『偉い人ほどすぐ逃げる』という、身も蓋もないタイトルだ。その「はじめに」には、日本の現状が次のように書かれている。
「いつも同じことが起きている。偉い人が、疑われているか、釈明しているか、逆にあなたたちはどうなんですかと反撃しているか、隠していたものが遂にバレたか、それはもう終わったことですからと開き直っているか、だ。/国家を揺るがす問題であっても、また別の問題が浮上してくれば、その前の問題がそのまま放置され、忘れ去られるようになった。」
この文章を読んで思い浮かぶのが、「本末転倒」という言葉だ。日本が劣化しているといわれて久しいが、今の日本が抱える問題のかなりの部分を、この言葉で言い表せるのではないだろうか。
「目的の実現のために手段がある」、要は「目的→手段」という本来あるべき順番が転倒し、「手段→目的」の形になってしまうのだ。すなわち、「本来の目的が見失われ、手段を正当化するために目的が捏造される」ということだ。
これを「形骸化」という言葉に置き換えてもいい。だが、日本の現状が深刻なのは、目的と手段の逆転現象が、「本来の目的」を破壊し始めているためではないだろうか。
本書で取り上げられるのは、例えば、当初は東日本大震災からの「復興五輪」を掛け声に動いていた東京2020オリンピックだ。これがいつの間にか「新型コロナウイルスに打ち勝った証」に変質してしまっている。日本のワクチン接種率が先進国中最下位であるにもかかわらずだ。
また、丸川珠代五輪担当相は、「絆を取り戻す」ことを東京五輪の目的に掲げている。だが、今やその五輪が社会の絆を引き裂いているのではないだろうか。東京五輪という巨大スポーツイベントが、社会問題から一般大衆の注意を逸(そ)らすための手段として使われているようにも思える。
「何のためにやるのか?」という議論が完全に抜け落ちてしまっているのだ。評者は五輪自体を否定しはしない。だが、この状況は、置かれた環境によってものの状態が変化する「相転移」に似た事態に突入しているように思う。
本書にはほかにも、コロナ禍の中で生じた事態を「国民の自己責任」としてしまう政権の問題などの例が満載されている。
そこには、著者の一貫した問題意識がある。前述のような「相転移」の後にも当初の威勢のいい掛け声だけは残り、それが現実の社会や人々の生活を破壊しているのに、言い出した本人(偉い人たち)が責任を取らずに逃げてしまうということだ。そしてこれが、今、日本全体を覆っている劣化の本質なのではないか。
この国で起きている多くの問題がこの相似形で、「次々と問題が押し寄せる。ろくに検証しないまま次の問題に移行してしまう。途中なのにとにかく逃げてしまう。そして、なんとか忘れてもらう」という悪循環が延々と続いている。
逃げ足の速い「偉い人」たちを支えるのは、理念を失い筋論を通すことを放棄した、「偉い人を守りさえすれば偉くなれる」役人であり、問題の隠蔽と忘却に加担し続けてきたメディアだろう。この国を覆い尽くす劣化の奈落は、どこまでも深いのである。
※週刊東洋経済 2021年7月24日号