元号が誰によって考案され、どのようにして決められるのかを知る人は多くない。「令和」の改元準備が約30年前の「平成」改元の頃からすでに始まっていたと聞けば驚くだろう。
本書の著者は、2011年から毎日新聞の政治部記者として7年半、元号取材に奔走した。最大の使命は、次の元号を他紙に先駆けてスクープすることだ。
とはいえ、元号取材は難しい。いつ元号が替わるかは想像がつかず、誰が考案し、どのような手続きで決めるかについての公式な情報もない。海図を持たずに、大海に放り出される状況に近い。
著者の主業務は政治家の番記者で、元号取材はサブ業務の位置づけだった。だが彼は、次第に元号取材にのめり込む。
元号考案者と思われる学者を訪ね歩く。手紙で面談を依頼しても返信がないことは珍しくない。音沙汰がなければ、失礼を承知で、直接自宅を訪ねる。ほとんど成果はないが、愚直に続ける。
また、漢籍の講座にまで通い、そこで知り合った漢籍や日本古典の研究者と年賀状のやりとりを続ける。著者の熱意に根負けして助言してくれる人も現れる。いくつかの助言から「考案者はこの人にちがいない」と仮説を立て、取材対象を絞り込む。
ほとんど手がかりがないところから糸口をみつけ、核心に迫る。本書にはその過程が詳細に描かれており、読み進めるうちに、当事者になったような臨場感を覚える。
仮説と検証を重ね、著者は新元号選定の黒衣(くろこ)の存在を突きとめる。表向きは国立公文書館の研究官だが、内閣官房の特命を受け、元号選定を一手に引き受ける官僚。彼は平成の次の元号案の実務に昭和の終わりから携わっていたという。結果論だが、約30年、いつ訪れるかわからない「その時」に備え続けていたわけだから恐れ入る。
改元に向けた彼の動きは00年代初頭から確認できる。当時の天皇陛下の体調に異変があると、中国文学、中国史、日本文学の各専門家たちに要請して、この3方向から元号案を準備する。万一に備え、研究者の緊急連絡先もつねに把握していた。
「令和」の2文字が日本最古の歌集である『万葉集』から引かれたことは広く報道された。国書からの引用は異例だが、本書を読むと今回の元号選定が異例の連続であったことを思い知らされる。
例えば、元号考案は、確たる証拠はないが、旧帝大の重鎮クラスの研究者が担うのが通説となっていた。「令和」の際は、学内政治や本人のそれまでの経歴、政治との距離などいくつもの要素が複雑にからみあい、この通説どおりにはならなかった。一方で、3代にわたり元号考案を支えてきた漢学者一族の存在も浮かび上がった。
本書は、多くの人は想像すらしないような特命を帯びた人がこの国にいることを教えてくれる。だが、それだけではない。元号制定の謎を解き明かそうとすると同時に、元号が誰のものかにも迫る。また、元号と政治の歴史には1章があてられており、その決定過程がいかに恣意的で、政治の状況と無縁でないかもわかる。多層的なテーマを持つノンフィクションとして楽しめるはずだ。
※週刊東洋経済 2020年12月5日号