あなたにとって「絶対これだけは手ばなせない」と思うテクノロジーは何ですか? 大切な人とたえずつながっていられる携帯電話? 知りたい情報に瞬時にアクセスできるインターネット? それとも、24時間365日つねに冷えたビールが出てくる冷蔵庫? あるいは、真冬でも冷たいビールをおいしく感じさせてしまうエアコンでしょうか。
多くの現代人が「あって当然」「なければ生きていけない」とみなす、そのような文明の利器をかたっぱしから手ばなし、そこに立ちあらわれる新しい――と同時に非常に古くもある――日常の風景へと読者をいざなってくれるのが、本書の著者マーク・ボイル、別名「カネなし男」です。
アイルランド北西部のドニゴール県で1979年に生まれたボイルは、大学でビジネスを学んだのちに、英国ブリストルで無銭経済(フリーエコノミー)運動を創始。2008年の「無買デー」から約3年間、一銭のお金も使わずに暮らしたことで知られています。お金を使わないといっても、食べるにも事欠く窮乏生活ではなく、世捨て人のような隠遁生活でもありません。
この世界が待ったなしの気候危機やコミュニティ崩壊に直面するなか、持続可能な地球を取りもどすには、自分の消費する物や地域社会や自然界と、金銭を介さず直接つながり直すしかない、という信念にもとづく運動の一環でした。無買デーとは、「年に一度、余計なモノを買わずに過ごし、行きすぎた消費主義を考えなおそう」とカナダから広まった記念日です(英国や日本では11月の最終土曜日)。
お金を手ばなすにいたる経緯と「カネなし生活」最初の1年の経験をユーモラスにつづった初の著書は評判を呼び、これまでに20以上の言語に翻訳されています。邦訳『ぼくはお金を使わずに生きることにした』も、2011年の無買デーに全国の書店に並んで以来、刷を重ね(本稿執筆時点で17刷)、多くの人に影響を与えてきました。奇しくもちょうど10年後にあたる今年、彼のあらたな挑戦を描いた第4作の邦訳『ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした』が、こうしてまた無買デーに発行される運びとなりました。
当初1年間の実験のつもりだった「カネなし生活」の豊かさに魅せられた彼は、結局3年近くその暮らしをつづけ、そこでつちかった無銭の哲学と生活の知恵を第2作『無銭経済宣言――お金を使わずに生きる方法』に集大成します。2013年には故国アイルランドのゴールウェイ県に、5年間無人だった1万2000平米の小農場を著書の印税で購入し、仲間とともに移住。無銭経済(=ローカルな贈与経済)を誰もが体験できる場づくりに、いよいよ動きだしました。
もとからあった「スイッチやボタンやコンセントだらけ」のファームハウスに住みながら、パーマカルチャーの原理にもとづく農園整備、古い豚舎の全面改築による無料宿泊所〈ハッピー・ピッグ〉建設、近隣の森の木を使用した小屋の新築に汗を流すこと3年半。2016年の冬至に、完成した小屋へ恋人カースティと移り(ファームハウスは家賃タダで人に貸して)、「身の丈を超えた複雑なテクノロジー」を使わない念願の生活をはじめます。本書に生き生きと描きだされるのは、その準備段階と、テクノロジーを手ばなして季節が一巡するまでの1年間です。
カネなし生活時代の彼は、みずからの考えを発信したり、人びとが道具やスキルを分かちあう〈フリーエコノミー・コミュニティ〉のウェブサイトを運営したりするために、中古のパソコンを使用していました。受信専用の携帯電話や、充電用のソーラーパネルも使っていました。「テクノロジーなし生活」とは、そのような一切とも縁を切ることを意味します。産業文明から完全に「プラグを抜いた」、究極のオフグリッド生活といってもよいでしょう。すなわち、「既存の電力網に頼らずに自家発電する」のですらなく「電気自体を使わない」という決断なのです。
もちろん、テクノロジーとはデジタル機器や家電製品のみをさすわけではありません。ワンタッチで火のつくガスコンロも、蛇口をひねれば出てくる水もなし。夜には手づくりの蜜ロウキャンドルを灯す暮らしです。
20代のころからベジタリアンで動物の権利(アニマルライツ)運動にもかかわってきた彼が、植物性タンパク質の定番である輸入物の豆類を断ち、代わりに野生動物(湖で釣ったカワカマスや交通事故死したシカ)を食べる選択をしたのも、それら外国産食品の栽培・加工・輸送過程がグローバルな産業テクノロジーに依存せざるをえないためです。
本書では、こうした現在進行形の「スローライフ」の忙しさ、「シンプルライフ」の複雑さが、四季の変化に即して語られるのに加えて、20世紀半ばまで自給自足生活がいとなまれていたアイルランド南西部のグレート・ブラスケット島にまつわるエピソードと、著者の子ども時代からの軌跡をふりかえる回想シーンとが、並行して、ときに交差しつつ、展開されていきます。
過去の回想部分では、「まともな靴が一足あるだけで御の字」だった少年期、友人の誰よりも早く携帯電話を入手したティーン時代、パブに入りびたりの大学生活、使命感に燃えてモーレツにはたらいた有機食品業界時代、カネなし実験前に企てたインド巡礼の挫折など、これまでの著作で触れられなかった事実も明かされ、すでに彼を知る読者にはとりわけ興味ぶかく感じられるでしょう。
10年近く心血を注いだ過去のフリーエコノミー運動をかえりみて、「先端テクノロジーを利用した贈与経済のウェブサイトが、かえって産業文明を補強・延命させていた」と、苦しい胸中も吐露しています。善意の運動が期せずして現状維持に加担してしまう皮肉は、第3作『モロトフ・カクテルをガンディーと――平和主義者のための暴力論』で詳細に論じられたテーマのひとつでした。
一見平和的な日常にひそむ「機械文明」の暴力と、正面から対峙しようとする著者の姿勢を理解すると、アイルランドの小村に根を下ろした泥まみれ汗まみれの暮らしが、収奪のかぎりを尽くすグローバル資本主義に抵抗(レジスト)し、反逆(レボルト)し、野生を取りもどす(リワイルド)、「新時代の3R」の慎ましくも野心的な実践であることがわかります。
その暮らしぶりから妥協知らずの機械化反対主義者(ラッダイト)とみなされがちなボイルは、しかし、他者の声に耳をかたむけようとせぬ頑固者ではありません。この先もしも、「現代社会のテクノロジーが実は人生を豊かにし、真の幸福をもたらす」と納得させてくれる誰かがあらわれたとしたら、そちらへ針路を変更し、自分の目で確かめにいくだろう、とも述べています。彼が選びとった現在の生きかたは、白か黒か、勝つか負けるかを決するためのゲームではなく、みずからの納得いく暮らしに一歩一歩近づいていく道のり、「家へ帰る道(The Way Home=本書の原題)なのです。
この本を読みおえたみなさんは、彼の旅路にすぐさま同行を決意しないまでも、各自に合った流儀で、近い方向めざして進んでいこうと思われたでしょうか。それとも、彼が見落としているテクノロジーの存在意義を説いて、その針路を正してやろうと思われたでしょうか。いずれにせよ、「真の幸せとは何か」「機械との境界が薄れゆく現代において、人間であるとはどういうことか」に関する議論が深まるひとつのきっかけを提供できれば、翻訳者としてもうれしいかぎりです。
吉田 奈緒子