「アマチュアは勝ちを語り、プロは負けを語る」という。
本書は、捜査のプロが負けについて語ったものだ。負けた記憶は、警察を辞めた今もなお、棘のように刺さったまま著者を苛んでいる。
刑事にとって事件は「解決して当然」のものであり、未解決はすなわち敗北を意味する。著者が捜査一課として深く関与した2つの事件は、いずれも未解決に終わった。その事件とは、警察庁広域重要指定事件、「ヨン」(114号=グリコ・森永事件)と「ロク」(116号=朝日新聞阪神支局襲撃事件)である。
著者は兵庫県警OBである。元刑事の回想録といえば警視庁が定番で、兵庫県警は珍しい。だが本書で初めて知ったのだが、1980年代以降の警察庁広域重要指定事件は、兵庫県と関わりのある事件が非常に多い。著者はそれらの事件の最前線にいた。
著者は1938年鹿児島生まれ。7人きょうだいの4男だった。中学時代は生物クラブに所属し、研究者の道に憧れを抱いていたという。だが人生は思うようにはいかない。高校は県下有数の進学校に進むも、経済的事情から大学進学を断念し、たまたま交番のポスターで知った兵庫県警の採用試験を受けた。
高校の恩師にも熱心に大学進学を勧められたというから、優秀な生徒だったのだろう。特に大きな志もなく、なりゆきで警察官になったこともあり、難関大学に進学した級友たちとの落差に劣等感を抱き鬱々とした日々を送っていたという。
だが刑事になって事件の被害者や加害者の生い立ちに触れるうちに、自分自身の境遇を嘆くことの不毛さに気づく。人生がうまくいかなくとも目の前の現実と懸命に向き合っている人はたくさんいる。著者もその一人として、プロの道を歩み始めた。
駆け出しの頃、スリをマークするために先輩刑事と駅のホームで電車を待っていた。吹きすさぶ寒風に耐えられず思わずポケットに手を入れると、「オイ、手を出しとけや」と注意された。言われた通りに手を出すと、先輩刑事が呟いた。「目つきが悪うなるんやで」
人はポケットに手を入れると、知らず知らずのうちに険しい目つきになってしまい、刑事だと見破られてしまうという。こうした先人の知恵をひとつひとつ著者は身につけていった。
1996年に著者は思いもよらない辞令を受けた。捜査一課長への異動である。それまでは鑑識課にいた。子供の頃、研究者に憧れたこともあり、鑑識の仕事は性に合っていた。捜査一課長といえば警察の花形ポストだが、この時は嬉しさよりも名残惜しい気持ちでいっぱいだったという。
「一課長が頼りないと大きな事件がよく起きるというのはどうやら本当らしい」と著者は書いている。刑事としてのキャリアをみれば「頼りない」というのは謙遜が過ぎるが、たしかにその事件は犯罪史上類を見ない大事件だった。
事件の一報の描写は生々しい。1997年5月27日朝6時40分過ぎ、枕元の警察電話が鳴り響いた。跳ね起きて電話を取ると、宿直の捜査員の押し殺したような声が聞こえてきた。「課長、須磨区の友が丘中学校の正門前に男の子とみられる頭部があると」その瞬間、雷に打たれたような衝撃が全身を駆け抜けた……。
この日から著者は「神戸連続児童殺傷事件」の捜査の陣頭指揮を執ることになった。
本書を読んで、捜査のかなり早い段階から少年による犯行を視野に入れていたことを知った。遺体発見の翌日、著者は警察庁に過去の通り魔事件に関する資料の提供を要請している。すぐに100件以上の資料が送られてきたが、類似性の高さで注目した2つの事件は、いずれも少年によるものだった。
また、事件の舞台となった友が丘地区は須磨ニュータウンのほぼ中央に位置するのだが、阪神淡路大震災以降、壊滅的な被害を受けた長田区などからこの地域に多くの住民が流入していた。それとともに少年の非行認知件数も増えており、著者は「街全体のストレスが大きくなっている」と感じていた。
捜査本部が設置された数日後には、早くも14歳の「少年A」の実名を把握している。被害者の人間関係をめぐるチャート図に名前があったのだ。加えて、匿名住民からの情報提供の中にも非行少年グループのリーダー格としてこの少年の名前があった。
少年による犯行となれば、捜査には細心の注意を要する。そこまで徹底するのかと感心したのは、少年Aの内偵を進めると同時に、犯行を打ち消すような情報も探していたことだ。ある容疑者を「クロ」だと思い始めると容疑性を強める情報にだけ目がいってしまう。それは危険な兆候だという。少年Aが「シロ」であることを示す証拠を探し、それでも容疑が晴れないのであれば、初めて事件は解決に近づく。こうした慎重な捜査の末に、犯人は逮捕された。
一方、未解決事件の回想には後悔がにじむ。
「グリコ・森永事件」当時、兵庫県警は深刻な問題を抱えていたという。警察官による不祥事である。兵庫県警の現職警察官2名が立て続けに銀行強盗事件を起こし、それぞれ大阪府警に逮捕されたのだ。「グリコ・森永事件」では、兵庫県警と大阪府警とのあいで主導権争いがあり、捜査に悪影響を及ぼしたことが知られているが、よりによって同僚が(それも2名も)大阪府警に逮捕されるという最悪の事態が起きてしまったのだ。
本部長は更迭、多数の幹部も処分を受け、現場は大混乱となった。県警では急遽、上司による部下の「家庭訪問」が実施されたという。部下が借金などで困っていないか把握するためである。もちろんそんなことをやっている場合ではなかったことはいうまでもない。
「朝日新聞阪神支局襲撃事件」では、捜査にあたり、新聞記者の仕事や生活、思考を徹底して学んだという。その過程で著者は、記者に共感を抱くようになった。事件が起きれば昼夜を問わず飛び回り、家庭を犠牲にしてまで仕事をする新聞記者に、刑事である自分の姿を重ねている。だから若くして殉職した小尻知博記者への思い入れも大きい。墓前に犯人検挙の報告ができなかったことは今も断腸の思いだという。
著者は退職後の今も、できる範囲で資料を集め、整理し、更新し続けているという。未解決事件の答えが資料の中にあるからではない。「空白地帯」にこそ、事件の真相が隠されていると考えるからだ。つまり「何が欠けているか」を炙り出すために、資料を集め続けているのである。
プロが自分の仕事に満足することはない。未解決事件がなくなるまで、著者の仕事は終わらないのかもしれない。