何か不測の事態を前にすると、本読みの習性でつい本に手が伸びてしまう。
中国・武漢で発生した原因不明の肺炎に世間が注目し始めた頃、読み直さねばと書棚からひっぱり出したのは、『パンデミックとたたかう』という本だった。
この本は、SF作家の瀬名秀明氏が東北大学医学系研究科教授(当時)の押谷仁氏と新型インフルエンザについて議論を交わしたものだ。2009年に出た本だが、押谷氏の発言に教えられるところが多く、その名が強く印象に残っていた。
付箋を貼っていたところをいくつか抜き出してみる。
「感染症の危機管理の基本は、わからないなかで決断をしなくてはいけないことです。その最終的な判断は、やはり政治家がすべきだと私は思います」
「ウイルス性肺炎は、現代の医療現場でも、治療するのが非常に厳しい肺炎です」
「重症者が多発した場合の治療の課題は、医療体制の問題として、日本はICUのベッドや人工呼吸器が限られていることです。とくに日本では、医療の効率化の問題でICUが削減される傾向にあります。大都市でもベッドの空きが非常に少ない状況にあります」
「いまの日本社会に欠けているものは、ほんの少しの想像力です。ほんの少しの想像力をもって考えれば、これからどんなことが起こるのかは、大体わかるはずです。それは、自分のことだけでなく、自分以外の他の人のことも考えるということです。一人ひとりの人がなるべく感染するリスクを下げて、まずは感染しないこと。もし感染してしまったら、他の人に感染させないこと」
2009年の言葉が現在にもそのまま当てはまるのには驚くが、このように押谷氏は以前からパンデミックへの備えが足りないことに警鐘を鳴らしていた。にもかかわらず、今回の新型コロナウイルスの感染拡大では、押谷氏は身の危険を感じ、自宅の表札を取り外さなければならないほど追い詰められてしまった。いったい何が起きたのか。
本書は、未知の新型コロナウイルスに立ち向かった「専門家会議」の内部で何が起きていたかを徹底取材した傑作ノンフィクションである。雑誌『世界』で大きな話題を呼んだ連載がついに単行本になった。
押谷氏のもとに厚生労働省から電話がかかってきたのは、2020年2月3日の朝9時過ぎのことだったという。「本省に新型コロナ対策のアドバイザリーボードができることになったため、ぜひ委員をお願いします」という依頼だった。押谷氏は公衆衛生学のエキスパートである。WHOでSARS制圧の最前線に携わった経験から、既に武漢で発生した新しいコロナウイルスがパンデミックになるという危機感を募らせており、専門家組織を作るのがむしろ遅すぎるくらいだと考えていた。
科学技術と社会との関わりを研究する分野の専門家である武藤香織東京大学教授、専門家の招集をいち早く具申した厚労省医系技官の正林督章氏など、アドバイザリーボードに関わることになった関係者のその時々の動きが克明に記されていく。著者は現代を代表するノンフィクション作家のひとりだが、本書では自身の存在や意見はできるだけ消し去り、当事者の言葉や思考を丁寧に辿ることに努めている。ファクトの記録に徹した記述には並々ならぬ迫力がある。「迫真」という言葉は、まさに本書のような作品のためにあるのだろう。
メンバーの中で、押谷氏と同じく大きな危機感を持っていた人物がいた。尾身茂氏である。WHO西太平洋事務局長としてSARS制圧を指揮し、発生源となった中国とシビアな向き合いをした経験から、1月23日に武漢が封鎖された時点で、日本での感染拡大は不可避と考え、専門家組織の必要性を政府に非公式に伝えていた。
その後、アドバイザリーボードのメンバーは、そっくりそのまま、内閣官房下の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」に移ることになった。第一回の会議が開かれたのは2月16日である。尾身氏や押谷氏らの強い危機感を反映して、専門家会議は当初から「前のめり」だった。頻繁に独自の「見解」や「状況分析・提言」を出し、記者会見も行う。クラスター分析や「3密」回避など日本独自の対策も打ち出した。
だが、こうした姿勢は、厚労省には看過できないものだった。専門家会議の名で情報を発信しようとすると、「専門家会議のクレジットを外せ」だの「国民の煽りすぎはよくない」だの横ヤリを入れる。厚労省の中に設けられた「クラスター対策班」へのサポートもお寒いかぎりだった。人手が足りず現場からなんども増員の要望が出されたが、一向に増える気配がなく、学生ボランティアに頼らざるを得なかった。中にはボランティア募集のメールを見てすぐ羽田行きの飛行機に飛び乗った長崎大学医学部の学生もいた。こうした若者たちの奮闘によって現場はギリギリのところで支えられていた。
