とてもユニークな本だ。出版社の宣伝文句には、「心を打つ『名言』があるように、心をくじく『駄言(だげん)』もあります。これは、そんな滅びるべき駄言を集めた辞典です」とある。
日本経済新聞社と日経BPは、「日経ウーマンエンパワーメントプロジェクト」に共同で取り組んでいる。これは日本社会の多様性を阻むステレオタイプの撲滅を目指すプロジェクトで、本書はその一環として展開される「NIKKEI UNSTEREOTYPE ACTION」の1つとして生まれたものだそうだ。
ページをめくると、いかにもありそうな駄言のオンパレード。いくつかを紹介しよう。「女性ならではの感性」「美人すぎる○○」「リケジョ」「女子力」「うちの嫁」「女性ならではの視点」「素敵なキッチン!奥さまが喜びそうですね」「家事、手伝うよ」「男なのに育休取るの?」「子煩悩な父親」「イクメン」「甲斐性」などだ。
これらの中でも、夫が妻に言う駄言のキング・オブ・キングスは、「家事、手伝うよ」だろう。家庭の一員としての当事者意識の低さを、これほど的確に表現したフレーズは、なかなか見つからない。
評者が最も違和感を持っているのが、男性が自分の妻のことを指して使う「うちの嫁」という表現だ。「息子の妻」を意味するはずだが、いつから「自分の妻」の意味で使われるようになったのだろうか。
関連して、「主人」や「家内」といった配偶者の呼び方も難しい。ビジネスシーンでは、やむを得ず「ご主人」「奥さま」と言ってしまうが、なにか違和感がある。まるで主人と家来のようだからだ。
また、現在は結婚後も旧姓を使って働いている人が多い。困るのが、そうした人を含むカップルと話すときだ。
例えば、法律上の姓が山田である夫妻のうち、女性のほうは鈴木という旧姓で働いていて、自分はその女性をずっと鈴木さんと認識してきた。ある日、夫と一緒にいる鈴木さんに会ったとする。このとき、自分はどう話すべきなのか。男性に向かって「奥さんは」と言えば無難に思えるが、普段の認識どおり「鈴木さんは」と言ってもいいのか悪いのか。
本書でいう「駄言」を何気ない会話の中で聞いたり、実際に経験したりしたことのある人は多いだろう。評者も、ショールームでキッチンを選んでいたら、「奥さまの身長はどれくらいですか?」と聞かれたことがある。キッチンを使うのは「奥さま」、という認識があったようだ。「連れ合いは料理をしないので、私が使いやすければいいんですよ」と答えたら、その担当者は絶句していた。そんな答えを想定していなかったのだろう。
今、現実の社会は急速に変貌を遂げているのに、人々のマインドがそれに追いついていない。巻末のインタビューでアーティストのスプツニ子!は、「駄言は社会が成長している証」と言っている。社会の変化とともに人々の価値観も変わっていく中で、人々がある言葉に違和感を持つようになる。それが、時代にそぐわない「駄言」と見られるようになるということだ。
昭和は遠くなりにけり。社会はどんどん前に進むから、その場に立ち止まっている人たちは、取り残されていくことになる。
※週刊東洋経済 2021年9月4日号