『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』
44年後に初めて解き明かされた事件の真相!
アメリカ大統領選挙は、民主党のバイデン前副大統領が勝利宣言した。
菅首相もさっそく祝意を示し、次期大統領との関係構築に乗り出している。
振り返れば4年前は、大統領選を制したトランプのもとに安部前首相が真っ先にお祝いに駆けつけた。当時の報道を見ると、11月18日にはもうトランプタワーを訪問している。ペルーで開かれるAPECに向かう途中だったとはいえ、各国首脳の中でもっとも早くトランプと会見したことで、日本政府がいかに日米同盟を重視しているかを世界に印象付けた。
だが、かつての日米同盟は、今では想像できないくらい脆弱なものだった。
中国が軍事大国化し、北朝鮮の核の脅威にもさらされている今日でこそ、日米同盟の重要性を多くの国民が認識しているが、そもそも日本政府は、長きにわたり日米安保体制を「同盟」と呼ぶことを避けてきた。軍事同盟と憲法9条が矛盾すると考えられてきたためで、日本政府が「同盟」を公式に認めたのは、鈴木善幸首相とレーガン大統領との会談後に発表された1981年の日米共同声明が初めてである。この時、世論の批判を受けて伊東正義外相が辞任していることからも、当時の空気を推し量ることができるだろう。
このように、日米同盟はきわめてセンシティブな関係だった。そんな時代背景のもとに起きたのが、戦後最悪の国際疑獄事件「ロッキード事件」である。
全日空が導入を予定していた新型旅客機の選定に絡み、アメリカのロッキード社から巨額の金が日本の政界関係者に渡っていた。田中角栄元首相を筆頭とする政治家の他、全日空や丸紅の役員や社員、右翼の大物である児玉誉士夫や、「政商」と呼ばれた小佐野賢治ら多数の逮捕者を出し、日米の外交問題にまで発展した一大疑獄事件である。
だが、これほど有名な事件でありながら、その全容は解明されていなかった。著者は、日米双方の公文書をはじめとする膨大な文書を渉猟し、繰り返し徹底的に読み込むことで、いくつもの新たな事実を掘り起こした。15年間におよぶ長期取材の末に著者が辿り着いたのは、この事件の真相である。発覚から44年後の今、私たちの前にようやくロッキード事件の全貌が姿を現した。事件について書かれた数ある本の中でも、本書は「決定版」と呼んでいい一冊である。
これまで、ロッキード事件の全容解明に大きな壁として立ちはだかってきたのは、この事件が「アメリカ発」であることだった。肝心要の資料はアメリカ側にあり、そのすべてが公開されているわけではない。中でも、本当の「巨悪」の名前が記された文書は、現在に至るまで伏せられたままとなっている。このため、いくつもの陰謀論が幅を利かせてきた。主な陰謀説は次の5つである。
●陰謀説1「誤配説」
ロッキード社の文書が、事件を最初に暴いた米国上院外交委員会多国籍企業小委員会(チャーチ小委員会)の事務局に誤って配達されたため発覚した。
●陰謀説2「ニクソンの陰謀」
ニクソン大統領がロッキード社製旅客機の購入を田中に求め、同意した田中を嵌めた。
●陰謀説3「三木の陰謀」
三木武夫首相が政敵である田中角栄を強引に追及した。
●陰謀説4「資源外交説」
日本独自の資源供給ルートを確立するため、積極的な「資源外交」を展開した田中が米国の虎の尾を踏んだ。
●陰謀説5「キッシンジャーの陰謀」
田中に近かった石井一元国土庁長官が、伝聞情報などを基に著書に記した。
個人的な印象だが、陰謀説4を信じる人が特に多いように思う(この説は田原総一朗が『中央公論』に書いた論説がもとになっている)。著者はこうした陰謀説のひとつひとつを検証していく。そもそもこれらの陰謀説には、肝心な点が欠けている。それは、「陰謀の首謀者」が田中の逮捕につながる捜査にどのように関与したか、証拠を挙げて確認していないということだ。本書の最大の読みどころは、著者がその「陰謀の首謀者」を実証的に解明してみせるプロセスにある。
著者によれば、ロッキード事件は、2つの局面から成り立っている。
ひとつ目は、田中角栄の首相在任時の日米関係、ふたつ目は、事件発覚から捜査、裁判に至る一連の流れである。ロッキード事件に関する本のほとんどは後者について詳述したものだ。本書は、この2つの局面に重大な因果関係があることを初めて解き明かした。
ネタバレしないように書くが、ロッキード事件の全容は、田中の首相在任時の日米関係にまで遡らなければ見えてこない。実はこの時、アメリカは田中に対し、修復不可能なレベルにまでこじらせた外交的葛藤を抱えていたのである(少し踏み込んで言えば、田中はアメリカの恨みを買っていた。そして田中はそれに気づいていなかった)。
ロッキード事件が発覚した後、アメリカ側はある公文書に一見しただけではわかりにくい工作を施し、「Tanaka」の名前が入った証拠文書が日本側に渡るよう仕向けた。証拠文書の提供を受けて政界にまで切り込んだ東京地検特捜部の努力はもちろん賞賛すべきだが、アメリカ側は田中が逮捕されてもかまわないと考えて文書を提供していたのである。
そして、田中を切り捨てる一方で、アメリカが守り抜いた人物がいた。
それこそが、これまで解明されていなかった「巨悪」の存在である。
その人物を守ることは、日米同盟を守ることにつながっていた。つまりはアメリカの国益にかなっていたのである。著者は、ロッキード事件だけでなく、その後に発覚した「ダグラス・グラマン事件」もあわせて検証することで、巨悪の正体を炙り出す。一連の事件はすべてつながっていたのだ。
本書を読みながら、つくづく歴史とは偶然の連鎖が織りなすドラマだと思った。
あらゆる場面に歴史の分岐点が見て取れる。それはほんのささいな誤解であったり、脇役のちょっとした行動だったりする。
キッシンジャーと初めて顔を合わせた際、田中角栄が相手に合わせて適当なことを言わなかったら?
違法な賄賂の支払いに気が咎め、関係者が半年以上も話を寝かせていたところに、田中の秘書が余計な催促の電話をかけなかったら?
もしかしたらその後の歴史は変わっていたかもしれない。
こうしたいくつもの歴史の「if」を思い浮かべずにはいられなかった。
596ページもある本だが、各章の冒頭でポイントがわかりやすく整理されており、読むのにまったく苦痛はない。なによりもロッキード事件という歴史的大事件の謎解きの面白さによってページをめくる手が止められなくなるはずだ。
日米関係が新たな段階に踏み出そうとしている今だからこそ、読んでおくべき一冊である。ただ、本書を読み終えた後には、現在の日本の政治家が、往時に比べあまりにスケールが小さくなっていることに深いため息をつきたくなるだろう。そうした副作用があることはあらかじめお断りしておく。
「今太閤」の凋落はここから始まった。こちらもぜひ併読してほしいノンフィクションの金字塔である。