20世紀後半に発達したデジタル技術は読書の形態を大きく変え、電子ブックを身近なものにした。では、紙の本から電子ブックへの転換は、人間の情報収集と脳の働きにどのような変化を生むのだろうか?そうした疑問に明快に答える啓発書が出た。
確かに電子ブックと紙の本の両方に長所・欠点がある。電子ブックはどこでも読めるし、蔵書のスペースも不要だ。だから一気に広まったが、紙の本が駆逐されたわけではない。
紙の本は子供の「深い読み」を育むから、教育から絶対に外すことはできない。「他人の視点に立ち、その気持ちになるという行為は、深い読みプロセスのもっとも深淵で、あまり知らされていない貢献」(本書、61ページ)なのである。
著者は字を読む脳(読字脳)を研究する発達心理学者で、読書が脳をどう変えるかを論じた前著『プルーストとイカ』(インターシフト)は国際的にも評判となった。
本書では、紙とデジタル双方の良い点を活用した読み書き能力の構築を目指す。すなわち、適切な時期に紙とデジタルの脳回路を育み、必要に応じてスイッチ可能な「バイリテラシー脳」を育てることを提案する。
実は、「深い読み」には紙の本が適しているので、まずデジタルで読むデメリットを考えてみよう。デジタル画面で本を読むと斜め読みが簡単にできる。すると細部を理解せずに読み飛ばしする習慣がつくようになる。得られる情報は紙の本より多くなるが、頭で処理できる量は限られているので結果として浅い読みになってしまう。これが「デジタル読みモード」の弊害なのだ。
一方、日本の義務教育でも教科書の電子化が進み、デジタル読書を避けることは不可能だ。そして慣れてくれば、デジタルでも論理を分析・批判できるようになる。私の教え子の京大生たちを観察してもその通りで、両方を使いこなす彼らがいずれ我々世代の読書能力を凌駕することに疑いはない。
著者はデジタルが人間の思考力と感受性を大きく変えた現状への処方箋を与えるが、その根底には1970年代に米国の社会学者マクルーハンが唱えたメディアに関する視座の転換がある。
彼は名著『メディア論』(みすず書房)で、情報の中身(コンテンツ)よりもそれを伝える媒体(メディア)のほうが、より大きく世界を変えると喝破した(拙著『座右の古典』ちくま文庫を参照)。
それから半世紀ほど経ち社会は予言通りになり、スマホとユーチューバーが情報伝達を根本から変えてしまった。本書の著者もそこに危機感を持ち、紙の本の読書が記憶力と分析力だけでなく創造力や共感力まで高めるメリットを熱く語る。
ここで読書の歴史を振り返ってみよう。西欧文明の3000年に及ぶ歴史の中で、人類は3つの大きな変革を経験した。第一の革命はアルファベットの発明である。これによって口承で伝えられてきた物語が、文字で表記されるようになった。たとえば、紀元前七世紀頃に書かれたホメロスの『イリアス』を読みながら、人は考えるようになった。
こうした状況は15世紀にグーテンベルクが印刷機を発明したことで大きく変わった。それまでの読む行為といえば「音読」だったが、印刷本が誕生してから人は「黙読」をするようになった。人間が聴覚型から視覚型へ変化した第二の革命である。人は部屋に閉じこもり、自己の世界へ没入するようになったのだ。
第三の革命は、20世紀後半の電子情報機器とインターネットの進展による電子ブックの登場である。資本主義と深く結びついたデジタルメディアが膨大な情報を垂れ流すようになり、良くも悪くも人間の行動様式を変えた。こうした状況でデジタル脳が優勢になると、人類の文化と社会がどうなるかは、著者ならずとも心配になるところだ。
一方、私が専門とする地球科学から見ると、別の描像が得られる。人間が情報収集に「眼と頭」を使う構造は、3000年はおろか何億年にわたって何一つ変わっていない。
たとえば、我々の祖先は5億4000万年ほど前に出現したバージェス動物群から、眼の機能を獲得した。これによって、情報収集の能力が飛躍的に向上した(拙著『地球の歴史(中)』中公新書を参照)。
その後、今から20万年ほど前に進化したホモ・サピエンスの脳と眼の構造を、現代人はそのまま使っている。メディアがデジタルであろうがなかろうが、情報収集の身体構造は変わっていない、というのが我々地球科学者の見方なのだ。
よって、かけがえのない「読書脳」が失われる前に、著者が提案する「深い読みができるバイリテラシー脳」を育成するには、その元にある身体機能の回復も考慮しなければならない。具体的には、整体という概念を初めて確立した野口晴哉著『体癖』 (ちくま文庫)が参考になるだろう。
野口は「体は頭より賢い」ということを発見し、整体という概念を用いて潜在意識教育に尽力した。頭を活発にするには体を整えなければならないのだが、ここで彼の発案した体癖という視座が役に立つ。ここから新しい読書術が始まるのである(拙著『読まずにすませる読書術』SB新書を参照)。
さて、ウルフは最終章で、読書のもたらす喜びについても語る。それは内省的な生き方に関わり、「ある種の静けさ」に対する希求が必要なのだ。「私たちの内面にある熟考の次元は天与のものではなく、維持するための意思と時間が必要」(本書、260ページ)と説く。よって、「深い読みができるバイリテラシー脳」の教育とともに、こうした「瞑想的な読書」にもぜひ挑戦していただきたい。