リベラル・アーツは、「教養」と訳されることが多い。しかしその語源は古代ギリシャにまでさかのぼり、「奴隷ではない自由人として生きるための技術」の意味を持つという。そんな大げさなと思われるかもしれないが、本書からはその意味を十分に感じとることができる。
モルモン教原理主義のサバイバリストである反政府的な両親の下、学校や病院とは無縁の環境で育った少女が、やがて大学に進学することで成長。ついには英ケンブリッジ大や米ハーバード大で学ぶようになり、学位も取得する。
本書は、そんな彼女の半生を綴った自叙伝だ。一見、ただのサクセスストーリーのように思えるかもしれない。しかし、これほど悲しいサクセスストーリーもないのではというくらいにその軌跡は壮絶だ。
少女時代のエピソードは、読むだけでとてつもない疲労感に襲われるだろう。「道理が通じない」というだけで、ここまでの絶望を与えることができるのかと驚く。
スクラップなどの廃品回収の仕事をしていた父親は、政府も科学も信じないかわりに、陰謀論を信じやすいのでタチが悪い。また、危険な現場で働いていながら、神を強く信じるがゆえに無防備で、何人もの重傷者を出してしまう。
母親は薬用オイルやヒーリングメソッドなど、代替医療を信奉。自分の娘が暴力を振るわれていても助けることはなく、むしろ真実を曲解して咀嚼しようとする。
そして家族の中でもいちばんひどいのが兄のショーン。暴力や虐待のみならず、相手を精神的に追い詰めることに長けており、しかも執拗だ。
絶望の中で見えた一筋の希望は、ほかの兄弟に大学へ進学した人物がいたことだった。彼は、大学に行くべきであること、ホームスクーラーを受け入れている学校が存在すること、そして世界は目の前に広がっていることを教えてくれたのだ。
これをきっかけに著者の人生は、大きく変わっていく。しかし波乱はつねに彼女につきまとった。なにせトイレに行った後、手を洗うことすら教わっていないのだ。そんな彼女が寮で共同生活をするのだから、混乱が生じることは推して知るべしだ。また授業やテストを受けることも初めてだったため、彼女に対する最高のアドバイスは「教科書を読め」であったという。
休暇のタイミングで実家に戻っても、そこは安住の地ではない。大学で得た知識が、家族とのズレを一層広げ、そこにやっかみや妬みが加わる様子は、まさに狂気の世界だ。
格差という言葉で切り離された2つの世界の狭間に陥った時期はさぞかし辛かったことだろう。しかしやがて彼女は、自分自身でどうすればよいかを体得していく。それは父親に与えられたよりも多くを見聞きして、それ以上の真実を経験すること、その真実を自分の知性を構築するために使うことであった。
学びが彼女自身の思考を変え、変化した思考が以前とは違う判断を下す。その中で喜びも悲しみも経験したが、それがさらに彼女を変えていく。このプロセスは、ある人にとっては成長に見えるかもしれないが、ある人にとっては変節に見えるのかもしれない。だからこそ本書の最後の一文は、胸にズシリと響く。
※週刊東洋経済 2020年12月26日号