「中世ヨーロッパ」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。「疫病と飢饉」、「魔女狩り」、「異端審問」……。代表的なものを挙げたが、いずれにせよ、西ローマ帝国が滅んだ5世紀末からの約1000年間に明るく進歩的な印象を抱く人は少ないだろう。
だが著者は、そうしたネガティブなイメージはここ200年ほどの間に私たちに植え付けられた誤解だと説く。本書には、中世に関する11の「フィクション」が登場する。多くの人は、どれも一度は耳にしたことがあるはずだ。
中世の人々は地球が平らだと思っていた。風呂にも入らず、暮らしは不潔で腐った肉も平気で食べた。教会は科学を敵視し、今では誰も疑うことのない説も教会の権威によって迫害され続けた。何の罪もない女性たちが何万人も魔女として火あぶりにされた。
これらの説は、文化上構築された「中世」にすぎず、前世紀までに歴史学の専門家によって否定されている。だが、今でも大きな顔をして私たちの生活に入り込んでいる。
21世紀に入っても、ステレオタイプな中世概念に基づいた映画やゲームは後を絶たず、『ハリー・ポッター』や『ゼルダの伝説』もこれに当たるという。フィクションの世界だけでなく、ノンフィクションのベストセラーにもこれらが散見されることや、米国大統領在任中のバラク・オバマなど著名な政治家がステレオタイプをまき散らしてきた様子も本書では取り上げられる。
では、なぜそれらの誤った説が広まったのか。そして、実際は何が起こっていたのか。著者は丹念に一次資料を読み込むことで、私たちの固定観念を丁寧に解きほぐしていく。
例えば、宗教と科学は対立していないし、教会には科学の発展をむしろ後押ししていた面もある。教会も地球が丸いことはわかっていた。地球の反対側に人が住んでいるかについては明確な答えを持っていなかったが。
11のフィクションがいかにして定着したかの経緯はそれぞれ異なるが、根っこは同じだ。専門家が一部の事象を全体のように扱ったり、自説のために都合よく解釈したりしたことの産物だ。
中世は暗黒時代と揶揄されるが、野蛮で暴力的な時代は5世紀からせいぜい8世紀にかけてで、1000年間を「暗黒」と括るのは無理がある。欧州に「魔女ヒステリー」があったのは事実だが、中世の終わりとされる15世紀以前に魔術の使用を理由に処刑された女性は1人しか認められない。中世の人が腐った肉を食べていたとする説に至っては英国人化学者が文献を誤読したことに端を発している。
とはいえ、「昔の専門家はどうしようもなかった」と切り捨てることはできない。彼らは私たちと大きく変わらない。21世紀の私たちも、一部を全体のように解釈し、自分に都合のよいデータだけを集めてはいないだろうか。情報の手に入れやすさでは当時と比べてはるかに環境が整っているにもかかわらず、見たいものしか見ようとしない傾向があるのではないだろうか。
コロナ禍で歴史を学ぶ重要性が改めて指摘されている。だが、歴史は現状を都合よく判断する道具でも自らを安心させる薬でもない。歴史にどう向き合うべきかを気づかせてくれる一冊だ。
※週刊東洋経済 2021年6月12日号