ウィルスの大きさでヒトを見てみたら?
こうきたか。これが、養老孟司の視点だ。新型コロナウィルスの顕微鏡写真がテレビ画面に映し出されるのを何度見たことだろう。だが、あの倍率でアナウンサーの顔を映したらどうなるか。ウィルスの倍率でヒトを見ることのズレに着目するのである。
養老孟司という人物への説明は不要であろう。当たり前だと思っている事象に物申す。ミクロとマクロの視点で縦横無尽に社会を見渡す。懐の深さと鋭さ、魅力はそこに尽きる。
実は私はマクロな現物を見ようとメガトン級の設備を取材して回ったことがある。国内では石油備蓄基地の巨大タンク群や浮体式洋上風力発電所等、海外ではスイスのジュネーブでCERNの世界最大円形加速器を見た(点検修復中の僥倖であった)。山手線ほどの長大さと同時に、そのディテールの緻密さに驚いたものだ(『メガ!』という一冊になった)。この厳密なサイズ感や現場の把握理解力は、非常に大切だ。だから、ウィルスとヒトの倍率比較には大いに共感した。
私は、養老さんが好きな昆虫には残念ながら興味がないが、その標本を作成する手つきの細やかさには、テレビで見て驚いたことがある。本書でもディテールとメガを行き来する柔軟な脳ミソは健在だ。この解像度で社会を論じるから実像がきちんと浮かび上がる。エビデンスというのはこう使わねば、である。
本書では、政府からの「不要不急」の外出自粛要請、五輪、ワクチン接種などの社会的事象に、自らの心筋梗塞や愛猫「まる」を亡くした喪失感など個人的体験を交えながら、この2年余の思考を綴っている。経験というディテールから一気に大きなマクロ目線で人間の存在まで論じてしまうあたり、84歳という年齢を一切感じさせないほど養老さんの思考は自由だ。
同時に、まるに関する記述には、涙を搾り取られる人も多いのではないか。寿命を迎えつつあるまるに治療を施すのはこちらのワガママかと逡巡する一文もあった。私自身の愛犬も既に19歳、老衰の症状が出ている。苦しそうな姿を見たときにこれを思い出す。
「壁」シリーズの過去5作品は累計670万部だそうだ。新たな視点を与えられることで、読者は自分の可動域以上の自由な広がりのある景色へと連れて行ってもらえる。養老さんが案内する思考の旅に身を任せる喜びが、そこにはある。
※「週刊新潮」3月10日号