「全米が泣いた!」――ひと昔前のハリウッド映画の陳腐な宣伝のようだが、本書はアレックスの死によってまさに「全米が泣いた」場面から始まる。ニューヨーク・タイムズ紙をはじめ、さまざまなメディアが彼の訃報を伝え、著者のもとには多くの悲しみの声や励ましの言葉が寄せられた。
本書は、科学者の著者と、彼女の30年来の研究パートナーであるアレックスとの回想録である。……と言っても、アレックスは人間ではない。彼は、ヨウムという鳥だ。
ヨウム(洋鵡)をご存知だろうか? もとはアフリカに生息する大型のインコの仲間で、知能が高く人間の言葉をよく覚えるため、ペットとしても人気がある。最近の話題としては、イギリスの動物園で展示されていた5羽のヨウムがお互いを汚い言葉で罵り合い、来園者にも「太ったクソ野郎」などと悪態をつき始めたために公開を中止した、というニュースが記憶に新しい。
さて、アレックスである。彼は「動物と人間のコミュニケーション」の研究のために、著者のもとにやってきた。そして彼は著者らの訓練によって、50の物の名前、7つの色、5つの形、8までの数を習得し、「天才」と呼ばれるようになる。
だが、本書に魅力を与えているのはその能力の高さだけでなく、彼の「人間臭さ」である。
(アレックスに大事な書類をかじられてしまった著者が)
「アレックス、なんでこんなことをしたの?」と理不尽に怒鳴りちらしてしまったのだ。相手はヨウムなのに。
するとアレックスは、しばらく前の似たような状況で学んだことを活用した。少しすくんだ姿勢になって私を見つめ「アイム・ソーリー……アイム・ソーリー」と言ったのだ。
(正解は「2」と答えるところを「1」「4」と繰り返して、わざと間違え続けるアレックスに対して)
さすがにアレックスが私をからかっているのだと気づいた。(中略)「わかったわ、アレックス。少し頭を冷やしなさい」と言い、彼を自室に連れ戻してドアを閉めた。
するとドアの向こうから「ツー(2つ)……ツー……ツー……アイム・ソーリー……コッチキテ!」と聞こえてきた。「ツー……コッチキテ……ツー」
(著名な作家が研究室を見学に来たとき、アレックスに「コルク・ナッツ」と言わせようとして)
「コルク・ナッツ」どころか、一言も発してくれなかった。そしてやっと声を出してくれたかと思ったら、「ウォール・ナッツ……ウォール・ナッツ」と言った。(中略)
(今度は一緒に飼育されているグリフィンというヨウムに言わせようとして)
グリフィンも「ウォール・ナッツ……ウォール・ナッツ」としか言わなかった。そうこうしているうちに運転手が迎えに来てしまい、彼女は礼儀正しく招待の例を述べて帰った。すると、彼女がドアから出て行った瞬間に、アレックスとグリフィンがいたずらっぽく目を合わせて「コルク・ナッツ! コルク・ナッツ! コルク・ナッツ!」と合唱しはじめた。
また、アレックスは他のヨウムが質問の答えにつまると先に答えてしまったり、「チャント イッテ」とたしなめたり、あるいは正解「7(seven)」のヒントとして「sss」と言い続けたりもした。
上記は本書で紹介されている、アレックスの驚くべき行動のほんの一例である。「鳥頭」は頭が悪いことの代名詞のように使われるが、これはとんでもない間違いなのではないか? アレックスは自分の発している言葉の意味をきちんと理解し、もしかしたら人間と同じように反省をしたり、喜んだり悲しんだりしているのではないか? さらには、人間に対する親愛の情というものをも、持っているのではないか……?
そういう気持ちは著者の心の内にもあったはずだが、科学の世界では、このように短絡的に考えてしまうことは許されない。
アレックスが「グレープ ホシイ」といったときにバナナを与えれば、彼はそれをプッとはき出して「グレープ ホシイ」と繰り返し、グレープを与えられるまで要求することを決してやめなかった。子どもが同じことをやれば、何の疑問もなくその子が欲しがっているのはグレープであり、バナナではないと考えるところだろう。しかし、科学ではそのような「当たり前」という決めつけが通用しない。結果としての数字が必要なのだ。
その「数字」を得るために、繰り返し繰り返し実験を行い、30年間、著者とアレックスは家族以上に長い時間を共に過ごした。アレックスはマスコミにもしばしば取り上げられ、天才ヨウムとして全国的な人気者になっていく。思わす噴き出してしまう楽しいエピソードも満載だ。
しかし、冒頭で語られるように、別れは突然にやってくる。アレックスの、あまりにも切ない、最後の言葉を遺して――。
本書の最初の章では、研究の科学的客観性を保つために、心の中でアレックスと一定の距離を取っていた著者が、彼の死によってそのせき止められていた愛情といとおしさが激流のように流れ出る苦しみが吐露されている。
私も、読み進めるうちに残りのページ数が少なくなっていくのを感じながら、もうここで読むのをやめようか、という衝動と闘った。だって、結末をもう知ってしまっているから。このまま、著者とアレックスのわくわくする知的冒険の世界にいたかったから。
著者が研究を始めたのは、1970年代。アメリカとはいえ、女性が科学者として活躍するのは難しかった。ましてやその研究テーマが「動物と人間のコミュニケーション」となれば、まともな科学として扱われなかったことも想像に難くない。さらにはアレックスが人気者になり、著者が嫉妬や批判を受けることも少なくはなかった。
本書は、母親との確執などつらい少女時代を過ごした著者が、任期付きの研究者として成果を出しても無職になったり、大学から冷遇されたり、不安定な立場で苦労を重ねながら科学者として成長していく物語としても読むことができる。
人間と動物は、わかりあえるのか?
この根本的な問いへの答えは、まだ出ていない。そもそも、人間同士だって、たいしてわかりあえていないのだから。それでも本書は、動物たちの能力に、私たちがまだ知らない可能性がたくさん秘められていることを教えてくれる。
もしもアレックスがあの時死なずに研究を続けられていたら、どんな世界を私たちに見せてくれていただろう? 楽しさ、切なさ、愛おしさ、驚きと知的興奮、そして動物たちのもつ未知の能力を知ってしまうことへの畏れ……不思議な感動に包まれる刺激的な読書体験をさせてくれたアレックスと著者の物語に、続編を綴る新たな研究が連なっていくことを願って止まない。
絵本のような、読みやすい一冊。
ハダカデバネズミの音声コミュニケーションの研究について書かれています。
人間の言葉は話せないけれど小鳥のさえずりを理解できる兄と、兄の言葉を唯一わかる弟の物語。著者の小川洋子先生が、岡ノ谷一夫先生の研究室にハダカデバネズミを見学に行ったことがきっかけで生まれた一冊。
動物行動学、古典中の古典、名著!