著者が今、最も旬な書き手であることを確信させられる一冊だ。世界を覆う社会的なテーマを生活者として語り、解決のヒントを暮らしの中に見出す。そのスタンスや主張は数年前からさほど変わらないはずだが、時代が追いついてきた印象もある。
ブレイディみかこ氏が本作で選んだテーマは「エンパシー」。これは他者の感情や経験などを理解する「能力」を指す。エンパシーは「意識的に他者の立場で想像する作業」すなわち「他者の靴を履く」試みでもあり、その点で、共鳴する相手やかわいそうに思う相手に向けて心の内側から湧いてくる「シンパシー」と異なる。そして、能力であるエンパシーは、訓練によって向上させることができる。
本書では、この抽象的な概念が身近なトピックを通じて語られ、骨太なテーマへと昇華されている。エンパシーはどのようにすれば向上させられるのか、優秀な女性指導者とエンパシーに関係はあるのか、サイコパスとエンパシーの関係についてなど、話題は多岐にわたる。
われわれが日々の生活の中で感じていることと社会の課題とは地続きであり、相似形であると実感させてくれる。ビジネスの視点でも示唆を得られるし、何のために本を読むのかという問いの答えにも直結しそうだ。
最も慎重に議論されているのが、エンパシーの「闇落ち」に関することだ。エンパシーという「スキル」は後天的に獲得できる。だが、使い方次第でその作用はよいものにも悪いものにもなるという。
例えば、エンパシーが行きすぎると「他者の靴を履くこと」と「他者の顔色を窺うこと」が紙一重になり、混ざり合ってしまう。とくに上下関係におけるケースは興味深い。
エンパシーの強い「下」の人間が「上」に立つ人々のことを考える際、「上」の人間の行動の背景や、意思決定に関する深い事情を知ることで、同情や理解が生まれる。すると「下」の人間は、「上」からひどいことをされても、何とも思わなくなってしまう。これによって誰が得をするのかは火を見るより明らかだ。
そうならないためには、「自分」という主語を確立することが重要だと著者は説く。ど真ん中にアナーキー、すなわち「あらゆる支配への拒否」という軸をしっかりと持つ。さもなければ、エンパシーは本人も知らぬ間に毒性のあるものに変わってしまうかもしれない。これが副題にもある「アナーキック・エンパシー」という考え方だ。
アナーキーという言葉からは、暴力や無法状態を想像するかもしれない。だが、本来の定義は、自由な個人が自由に共同し、状況をよりよく変える道を探すことだ。このマインドセットの下、今とは違う状況を考案していくときに必要不可欠なスキルこそが、エンパシーなのである。
世界はつながっている。ジェンダー、世代、貧富、人種、イデオロギーといった差異や対立概念も、それぞれつながっている。昨今、国家や組織のあり方を嘆いている人は多いだろうが、重要なのは、「組織」と「私」を分断せずつなげて考えてみることなのだ。
嘆くことと希望を感じることもまた、つながっているのかもしれない。ヒントはわれわれの足元にありそうだ。
※週刊東洋経済 2021年8月21日号