北極圏は氷と雪と岩ばかりの地表である。季節ごとに雪が積もり、氷が溶け、景色は移ろいでいく。イヌイットはその中から場所を特定する手がかりを見つけ、獲物を探し、そして迷うことなく家に戻る。アボリジナルがオーストラリア大陸の広大な砂漠を横断するために実践するナビゲーションの技は、祖先たちの足跡を刻む曲がりくねった道を参照にすることだ。太平洋諸島のカヌー乗りたちは天体に輝く星、太陽、月の位置と波を感じ取りながら、航路を調整する。
彼らのような先住民は動物に近く、それゆえに無意識の直感(第六感)により道を見つけられると考えられてきた。そして西洋人は進化することでその力を失った。長きにわたって一つの学説として支持されてきた。しかし、それはまったくの思い違いだった。
19世紀までに、西洋の人々は地図、コンパス、標識や地名などのあまりにも多くのナビゲーションの補助道具を手に入れたせいで、それ以外のナビゲーション戦略が存在することを忘れてしまった。これらの発明品が登場し、大衆が利用できるようになったのは、せいぜい三世代か四世代前に過ぎない。むしろ、人類の進化のほとんどをつうじて、道具を使わないナビゲーションが当たり前だった。私たちは歴史的な記憶喪失のせいで、非西洋的なナビゲーションが、第六感に基づく神秘的なものに見えるようになった。
確かに、本書を読むと、同じ種である人類が自分の想像できない力を発揮することに感動するぐらいに驚いてしまう。まるで神話のような、おとぎ話のようなだと疑いたくなる力である。しかし、私たちも少しの訓練をすれば、自然の手がかりを道路標識と同じように明確に読みとれるようになるそうだ。イヌイットが雪原の中で風が生み出した雪のパターンを見つけるように、マーシャル人が船に寝転がって腹で波を感じるように。
そんな能力が自分たちの中に眠っていることはとても信じがたいことだが、実はこの1年で多くの人が取り戻しはじめているのかもしれない。新型コロナウィルス(COVID-19)の感染拡大によって、遠出することなく、自宅周辺にいる時間が増えた。そして、地図も必要のない近所で、ビデオ会議で見飽きたスクリーンから目を逸らして、散歩するようになった。いつもはせわしなく歩いていた場所を、ゆっくりと歩くと、以前は目に入ることもなかった身近な自然に気がつき、その変化を愛でるようになった。
もし、新しい生活様式(ニューノーマル)に近所の散策が定着するならば、WAYFINDING-道を見つける力-を取り戻すことができるかもしれない。その分岐点は、GPSとの付き合い方だろう。2010年から2014年までに、GPS装置の数は5億台から11億台に倍増し、一部の市場予測によれば、その数は2022年までに70億台に増加するという。GPSを悪者にするわけではないが、地図アプリケーションを利用すると、画面に注意が集中し、景色や自然に注意を向け、観察することは難しくなる。
さらに、自分でどちらの道に進むのかを意思決定していない。ただ指示された方向に進んでいるだけだ。近所ならば、GPSを手放すことは容易だろうし、自然や街の中で、手がかりを見つけて歩くことに自信が持てれば、新しい街でもあてもなく、迷いながら歩くことに抵抗が減るかもしれない。
それによって受けられる恩恵は思った以上に広範囲で大きい。特に脳への影響である。ロンドンのタクシー運転手の脳を調べたよく知られた研究がある。ロンドン名物のブラックキャブの運転免許を手に入れるためには、約25,000もの街路や膨大なランドマークを記憶しなければならない。この知識を習得した運転手の海馬の灰白質は増えているかを調査した。
タクシー運転手の職に就いていた期間の長さと海馬の体積に相関性があり、体積が徐々に増加しているようだった。長期にわたるナビゲーションの実践という環境刺激そのものが海馬の可塑性、つまり抵抗して変化する能力を作動させていた。その逆で、脳は驚くほど可塑性が高いため、海馬を活性化させたり鍛えたりしなくなると、海馬の灰白質は減少する。また、決まったルートを走るバスの運転手と比較してもタクシー運転手のほうが灰白質の体積が大きく、運転ではなく空間知識が原因であることが明らかになっている。
リアルな空間を旅する以外に、学問の世界を旅するとき、人生という時間を旅するとき、私たちはバスの運転手のようにいつも同じルートを行くか、GPSに類似した自動案内システムに身を委ねすぎていないだろうか。
例えば、自分で学ぶ道筋を考えずに、人工知能の提案に任せっきりで勉強することは、近道のように見えて、実は遠回りしているのかもしれない。保護者や先生がひいたレールの上を効率的にひた走ることで、自分で道を発見する力を犠牲にしているのかもしれない。
この本を読んでいるとき、3歳の娘が保育園に通園する車内でカーナビに興味を持った。
「この矢印は何?」
使わなくてもいいときには、カーナビを消しておくようにした。そして、いつもは車窓から眺めているだけだった保育園までの道のりを30分かけて一緒に歩いてみた。驚くほど、街中にあるさまざまなランドマークを記憶し、それらを手がかりに保育園までの道のりを案内してくれた。
テクノロジーが人の能力や機会を奪うという話は聞き飽きてしまった。なるようになれだ。けれど、本書を読んで、WAYFINDINGは失うにはあまりにも魅力的すぎるものだ。どうにかして残しておきたいと思う。
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