「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」とは、ドイツの哲学者、テオドール・アドルノの言葉だ。アウシュヴィッツを生んだ文明の野蛮さを乗り越えることなしには、人間の存在も野蛮なままだと彼は考えた。
だが残念ながら21世紀も事態は変わっていない。それどころか「より洗練された野蛮」とでも呼ぶべき事態が出来している。本書は中国の新疆ウイグル自治区で進行中の恐るべき人権弾圧に関するルポルタージュである。
新疆ウイグル自治区には約1100万人ものイスラム系ウイグル族が住む。彼らに対する中国政府の苛烈な弾圧はすでに広く報じられ、強制収容所の実態なども知られるようになった。欧米諸国が北京冬季五輪の「外交ボイコット」を表明し、国際問題に発展したことも記憶に新しい。だが本書を読むまで、この問題の真の恐ろしさをわかっていなかった。本書が告発するのは、人権弾圧の背後にあるテクノロジーの問題である。
自治区を脱出した人々が証言する弾圧の実相は凄まじい。彼らは監視システム「スカイネット」によって私生活すべてを監視されていた。住民は信用スコアでランク付けされ、信用度が低いと食料品を買うことすらできない。
当局に目をつけられないよう気をつけていても、AIの「予測的取り締まりプログラム」が将来罪を犯す人物とみなせば、身柄を拘束されてしまう。誰が選ばれるかはAI次第。監視も処罰もデータに基づきスマートに行われる。街全体がAIテクノロジーで覆われた巨大な監獄のようだ。
なぜ中国政府はウイグル人を弾圧するようになったのか。きっかけは「9.11」米国同時多発テロだという。中国政府はこれを、独裁支配を強める好機ととらえた。ターゲットとなったのは、新疆に住むイスラム系ウイグル人の過激派集団である。
迫害を受けたウイグル人の一部はシリアやアフガニスタンに渡り、イスラム国の訓練に参加した。彼らはやがて帰国し、中国国内でテロを起こす。決定打となったのは2014年、習近平が自治区を訪問した時に起きた爆破テロだ。それ以来、政府の弾圧は苛烈さを増し、今やウイグル族を地上から消し去ろうとしているかのようだ。
本書が明らかにするのは、中国を強く非難する米国自身が、人権弾圧の片棒を担いできたという事実である。例えば住民の監視に使われる顔認証や音声認証などのテクノロジーの開発には米国のテック企業が深く関与している。
また、中国当局がウイグル人からDNAサンプルを強制採取しデータベースを構築した際は、米国の企業が売り込んだシーケンサーが大活躍した。こうした共犯関係によって史上最悪の「AI監獄」が実現したのだ。
著者の予測では、今後「新疆式の社会統制の輸出」という最悪のシナリオもありうるという。すでに中東の独裁国家の多くが、中国の勢力圏に加わることで技術的・金銭的恩恵を受けようとしている。同じイスラム系のウイグル人たちはこの流れに危機感を強めているという。テクノロジーは国境を越える。それをどう使うかは私たち次第だ。
この先の未来もなお、人類は野蛮なままなのだろうか。
※週刊東洋経済 2022年2月12日号