ここまで来ている脳とAIの関係『脳と人工知能をつないだら、人間の能力はどこまで拡張できるのか 脳AI融合の最前線』と『生命知能と人工知能 AI時代の脳の使い方』をあわせ読み
脳科学はおもしろい。なにしろ新しい知見がどんどん発表されるし、それを紹介する本も目白押しだ。今回はそんな中から脳と人工知能について書かれた本を二冊まとめて紹介したい。
一冊は、『新・情報7DAYSニュースキャスター』(TBS系)のコメンテーターとしても活躍する東大薬学部教授・池谷裕二と、その共同研究者である東大附属病院の医師・紺野大地による『脳と人工知能をつないだら、人間の能力はどこまで拡張できるのか 脳AI融合の最前線』。もう一冊は、同じく東大の情報理工学系研究科准教授・高橋宏知の『生命知能と人口知能 AI時代の脳の使い方・育て方』である。
ともに脳とAIの関係性について研究しているが、そのアプローチはいくぶん違う。池谷・紺野は、タイトルにあるように、脳にAIを「実装」するような研究をおこなっている生命科学・医学系研究者である。このような研究は一昔前までなら完全にSFのテーマだったが、いまや実現化が視野にはいってきている。
一方の高橋は、聴覚の研究から開始し、脳や知能とはどういうものかを工学的アプローチで解明しようとする研究者である。高橋はタイトルに、「人工知能」に対峙する言葉として、通常使われる「脳」という言葉ではなく「生命知能」という用語を使っている。なるほど、そういう対比が望ましいほどに「人工」知能が進歩しているという時代感だ。
類似したテーマの本を続けて読むと、読書に立体感が加わってくる。池谷・紺野の『脳AI融合』は、脳とAI研究の過去、現在、未来という三章立てで、その歴史的経緯から今後の展開を論じてある。それに対して、高橋の『生命知能と人工知能』はそのふたつを対比しながら水平に広げていく。そんなであるから、この二冊の場合はとりわけ立体的だ。
両者は補完的なところもあれば、共通しているところもある。意識とは何か、そしてそれにどうアプローチできるのかといった認知科学における最大といっていい問題、そして、人工知能が作製した「芸術作品」は果たして芸術として認めることができるだろうか、といった問題については共に論じている。少なくとも現状では正解のない課題なので、両者を読み比べた上で考えてみると、脳がどんどん活性化されてくる。
ここからはそれぞれの本を簡単に紹介してみよう。池谷・紺野の本の第一章は『脳とAI融合の「過去」』、これはAI関係の本を読んだことがある人にはおなじみの内容だが、第二章の「現在」になると俄然ドライブがかかってくる。マウスの脳にチップを埋め込んで磁気を感知させたという自らの研究成果には目を見張らされる。それに、「他人が見ている夢を読み取る人工知能」、「人工眼球の誕生」、「脳に文字を『書く』、「念じるだけでゲームをプレイするサルの誕生」や「イーロン・マスクとNeuralink(Neuralinkというのは「コンピューターを通じて脳と人工知能を接続する」ことを目的に、テスラのイーロン・マスクが設立した会社名)」などという項目を聞いただけで、そそられはしまいか。
どの項目も短く、分かりやすく、そしてポイントを正確に説明してくれるのがありがたい。そして、極めてフラットに、現状で何ができていて、将来どうなりそうかが紹介されている。いずれの本にもいえることだが、何かに囚われたり煽りすぎたりせず、きわめて科学的な記述になっているので安心して読み進めることができる。
「人工知能は東大に合格できるのか?」で紹介されているように、日本では人工知能を東大に挑ませる研究がおこなわれた。残念ながら、「何らかのブレークスルーがない限り」困難である。一方、中国では人工知能が医師国家試験を楽勝で突破できた。これは日中のレベルの違いではなく、東大入試と医師国家試験の違いだろう。後者は基本的に知識があれば解けるが、前者はそうではない。かねがね医学生にバカみたいな暗記を強いるのはいかがなものかと考えているのだが、それが立証されたようで嬉しい。これからは、AI利用を前提とした医学教育や国家試験にシフトしなければならないのに、そのような気配はない。医師国家試験に限らず、自分に関係のあることに引き寄せていろいろなことを考えてみるのが面白い。
第三章の「未来」では、「池谷脳AI融合プロジェクト」が何を目指しているのかに始まり(池谷さんの脳とAIを融合するプロジェクトではなくて、池谷さんをリーダーにした、脳とAIを融合させるプロジェクトです。念のため)、脳と脳の融合、脳への情報の書き込みと脳情報の読み取りなどへと話は進む。
高橋の本はもう少しテーマが広い。第一部「脳と計算機」では、両者を比較しながら、脳とはどのような臓器なのか、どのようにして機能するのかが説明される。それをふまえて、「生命知能を創る」と「知能はどう育つのか」の二章からなる第二部では「知能とは何か」ということがが論じられる。そして第三部「知能を支える意識」では、「意識とは何か」、「人工知能は芸術作品を創れるのか?」、「意識が科学と宗教を生んだ」という高次なことへと思考が進む。内容は多岐にわたるが、どのトピックスも非常にわかりやすく書かれている。
池谷・紺野の本に比べると、高橋の本は自分の考えが色濃く出ていて、やや仮説的なところも多い。たとえば、変異と選択のツーステップによって成立するダーウィニズムは強力なエンジニアリング手法であり、脳の発達や知能の成立にも当てはめることができる、などといったように。すべて正しいかどうかはわからないが、どれもがとても魅力的だ。そして最後には、これからの時代をいかに生きるべきかまで話はおよぶ。
いずれの本も論理と想像力に満ちているのだが、池谷・紺野は論理に、高橋は想像力に、より重きを置いているという印象を受けた。「Logic will get you from A to B. Imagination will take you everywhere.」(論理はあなたをA地点からB地点へと誘う。そして想像力はどこへでも連れて行ってくれる)というのは、かのアルバート・アインシュタインの言葉である。どちらがいいとか悪いとか、レベルが高いとか低いとかではなくて、論理と想像力は相補的ながらも協力しあうものだ。
それぞれの本を読むだけでも十分に面白い。しかし、最後にもう一度書いておこう。両者を読めば、あなたの「生命知能」の働きによって、面白さは立体的になり、おそらく単独で読むよりも10倍以上に膨らむはずだ。