで出版されました。この本で描かれるのは、認知症の母を襲った二度の脳梗塞と最期の日々、そして一人になった父親の日常です。
母・文子さんは2014年、85歳の時にアルツハイマー型認知症と診断されますが、同じ話を繰り返すといったぼけの兆候は、1年半ほど前からあったそうです。心配になって実家に戻った著者に、父親が「直子もお母さんを傷つけるようなことは言うなよ。お母さんが一番不安なんじゃけんの」と釘をさします。父親はとっくに気づいていたのですね。本書で特筆すべきは、父・良則さんのカッコ良さ。ぼけた妻・文子さんをおおらかに受け止め、支え続ける良則さんは、ハードボイルド小説の主人公、フィリップ・マーロウの有名な台詞「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」(清水俊二訳)を彷彿とさせるような強さと優しさを兼ね備えています。
とはいえ、介護にはきれいごとの通用しない厳しい現実もあります。とりわけ親が幼児返りした姿を目の当たりにするのは、誰にとっても辛い体験でしょう。昔と同じように母を愛せなくなってしまったことを、著者も正直に告白しています。でもこの家族には、そんなネガティブを吹き飛ばす大きな武器がありました。それが「ユーモア」です。冒頭の母親の一言のように、信友家には笑いがあふれているのです。
知性をごくシンプルに定義するなら、それは「物事を客観的にみる能力」ではないでしょうか。ユーモアは人間の知性の産物です。
「人生は寄って見れば悲劇だが、引いて見れば喜劇だ」
著者が大好きな喜劇王チヤップリンの言葉は、まさに人間の知性の働きをあらわしています。母親の行動だけにフォーカスすると「何でこんなに変わってしまったのか」と悲しくなってしまいますが、一歩引いて見れば「ぼけたおばあさんと耳の遠いおじいさんの噛み合わないやりとり」が、まるでとぼけた漫才のようにも見えてきます。ユーモアは悲しい現実を乗り越える大きな力になるのです。
本書を読んでもうひとつ強く感じたのは、私たちはもっと社会を信じてもいいのではということ。信友家では当初、文子さんが認知症になったことを周囲に隠していました。ところが認知症を公表した途端、近所の人が口々に声をかけてきました。実はみんな心配していたのですね。人生100年時代となり、いまや誰にとっても認知症は自分事。助けを求め、声をあげることは、決して恥ずかしいことではありません。
文子さんは2020年6月14日に91歳で永眠しました。良則さんは101歳になり、いまもお元気です。身の回りのことは全て自分でやり、周囲の人にも見守られながら生活しています。なんと最近はパソコンにも興味津々とか。信友家の物語にはこの先もまだまだ面白い展開がありそうです。
最後に本書でもっとも心に残った良則さんの名言を紹介しましょう。
「年寄りにとって『社会参加』いうのは社会に甘えることなんじゃのう。かわいい年寄りになって、何かしてもろうたら『ありがとう』言うのが、わしらの社会参加じゃわい」
人生の大先輩が達した境地に脱帽!僕には101歳の良則さんがフィリップ・マーロウよりもはるかにカッコいい男に見えるのでした。
『波』(新潮社)4月号より転載