一方、厚労省からやってくる班長は週替わりで、中には部屋に来るなり「なんだ、ここは動物園みたいだな」と失礼な口を利く者もいた。通信環境も整備されておらず、厚労省内ではオンライン会議もできない。本来ならば47都道府県と24時間ネット会議できる環境くらいあって当たり前である。仕方ないのでスピーカーモードにしたスマートフォンを何台も並べて電話会議をしていたという。戦後75年がたった今も、危機の際に現場は竹槍で戦うことを強いられるのかと絶望的な気分になる。
ならば政治家が毅然とリーダーシップを発揮したのかといえば、こちらも場当たり的な対応が目立った。2月27日に安倍首相が一斉休校を発表したが、専門家会議に事前の相談はまったくなかったという。あるメンバーは、専門家が予想以上に目立ってしまったために、政治家が専門家を出し抜くようなイニシアチブを取ろうとする引き金になった可能性に言及している(支持率ばかり気にしていた官邸だとあり得る話だ)。政治家に求められるのは、専門家の意見を聞いた上で、最終的に決断を下すことである。都合によって専門家の意見を聞いたり聞かなかったりでは、当然のことながら政策は一貫性を欠いたものになってしまう(その好例が「アベノマスク」という愚策だろう)。
だがその後も政府は、「専門家の意見を伺って」と責任を押し付けてくる時もあれば、一切相談せずに物事を進めることもあった。そんな政府の決定の責任を、専門家が国会で問われる場面もたびたびあった。緊急事態宣言や自粛要請に世間の目も厳しさを増していく。専門家個人への殺害予告や損害賠償を求める民事訴訟の動きも出てきた。政府が頼りないから専門家が前のめりにならざるを得なかったのに、いつの間にか専門家が政府の責任を負わされてしまっていたのだ。
専門家会議は立ち上がりから約5ヶ月で廃止されることになった。
そもそも特措法に紐づいておらず、法的に極めて不安定な組織だった。にもかかわらず世論は、専門家がすべての責任を負っていると認識していたのである。専門家会議は、国家的な危機に専門家が前面に立って立ち向かった初めてのケースとなった。彼らの前に立ちはだかったものは何だったのだろう。
専門家と政府との間には相容れない点があった。それは両者のスタンスの違いである。
サイエンスは失敗を前提としている。うまくいかなければ原因を探りやり直す。新しい知見が出てくれば前のものは間違っていたということになる。科学はこうしてアップデートされていく。一方、政府や役人は絶対に間違ってはならないという無謬性を前提としている。この溝は最後まで埋まることがなかった。
だが、先が見えない危機的状況で緊急対応しなければならない場合に、絶対に間違えないということなどあるだろうか。何が正解かわからないのならば、およそ考えつくかぎりの手を尽くし対応に当たるのが普通ではないか。専門家会議の特徴は、反省すべき点は反省できるという点にあった。専門家どうしの間では自由闊達に議論が交わされていた。そして政府の会議体にもかかわらず、自ら解散を申し出るという結末を迎えることになった。
本書は専門家会議の挫折の記録である一方、希望の書としても読める。
失敗の経験はそれぞれのメンバーが必ず次のステージで生かすだろう。個人的には尾身茂氏の類い稀なリーダーシップも強く印象に残った。国会や記者会見で批判の矢面に立っても、尾身氏はいつも穏やかな語り口で答えている。「リーダーは感情のプロである必要がある」という言葉には胸を打たれた。こうした人物が最前線にいるのなら、まだ希望がもてるかもしれない。
連載を本にまとめたいと著者が打診したところ、尾身氏から「時の経過に耐える作品が残ることを期待しています」と言われたという。読者のひとりとして伝えたい。この本は間違いなく歴史に残る一冊である。なぜなら本書には、危機に際して私たちはなぜ間違えてしまうのかが書かれているからだ。またその失敗を真摯に受け止めて、前に進もうとした人々がいたことも。
読書会の課題図書やアクティブラーニングの教材としても本書はおすすめである。
あらゆる機会を通じて、ひとりでも多くの人に読まれてほしい一冊だ。