地球科学者の私は一般市民とはかなり違う尺度で日常を暮らしている。衣食住は同じでも、頭の中で考えるスケールがいささか外れているのだ。
まず時間軸が異なる。地球は46億年前に誕生し、日本列島は2000万年前にアジア大陸から分離して島国となった。日本の歴史は2000年だが日本列島の歴史は2000万年で、同じ2000でも桁が違う。何億年や何千万年が当たり前になると、周囲の人と話が合わない。
富士山はいつ噴火しても不思議でない火山だが、最後に噴火した300年前(1707年)は「ほんの少し前」である。その富士山は美しい円錐形になってから「たった」10万年したっていない、「極めて若い」活火山なのだ。地球誕生の46億年前からすれば、人類が生まれてから「わずか」700万年しか経過していない。さほどまで時間スケールが皆さんからずれているが、自然界にごく普遍的に存在するスケールなのだ。
さて、「ものさし」は人類が発明した偉大な道具の一つである。他人に時間や長さや大きさを伝えたいとき、ものさしで測って数字で言えば、誰もが正確に情報を共有できる。そして本書『スケール』は全ての現象を説明するものさし(尺度)の話である。
著者は英国生まれの理論物理学者で、物理学を生物に適用する研究から経済や都市に共通する「スケーリング則」を解析してきた。タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたこともある。
生物・機械・宇宙から都市や企業、さらに組織や循環といった抽象的なテーマまで、ものごとのスケールを詳細に分析する。結論として、経済の成長と限界まで含めて森羅万象が同じ統一原理で説明できると述べる。
宇宙には「隠された秩序」が存在し、それは「べき(冪)乗則」の原理に従っている。「べき乗」とは同じ数をいくつも掛け合わせたもので、10の2乗は100、10の3乗は1000となる。上巻の第1章「全体像」で明快に説明されるように、我々はべき乗的に拡大する「社会経済的な都市化世界」に住んでいるのだ。
こうした普遍的スケールの存在は地球科学でも重要なテーマである。地球はミクロな鉱物の集合体だが、46億年の歴史で生命という全く新しい現象を生み出した。ここにはDNAから宇宙生物までさまざまなスケールが存在し、第3章「生命の単純性、調和、複雑性」ではそれらを統御するスケーリング則が展開される。
そして著者は急激なグローバルな都市化が、地球環境の長期的な持続可能性と人類の未来にとって大きな脅威をもたらしたと考える。第5章「人新世から都市新世へ:都市が支配する老星」は、地球環境と人間活動に関する極めて的確なレビューである。その一方、「都市は文明のるつぼ、イノベーションの拠点、富の創造の原動力であり、権力の中心、創造的な人々を惹きつける磁石」(上巻、19ページ)と喝破する。
こうした見方から、著者は環境に負荷をかけず富が生まれる社会を維持する方法を模索する。そして「崩壊を回避するには、時計をリセットする新しいイノベーションを開始し、成長を持続させ、差し迫ったシンギュラリティを回避する必要がある」(下巻、214ページ)と説く。
第6章「都市科学への序曲」から始まる下巻では具体的な都市と企業を取り扱い、第9章「企業科学を目指して」ではウォルマートやグーグルなどの巨大企業の成長と限界を詳細に分析する。
慧眼な著者は複雑な現象を「スケール」というキーワードで解読する方法論を随所で教えてくれる。これらは世界が次の成長を迎えるため必須の視座であり、ウィズコロナ・アフターコロナの未来を予測する際の重要なヒントを与えてくれるに違いない。
ここで、もう一つスケールに関する優れた本を紹介したい。私は京都大学で非日常の尺度で自然現象を理解する見方を学生たちに教えている。こうした桁違いの世界観を直観的に理解してもらうため、「地球科学入門」の講義では映像を頻繁に用いる。その一つに『パワーズ・オブ・テン』という若者に大層人気のビデオがあり、著書にもなっている(モリソン著『パワーズ・オブ・テン―宇宙・人間・素粒子をめぐる大きさの旅』日本経済新聞出版)。
ちなみに、パワーズ・オブ・テンというタイトルは、直訳すると10のべき乗という意味で、数学では「10のn乗」と呼んでいる科学の共通言語である。
ビデオでは人体の大きさから始まって、見る尺度が10倍ごとに拡大される。100倍、1000倍、10000倍と際限なく大きくなり、最後に10を25回かけ合わせた巨大な世界が現われる。映像はニューヨークのマンハッタン島を超え、地球を超え、太陽系を超え、銀河系を超え、宇宙の果てまで拡大される。
10の25乗メートルという距離は、普通の物差しでは測れないので「光年」という巨大なスケールを使う。1光年とは光が1年間かけてたどり着く距離で、9兆5000億キロメートルという途方もない長さだ。
その『パワーズ・オブ・テン』が見せてくれる一番大きな世界が、10億光年先の彼方なのだ。すなわち、9兆5000億キロメートルを、さらに10億倍かけた距離の先に何があるか、をビジュアルに見せてくれる。文字通り「宇宙の果て」だ。
わずか10分ほどの短い映像だが、数分のうちに地球を抜け出し、太陽系も離れ、やがて銀河を突き抜けていく。いつの間にか我が身の小ささを思い知らされ、学生も専門家も等しく10のn乗がもたらす威力に驚嘆する。
私は講義で「日常の尺度を変えてみると、全く違った風景が現れるよ」と学生たちに説く。こうした考え方を「長尺の目」と名づけて、地球科学ならではの特異な視座として教えてきた(拙著『地球の歴史』中公新書および『首都直下地震と南海トラフ』MdN新書)。京大に着任して24年間行ってきた「地球科学入門」も、今年度定年の最終講義となった。
本書『スケール』を読んだら是非『パワーズ・オブ・テン』という美しい映像作品を見ていただきたい。我々を取り巻く自然の見方が変わる素晴らしい体験になると思う。